2007-11-26

294 祝民法改正 27 -11-2007(火)

 一昨日日曜日正午グラナダ市で家庭内暴力反対のデモがあった。それだけスペインでは一大社会問題になるほど流行っていると言う訳だが、何せ総てのデモ隊は日本語情報センタ-の真下を通ってすぐ横の市役所前広場で気勢を上げて解散するのだから否が応でも目と耳に入って来る。   
 この国では国民性を反映して自らの義務は問わず権利だけ主張する傾向のデモが大半だが、今回の主役は旦那に暴力を振るわれる主婦達なのだから、その点だけに限れば誰がどう見ても理に適った主張であることには違いない。ただし、肉体的に男性に引けを取るから家庭内暴力の犠牲になるだけで、実際は気が強く、後に引くことを知らない闘牛の牛みたいな強気一辺倒のスペイン女性も多く、その上すぐに口答えするので、旦那も殴りたくなって当たり前と言う場合も多いと思われる。最後は腕っ節に物を言わせることを除けば、一概に旦那の方が一方的に悪いとは言えない。
 時間は前後するが、その前日のニュースに拠れば、例えば夫婦が離婚して、片方が第三者と再婚しても、この人の退職後の年金は喧嘩別れした元配偶者に支給されていたのが、新しい現配偶者に支給される様来年には民法が改正されるそうである。何のことはない。離婚大国スペイン故に現行の民法では時代錯誤の矛盾が生じ(コルムナ288)、離婚率7割弱を誇る現場に似合った改正が急を要する・・・と言えばいかにも何でも国民のためと能書きを垂れがちな現社会党政権らしいが、結局離婚激増と言う国民の人としての基本的モラル破壊の後始末を来年3月の総選挙を見据えてやっているだけの話。なるほど相当数の有権者が離婚しているのだから、それに応じて尻尾を振ってご機嫌を取った方が投票してもらえるのも道理か。

 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人

 皆事後処理に過ぎません。離婚多発により年金受給者を変えるより、離婚のない社会を目指す方が根本治療です。膿を出さずに民法改正印の包帯を巻くより、隣人を尊重する人作りの方が東洋医学的です(先週のコルムナ)。そうすればまさか国民が大挙して離婚はしないでしょうし、旦那も奥さんを殴る蹴る、メッタ刺しにして灯油をかけて火を点ける様なこともしないでしょうし、奥さんも報復に子供を抱きこんで元旦那から養育費や財産を毟り取って新しい愛人を囲う様な悪知恵も浮かばなくなるでしょう。
 人の悪に厚化粧する民法や、街のど真ん中で“家庭内暴力反対!!”と憂さ晴らしのデモで叫んでも社会は変わりません。人がその性根から真の隣人愛で変わらなければ社会が変わる訳がないのです。
 “真の隣人愛”。絵に描いた餅かも知れませんが、世の中の総ての人の性根が真の隣人愛に変われば、離婚や家庭内暴力どころか、連日新聞ニュ-スを賑わせているあれやこれやの事件など一つも起こりゃしません。それどころか民法も刑法も警察も軍隊も要らず、家の鍵さえかけなくてもよくなりますが・・・。 人間様の現実は全く逆です。残念ながらこんなこと言えば言うほどユ-トピア漫才で、笑われるだけかも知れませんが、デモ隊を組んで声を張り上げなくても、まずは真の隣人愛の小さな一石を家庭学校職場近所で謙虚に投じれば、小さな何かが真に変わって来るはずです。やはりミクロなくしてマクロなしなのです。

269 右手各指の独立性は歌心のスタッカ-ト 27 -11-2007(火)

