2008-06-30

325 スペインの交差点 01-07-2008(火)

 昨日朝食を終えて日本語情報センタ-に戻るいつもの交差点。白バイがそこにいるのにその前を平然と悠然と大挙して赤信号を渡る市民の皆さん。もちろん、バツが悪いので人目をはばかる様に、などと言う繊細さは誰も持ち合わせていない。もちろん、お巡りさんも馬耳東風。
 日本なら漫才だが、こんな光景はスペインでは日常茶飯時。この国民は信号は車から歩行者を守るためにあるのだから、車が来なけりゃ赤信号で渡って何が悪いと言う思考回路に生まれついており(警官も!?)、逆に、余り細かいことを言うと心が狭い人間だと評判を落とす。いずれにせよ、規則は目安としか思っていない民族であることは確かである。
 ところが、その時その白バイの左横を若者の乗ったバイクが赤信号を無視して通り抜けた。筆者の予想に反してお巡りさんはバイクを呼び止めた。『やりゃあ出来るじゃないか』と間髪入れず思ってしまった筆者であった。

 訓戒を大事にする者は命への道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。-----或る昔の偉い人

 人生とはハンドルやブレ-キの様なもので、遊びがなければ過敏反応で、遊びがあり過ぎても、共に制御不能で本人も同乗者も痛い目に遭います。どう見ても日本人は遊びがなさ過ぎ、スペイン人は遊びがあり過ぎますね。
 そんなこと各自の自由だろと思うのは自由ですが、迷い出て交通事故を起こしてから、あれは自由ではなく放縦だったと気付いてからでは遅いこともあるとすれば、やはり叱責を捨てず、訓戒を大事にすることは命への道です。
 それにしても、小学生から髪を染めてミニスカ-トの制服。遊びにも程があります。もっとも、スペインの青少年の遊びはこんなもんじゃ済みませんが・・・。

299 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(12) 01-07-2008(火)

 確かに親指に遠心力を付けるためには振幅を持たせるために弦からある程度の一定距離を置いて打ち込む必要がありますが、アルペジオに限らず実際の演奏ではそんな時間はない様に思えます。しかし、ないからと言って、また以前と同じ様に指弾きでは元の木阿弥です。
 あるかないかやってみましょう。まずはゆっくり弾けば、このところのコルムナで述べて来た如く親指に振幅を持たせる時間的余裕もあります。親指自体の力を使わずに弦から3cm位の位置から遠心力で親指を打ち込んで、ゆっくりアルハンブラの想い出を弾いてみましょう。理屈はアルペジオもトレモロも同じです。この曲を弾いたことのない読者は代わりにどんなアルペジオでもいいですから同様にゆっくり弾いてみて下さい。
 ゆっくりなら親指を少しばかり振りかざして打ち込んではまた戻す時間的余裕はありますね。この間腕の軸がぶれては何にもなりません。腕の軸をぶらさず、腕の軸の回転による遠心力で親指を力まず打ち込むことに拠り更に腕の軸が安定し、親指を打ち込んだその勢いにimaが乗って、imaは勝手にアルペジオ&トレモロしてしまう感触を体験して下さい。
 自らimaでアルペジオ&トレモロしてはいけません。上手い人が良く使う表現ですが、指(ima)が勝手に回る感触は親指を力まず打ち込んでこそなのです。上手い人がそう言う説明をしなくても、それは無意識の内にそう言う弾き方をしているので説明出来ないだけなのです。自分で弾かずに、指に勝手に回ってアルペジオ&トレモロを弾いてもらって下さい。
 来週は段々速くして行きます。果たして今週の様に3cmも助走をつけるだけの時間があるでしょうか?

2008-06-23

324 マジで正義のヒ-ロ- 23-06-2008(火)

 筆者は最近さっぱりテレビを見ない。春先にパソコンのスピ-カ-を購入したはいいが、コンセントがなかったので、それまでの長年のテレビのコンセントを取り外し、そこに差し込んだ。もうこれ以上新しいコンセントもタコ足配線も嫌だったので、それ以来ニュ-スもラジオだけ聴いている。テレビのない生活もいいもんだ。
 そこで一昨日、あるラジオ番組に拠れば、その昔ある人が『俺は働き盛りの大半を世のため人のために尽くして来た。ところが、どうだ。俺が得た物と言えば冷たい世間の非難とお尋ね者の烙印だけだ』と言ったそうである。どんな不当な扱いを受けた慈善家かと思えば、何とアルカポネの言ったことばだそうである。しかも、これは何かの比喩ではなく、マジで思っていたことをマジで言ったとのこと。こうなると度を越したブラックユ-モアだが、筆者はこれを聞いてすぐに同類項の化物が頭に浮かんで来た。
 やや過去の人になった感は否めないが、日本が世界に誇る妖怪株券小僧である。確かに弁護士からここは否認した方が罪は軽くなるなどと言われているのかも知れないが、本人は『皆のために一生懸命やって来たのに。何と言う不当な扱いだ』とマジで思い込んでいる様に筆者には思われる。