 結局スケ-ルをアポヤンドでスタッカ-ト気味に弾く目的はスタッカ-ト気味に弾いて肉体的な右手各指の独立性を養うことではなく、そのスケ-ルの箇所を歌わせて音楽として表現するための手段です(先週のコルムナ)。この基本を忘れると本末転倒でコケます。手段を目的と取り違えると目的がない訳ですから結局どこの目的地にも行けません。スタッカ-ト自体ではなく、あくまで歌心です。
 以前も書いたと思いますが、高校野球の時期にあるピッチャ-が監督さんから『フォ-ムが良くなったからいい球が行くんじゃなくて、いい球が行く時にはフォ-ムも良くなっている』と言われ、最初は余り意味が分からなかったが段々分かって来た、と言った意味の記事がありました。確かにスポ-ツや楽器ではフォ-ムや姿勢が悪いと上達しないと言うことはあるでしょう。しかし、誰が見てもセゴビアとイエペスの右手のフォ-ムは明らかに違います。最後は各自に一番合ったフォームでいいはずです。先生も生徒を型にハメない様に、生徒も総てを鵜呑みにしない心がけが大切です。
 そして、必ずしも肉体的にスタッカ-ト気味に弾けば右手各指の独立性が養われるのではなく、歌心で弾けば結果として無意識の内にスタッカ-ト気味のタッチになっている。従って、そう言う歌心優先の奏者は無意識の内にスケ-ルに限らず右手各指の独立性が養われている。この監督さんの言った如く、これが正しい順序です。
 ですから、肉体的にimを意識してスタッカ-トではなく、歌わせるために心の中でスタッカ-トしてみましょう。imのタッチもその通りになってきます。人の肉体はその心の赴くままに行動するとすれば、この方が理に適っています。
 歌心度外視で長短24の音階をスタッカ-トするより、実曲の中からスケ-ルを抜き出して、或いは、機械的ではなく歌心を要求される様な音階練習曲を選んで歌わせてみましょう。いつの間にかimはスタッカ-ト気味のタッチになり、独立性も養われているはずでず。

2007-11-19

293 大卒も“屋根なし” 20 -11-2007(火)

 一昨日日曜日、今現在スペインでの“屋根なし”人口の13%は大卒で、何らかの学位を持っているとの新聞記事があった。“屋根なし”とはスペイン語で “sin techo”、日英同盟訳では“without 屋根”、日本語直訳では“屋根なし”となり、要するにホ-ムレスを意味する俗語である。
 筆者が日本にいた頃は高度成長期とも重なり、街角で物乞いする人などごく幼少期に一人しか見た記憶がない。今ではバブル崩壊後の尾を引く影響でテント暮らしの人々もいるそうだが、その後の筆者自身はずっとスペインに居ることもあり、実際この目で見たことはない。
 ここスペインはと言うと、筆者が最初にやって来た1979年以来、決して豊かな国ではない割には街中を歩く分には余り目立たない。もっとも、今でも筆者の行動範囲はごく街中で、ましてや県庁所在地。行くとこに行けばあるのだろう。
 ただ、日本はどうか知らないが、スペインの“屋根なし”事情はアル中薬中で人生やる気のない、ある意味自業自得の若者が多いそうである。今回薬中で家庭も仕事も総てを失い、長年の“屋根なし”生活を経て間一髪救済施設に拾ってもらった30過ぎの若者の半生が紹介されていた。薬の中毒症状から癒されて社会復帰したいそうである。
 そうなれば美談だが、中高生から怒涛の如くコカインにヘロインを何とかしない限り(コルムナ286)、安っぽい美談で終わってしまう可能性無限大である。人助けも社会復帰も毒抜きも西洋医学的対症療法ではなく、東洋医学的原因療法で対峙しなければ雑草を根こそぎにせず、目に見える地面の上の草だけ刈っている様なもの。根本治療にはなっていない。

 不正を行う者はますます不正を行い、正しい者はいよいよ正しいことを行いなさい。-----或る昔の偉い人

 それでは東洋の日本はどうなのでしょう? 西洋のスペインの様に怒涛の如くではないにせよ、根底から蝕む様に若年層にじわじわ、しかし、確実に浸透して来ているのではありませんか?
 先日の新聞の国際欄に拠れば、イタリアでは日常生活必需品を買ってさえマフィアに金が流れる仕組みになっているそうです。麻薬ならなおさらそうでしょう。
 その原因療法は? 難しい命題ですが、末期ガンになりたくなければ、まず君子発ガン物質に近寄らず。ロック、ラップ、テクノ、へビ-メタル、総ての種類の占い、オカルト映画の類などときっぱりと縁を切ることです。そうすればまさか麻薬に手を出すこともないでしょう。唐突ですが、今はこの理由は分からなくとも、今日世の中は日増しに悪くなり、同時にこれらの類が特に子供や若者の間で市民権さえ得てしまったご時勢であることくらい誰でも分かります。そんなの偶然じゃないかと言う読者もいるでしょう。しかし、発ガン物質をがぶ飲みすれば末期ガンに至るのは必然です。偶然だと気にもかけず、実は必然だったと気付いた時には手遅れだったと言うことが人生にはあるのではないでしょうか?
 この記事の若者の様に末期ガンになってから必死に社会に生還するのも美談かも知れませんが、末期ガンになる前の杖の方が遥かに賢明で美談です。
 それにしても、スペインではこうした音楽とは名ばかりの猛毒が大手を振って何と神聖なはずの賛美歌にさえ取り入れられています。末期ガン賛美歌でしょうか?

268 右手各指の独立性はアポヤンドでスタッカ-トで歌心 20-11-2007(火)

 そう言われてみれば(先週のコルムナ)、スケ-ルをスタッカ-ト気味に弾けば、当たり前のことですが、そう弾かないよりはimが際立って来ます。つまり、imの独立性が際立ち、演奏全体も締まった感じがします。また、いつもスタッカ-ト気味に弾いて、いざ普通に弾けと言われれば弾けるでしょうが、逆なら難しいのではないでしょうか? いつも“気を付け~!!”状態で、たまに“休め”と言われて休むより、いつもだらだら“休め”ばかりで、急に思い出した様に“気を付け~!!”と言われても、中々気合が入らないのと似た様なものかも知れません。
 この時腕や手の軸がぶれては何にもならないと先週書きましたが、更に詳しく言えば、それは腕や手の軸がぶれず、それと同時にimのアポヤンドならimだけ動いていればいいと言うことでもあります。“imだけ”とはimの独立性、そして、“imだけ動いていればいい”とは、同時に腕や手の軸がぶれてグラついていれば出来ない芸当でもあります。
 ただ、アルアイレの方が弾き易いと言う読者もいるかも知れません。アポヤンドの場合、どうしても指先が弦に当たった時の衝撃がアルアイレより大きく、手や腕が動揺し易いからです。これは誰でもそうでしょう。そして、一度この様にアポヤンドの衝撃で腕や手の軸がぶれれば、それ以降のimは更に不安定になり、独立性どころではなくなります。足腰がグラついているバッタ-がいくらバットの真っ芯でボ-ルを捕らえても、せいぜい球足の鈍いシングルヒットにしかならないのと同じです。こうなるとバットの真っ芯と言う弦を爪弾く理想的な指先の位置や角度や当て方と言う目先や指先の問題ではなく、足腰のグラつきが諸悪の根源と言えます。
 そして、スケ-ルやアポヤンドに限らず、この足腰のグラつき、腕や手の軸のぶれと言う諸悪の根源に起因する連鎖反応の悪循環を断ち切れば得られるのが各指の独立性でもあります。その方法の一つがスタッカ-ト気味アポヤンドだと言っても宜しいでしょう。ただし、単なる音階ではなく、実曲の中からスケ-ルを抜き出してスタッカ-ト気味アポヤンドで弾く方が遥かに独立性が養えます。ハ長調やイ短調の音階を繰り返したところでそこに歌心など存在しないからです。 

2007-11-12

292 悪い奴らも40年 13-11-2007(火)

 先月末スペイン最高裁判所で2004年3月11日首都マドリ-で起こった列車テロの判決があった。犯人のイスラム過激派の連中は懲役何千年!? ただ、実際のスペインの刑法では禁固刑は最高でも40年とのこと。しかも今回実刑が下されたのは実行犯だけで、総てを画作して自らは手を下さなかったとされる肝心の黒幕と見なされていたアルカエダの主犯格は証拠不十分でお咎めなしとなった。
 また、被害者にはスペイン政府から合計何十億円にも及ぶ高額な慰謝料が支給されることも発表された。いつになるかは知らないが・・・。
 普通一つの事件は判決が出て刑が確定すればそれで社会的にはケリがついてお終いである。ましてや今回は世界中に衝撃を与えた大事件故に3年半に及ぶ徹底調査の末の、ましてや最高裁の判決ならまず間違いないと思って良いだろう。とは言え、これで被害者や遺族の心の傷にケリがつく訳はないが、それでも今週はこの慰謝料についてコルムナしてみたい。
 そもそも慰謝料や賠償金は加害者かせいぜい加害者の加入する保険会社が被害者に払うもの。今回スペイン政府は犯人達の支払い能力のなさと国内国際的世論に配慮してこう言う英断を下したとは思うが、そして、困っている人を助けるのであるから国民の圧倒的大多数も筆者もそのこと自体にはむしろ100%大賛成ではあるが、結局はテロリストの悪行の始末を当のテロリストではなく国民の税金で払う図式には100%納得が行かない。今現在バブル崩壊前の景気のいいスペイン政府にすれば何のことはない金額かも知れないが、何事もやった本人が賠償すべきを賠償すべきであり金額の問題ではない。全く関係ない第三者がそれを支払うことは例え100円でも不条理である。
 何のことはない。バブッてこけそうになった大企業に公的資金を注入した日本政府と一緒で、結局は国民の税金なのであり不条理である。
 もちろん、第三者から困っている人への心からの献金募金なら大いに結構であり人道的で人間むしろそうあるべきだが・・・。
 憎しみは争いを引き起こし、愛は総ての背きの罪を覆う。-----或る昔の偉い人 
 例えば誰かと午後6時に待ち合わせして30分で切り上げすぐ横の7時閉店のス-パ-で買い物をして帰る予定が相手が10分遅れたためにお目当ての閉店前の値下げ商品を買えなかったとしましょう。おかげでその日の夕食は予算オ-バ-。翌日二度手間を承知でまたス-パ-に出向けばそのために仕事の段取りや他の予定もずれて来る・・・。誰でも似た様な経験はあるでしょう。これなど些細なことかも知れませんが、おかげで予算も後の予定もボタンの掛け違えの如く狂って来ますし、本人のみならず他の人とも調整も出て来ます。こうなると決して些細な10分どころか複数の人に迷惑をかけていると言えます。しかも10分遅れた本人は迷惑をかけたとさえ思っておらずどこ吹く風。
 テロリストはともかく、我々も些細なことで罪意識なく他人様に多大な迷惑の連鎖反応を強いているとすれば無知は罪悪としか言い様がありません、罪意識はなくてもです。
 結局自己中だから爆弾で列車をぶっ飛ばし、自己中故に10分遅れるのです。相手を思いやる心があれば10分遅れはしませんし、列車をぶっ飛ばすこともないでしょう。スケ-ルはイギリスとキリギリスですが、この両者は東と西の果ての如く何の関係もない様に見えて実はその根底に自己中と言う共通項があるのかも知れません。それならば・・・。
 どんな小さな自己中も小さな背きの罪であり小さなテロだと言えます。十把一絡げの隣人愛印の寄付金や助成金ではなく真の隣人愛だけがその特効薬となり得ます。

267 右手各指の独立性はアポヤンドで歌心 13-11-2007(火)

 右手各指の独立性とは(左手も)各指間の相関関係を最小限に抑えることとも言えます。言い換えれば“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”ですが、それは最後は歌心に帰着することは結論として、実際にやってみましょう。
 まず音階から。スケ-ルなら何でもいいですからアポヤンドによるimで弾いてみましょう。一音、例えばiで弾いたなら、その弾いたが故の手腕肩肘の筋肉や筋の緊張がなくなるまで待ちます。休みましょう。そして十分休んで筋肉や筋の緊張がなくなったら次に同様にmを弾き、更に続けてこの十分休む繰り返しで最後まで弾きます。
 ただし、ここで腕や手の軸がぶれては何にもなりません。軸がぶれては強打にならないのは右手も左手も同じこと(同100&101&252)、スケールもアポヤンドもアルアイレもアルペジオもトレモロもラスゲアードも皆同じことです。また、軸がぶれるから指もぶれコントロールがつかず当りが浅く音が小さくなります。足腰がグラついているバッタ-と思えば分かりますね。そして、音が小さいから先生にもっと音を大きく弾きなさいと言われ、より力を込めて各指の独立性を失い、最後は我慢比べ大会みたいになってしまいます。
 スケ-ルの場合軸をぶらさないためには一音一音をスタッカ-ト的に弾くことです、力を抜いて。こうすると一音一音が締まります。そして締まった音になっている時は軸もぶれずフォームも良くなっているものです。

2007-11-07

291 インタ-ネットなし、メ-ルなし 06-11-2007(火)

 実は筆者は9月上旬に日本製パソコンが壊れ、こちらでWindows Vistaを買ったはいいがモデムを50日も待たされ、スペイン国内向けなのでメ-ルの日本語設定などに手間取り、先週やっと再開に漕ぎ着けた。その間知り合いのパソコンでメールを見てもらい、それを一々Faxで転送してもらう煩雑さ。まさか、今になってこんなにFaxの紙を使うとは思わなかった。
 それにしても、スペイン国営電話公社に頼んだのにこの遅さ。筆者もこの国に四半世紀住んで経験上その国民的仕事の遅さと民族的段取りの悪さはある程度覚悟していたが、久々にやられたと言う感じである。それもこちらから二回クレ-ムの電話を入れたから50日で着いたのである。しかも、二回目のオペレ-タ-がパソコンで見ると既に配達済みになっていたとのこと!? 当然既にそれ用の料金が適応されている!? これが筆者がたまに使う“バカ負け”の意味であり、スペイン週間コルムナで取り上げる事件やニュ-スは決して誇張でも何でもないことを読者の皆さんにも今回の実例を通じてご理解いただきたい。
 ただ、久々にインタ-ネットなし、メ-ルなしの生活もいいもんだなと思ったのも正直な感想である。何か今まで無駄使いしていた時間を却って持て余す様な感触さえ覚えたのは錯覚ではないはず。所詮パソコンも検索も携帯もメールもより良い生活の手段ではあっても、決して目的自体ではないと言うことである。手段で遊び呆けて目的を見失っては目的も手段も元も子もなくなる。今日世界中どこでもインタ-ネットやメ-ル利用者の実態はそんなところではないだろうか、と言うことを筆者自身身をもって体験した50日間であったかも知れない。
 とは言え、やはり見慣れた新聞サイトを見れないのは何か物足りなさを感じるものだ。先週やっと久々に見れたと思ったら目を引く記事が二つ。まず、母校の野球部が甲子園後の国体で優勝。しかし、これも時差ボケで余り感動がない。二つ目は今なお続くビルマの騒動。日本人記者が撃たれて死んだのはこちらの国際ニュ-スにも出たので知ってはいたが、まさか高校時代の同級生とは思わなかった。当時一学年450人で10クラス。一度も同じクラスになった覚えはないので今回初めて長井健司君の名前を知った次第なのだが・・・。

 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランの様に花を咲かせる。-----或る昔の偉い人

 ネット上で経歴を見れば、こんな仕事をしていればいつかどこかで不意に・・・と本人も心の片隅であらぬ覚悟をしていても不思議はないほどカメラマンとして結構危ない橋を渡って来ていた様です。享年50歳(筆者はまだ49歳)。
 人の死の知らせを聞く度に筆者はやはり『人生は太く短くもいいが深く』あるべきことを思い起こします(コルムナ171)。人生の本質は深さと言っていいかも知れません。深ささえあれば10歳でも100歳でも砂漠の様な現代社会に、荒地の様な人々の心に小さなサフランの花を咲かせられるはずです。そして、深さの伴わない人生こそバカ負けの素かも知れないとすれば、残った我々はこの深さを追及すべく、ましてやインタ-ネットや携帯にうつつを抜かして人生を浪費している場合ではないはずです。
 長井健司君がどんな人生を送ったかは知りません。ただ、人生深ければ短くてもいいとは言え親より先に逝きたくはないなと思ったのもまた正直なところです。

266 右手各指の独立性も歌心 06-11-2007(火)

 今週からは右手各指の独立性に入ります。右手各指の独立性とは先週までの左手の場合同様“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”です、歌心で!?
 さて、1~12フレット~ハイポジションに至るまで動き回る左手に比べて右手は動くのは普通指だけですからその点楽だとも言えます。実際上手い人は右手より左手の方が難しいと言う人が多い様です。ただし、猛スピードのアルペジオ、トレモロ、スケ-ル、フラメンコギタ-のラスゲア-ドなどが極めて難しいことに変わりはありません。
 誰でもゆっくり弾けば出来ますが、同じフレ-ズでも速く弾くほど難しくなり音も小さくなります。当然のことですが、これは音を大きく速く弾く筋力がないからではなく、音を大きく速く弾こうと力を込めるが故に指だけではなく手も腕も肩も力み、力みの連鎖反応で右手各指の独立性が独立性を失うからです。これを頭から勘違いして右手各指の筋トレモ-ドに入るとギタ-人生はスタ-トから全く逆方向にロ-ギアで全力疾走オ-バ-ヒ-トで焦げ付くのも時間の問題です(コルムナ8&123&124)。十分注意して下さい。
 逆です。右手各指の力を徹底的に抜いて下さい。力を抜かずにどうして使っている指以外は徹底的に休んでいることが出来るでしょうか? 速ければ速い箇所ほど、複雑なアルペジオや速いスケ-ルほど徹底的に力を抜いて下さい、軸をぶらさずに。軸がぶれては強打にならないのは右手も左手も同じことです(同100&101&252)。
 歌心と言う絶対的な軸さえぶれなければアルペジオもトレモロもスケ-ルも強打になって来ますよ、力を抜いて!?

2007-11-04

265 左手各指の独立性の結びも歌心 30-10-2007(火)

  思う様に左手の指が届かない、押さえ切れない、開かないなど、ギタ-奏者なら誰でも抱える悩みです。それは一言で言えばこのところ懸案の“左手各指の独立性”がないからだと言えます。

 昔からの読者はご存知でしょうが、“スペインギタ-週間コルムナ”では便宜上基礎を“情緒的基礎”と“肉体的基礎”に分けて考えています。情緒的基礎は究極のところ歌心であり、肉体的基礎の行き着く所は右手左手共に結局各指の独立性だと言えます。

 筆者ももう26年前に『ホセ・ルイス・ゴンザレス・ギタ-・テクニック・ノ-ト』を通じてこの各指の独立性と言う言葉に出会っていますので(コルムナ246&247)、いつかはギタ-コルムナで扱いたいと温存して来た大切なテ-マでもあった訳です。

 ただ、この教則本に書いてある単調な指の鍛錬を毎日根気良く繰り返せば各指の独立性が得られるとは思わないことです。教則本だけ見るとどうしてもそう言う錯覚に陥りがちです。ホセ・ルイス・ゴンザレス先生は実際に自分で実行したことを書いて後世に残したのでしょう。他の大ギタリスト達も我々ならすぐに嫌気が差す様な基礎練習の数々をこなして上達したからそれを自らの教則本に書いている訳でしょう。確かに才能豊かな人なら単調な基礎練習の繰り返しでも上手くなるのでしょう、彼ら自身が意識さえしていないその歌心故に。しかし、我々一般庶民はそうは行きません。

 真似すべきは練習メニュ-や爪の形ではなく歌心。歌えない? そりゃあ、有名ギタリストみたいにゃ歌えません。しかし、歌ったほどに、歌心ほどに左手各指は独立性を増して来ます。もちろん、優先順位は『情緒的基礎 > 肉体的基礎 』なのです。これを真に尊重すれば“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”が出来て来るはずです、歌心なりに。

 来週からは右手各指の独立性です。 

290 いよ~、元副大統領!? 30-10-2007(火)

先週元アメリカ副大統領でノ-ベル平和賞のアルゴル氏がスペインにやって来た。実際はスペイン政府が大枚を叩いて招聘したそうだが、その辺の政治的意図はともかく、相手が大物だけにスペインの国王や王子まで出て来て、全国主要都市で地球温暖化対策のカンファレンスが催された。

 アメリカ嫌いの国民性と来年3月14日の総選挙を見据えてのことかは知らないが、野党党首が『アメリカは京都議定書(何年か前に京都で世界各国が二酸化炭素排出量抑制などを取り決めた国際協定)にサインしなかったくせに、そんなこと言う権利があるのか・・・』ともっともらしい横槍を入れる一幕もあったが、どうやら無事日程を終えた様である。

 筆者も一々新聞記事の総てに目を通した訳ではないが、地球温暖化に拠る環境破壊は我々の想像以上に進んでいること、そして、アルゴル氏の『これは政治的問題ではなく、地球の住人一人一人のモラルの問題である』との一言が一番印象に残る。

 なるほど、これは世の中総ての物事は最後は人に帰着すると言う“スペイン週間コルムナ”の精神にも通じる。それなら、スペインと日本の環境破壊はそれぞれ7割と3割3分3厘の離婚夫婦のせいだと決め付けても良いかどうかはともかく(コルムナ288)、仮に世界中の総ての大物政治家から村々の村長さんに至るまでアルゴル氏に心から同調し、それに基く環境最優先政治を行ったとしても、国民にその気がなければ総ては笛吹けど踊らず馬耳東風。良かれと思って作られた風紀部の規則を頭から守る気のないワルな学生とスケ-ルは違うが、理屈は同じである。

 そして、残念ながら現実は全く逆方向に向かうだろう。自らの手で自らの夫婦と周囲の人間関係を破壊して湯水の如く離婚する身勝手な人間様が環境を顧みるはずがない。これが小さな親切大きなお世話なら、塵も積もって山となるべく、小さな身勝手大きな環境破壊もまた、風が吹けば桶屋が儲かる以上の確率で起こり得る。因みに、どこからこんな数字を弾き出すのかは知らないが、現在スペイン人は許容量の3倍消費し、3倍汚染しているそうだが・・・。

 いや、これは100%現実に起こっていることなのだから、もはや将来を占う確率でも学説でもない。アルゴル氏の『既にダメ-ジは与えられている』と、今回ある学者の言った『仮に今すぐ人類が地球上から消えたとしても、もはや地球が元に戻ることはない』と言う文句が地球の病状を良く物語っている。つまり、地球の健康はあたかも湯水の如く酒タバコ暴飲暴食バクチ不純異性交遊に身を委ねて気が付けば末期ガンの人の如く、末期ガン故に今すぐ急に悔い改めて総ての悪い癖を止めて最先端の治療や投薬を受けても癒されることはなく、後は放っておいても病状は悪化の一途を辿って死ぬだけ・・・、とズバリ言うとカンファレンスの意味がなくなるのでそうは言わなかったが、これが我々の住居である地球の現状であることを訴えるために氏が今一歩のところでアメリカ大統領になれなかったとすれば、それはそれで結果的に良かったのかも知れない。 

 ある人は悪を行わなければ義人だと思っているが、義人とは積極的に義を行う人のことである。-----或る昔の偉い人

 このままだと近い将来、今でも夏場十分暑い南スペインの主要都市はますます温暖化が進み、連日40℃を越す様になるそうです。そうなればますますク-ラ-の消費が進む悪循環。それでも人々は冷房の使用を止めず、メ-カ-も大特需でほくそ笑み、結局は自らの経済政策に合わないとの理由で京都議定書にサインしなかった現金で身勝手なアメリカの如く、消費経済と金を何より最優先に、環境破壊などテメ-の知ったことかと隣人と地球を更に足蹴にして自己中の王道を突き進むことでしょう。

 結局何のことはない、人類の人間性喪失度に比例して環境も破壊されているだけの話です。これではアルゴル氏の提唱する末期がん患者の延命策どころか、寄って集って末期がん患者の生き血を吸って自己中の猛毒でトドメを刺している様なもの。人の心は元来性悪説だとすれば、氏の懸命の努力も空しく、残念ながら環境破壊は今後もその加速度的を増すだけでしょう。

 しかし、今後環境は喪失される一方だとしても、せめて人間性の喪失に歯止めをかけるべく立ち上がる少数の心ある人々が起こされないでしょうか? 日本人社会では良く『人様から後ろ指刺される様なことはするな』とか言われますが、これでは悪いことをしないに留まる消極的な半熟の義です。とは言え、何もアルゴル氏の様に地球規模的な大義名分を振りかざすことはありませんし、そんな大それたことは我々平民には無理です。しかし、人の心が少しでも浄化されれば環境も少しは浄化されることが風が吹けば桶屋が儲かる以上に確かなことだとすれば(同288)、まずは身近な誰も褒めてくれない小さな義でいいではありませんか。ただし、行う小さな義でなければ義人ではありません。

 今の時代は人の悪が怒涛の様に押し寄せ、義人が少な過ぎるので世の中は悪くなり、環境は破壊される一方なのです。その真の抑止力は核兵器でも環境対策でもなく義人だとすれば、それはもちろん、人を裁く義人ではなく、隣人愛を基調とする義なる人であることは言うまでもありません(同257&272)。