 正しい者は悪者の家を見抜く。-----或る昔の偉い人

 それは余りに得意の厚化粧に練達し、遂に醜い地顔を忘れ、厚化粧をマジで地顔と思い込んで私は美人だと自惚れ他を見下すまでに至るキャバレ-の年増の阿婆擦れ女にも例えられます。地顔ではなく厚化粧なのですから、良く考えるまでもなく愚の骨頂なのですが、人事不詳に陥り大言壮語する酔っ払いと同様、確かに人は酒にも自らの醜さにも欲にも酔い潰れれば、自律神経失調症の末期ガン漫才師まで成り下がり得ます。
 その上、いくら妖怪なら人を騙すのが仕事とは言え、『私は美人よ』『俺ほど世のために尽くした奴はいない』『世界一の株価を付ける』などと嘘を嘘とも思わぬ嘘を平然と吐くのですから、悪者の家を見抜く審美眼を持っていなければいとも簡単に妖術に騙されてこちらが人事不詳に陥ります。本人はマジで言っているのですから、確かにこれ以上の迫真の演技もないのでしょうが・・・。
 正しい者は悪者か。見抜くべきは二つに一つなのですからある意味簡単ですが、筋金入りの悪者ほどその悪事に泥酔してマジで正論のゲロを吐くのですから、やはり見抜く眼力がなければそう簡単に見抜けないのが今日の世相かも知れません。ただ、見抜かなければ痛い目をするのは我々です。

298 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(11) 23-06-2008(火)

 pimaのアルペジオは<踏み込んで><おまけ><おまけ><おまけ>の強弱弱弱(先週&先々週のコルムナ)。つまり、アルペジオはimaではなく、親指で弾くのです。ただし、親指自体の力ではなく、力を使わずに手首の回転による遠心力の勢いで親指を打ち込む勢いにimaを無理なくリラックスして乗せてしまうことにあります。
 さて、<おまけ>とは言えimaは気を抜いて弾けと言う訳ではありません。ただ、imaはあくまで親指を打ち込んだ勢にのついでに弾いてしまうことです。奏者自らが自分でimaを動かして弾こうとしないことです。ここが肝心なのですが、読者の皆さん、分かりますか?
 極論すれば、懸案のアルペジオに限らず、これが分かればギタ-人生が変わります。読者の皆さん、とにかくギタ-は指で弾くのではなく、指にギタ-を弾いてもらうことです。上手い人は皆無意識の内にそうなっているはずです。それでも、どうしても指で弾きたければ親指で弾くことです。もちろん、それはこのところ散々コルムナして来た様に親指自体の力ではなく、遠心力による親指の打ち込みに拠ります。
 しかし、実際のアルペジオでは遠心力を付けるためにそんなに一々親指を振りかざしていられない・・・でしょうか? やってみましょう。

2008-06-16

323 地震よりサッカ-だ、スペイン人 17-06-2008(火)

 日本は先週土曜日岩手宮城内陸地震。四川大地震に比べれば極端に死傷者の数が少ないせいか、スペインでの報道は土日のみ。アジアには中国しかないと思っている連中が過半数を占めるこの国でも地震大国日本の耐震設計は有名なのだが、同情してもらうには御日柄が悪かった。
 ヨ-ロッパもスペインも諸手を挙げてサッカ-ユ-ロカップ(欧州選手権)の真っ最中。しかも、地震発生の土曜日はスペインが劇的な試合でフィンランドを破って決勝リ-グ進出を決めた正にその日なのだから地球の裏側の大惨事など馬耳東風。
 そんな中同じ日の新聞の生活欄にスペインは物価と事業の、英語に訳せば再アジャストが必要だとの社説があった。サッカ-のバカ騒ぎに隠れて人知れずひっそりとした社説と言う印象は否めない。確かに人は皆我が身に火の粉が降りかかるまでは何事も経験として身に沁みることはないのだが、超楽天主義のラテン民族なら尚更そうだ。今のところ、来るべきバブル崩壊とそれに伴う経済危機など丸っきり人事と思っているらしい。
 それでもガソリンの急騰で輸送業界のストが相次いだり、世界的な生活必需品の大幅値上げなど庶民も感じるところはあるのだろうが、この社説で“~が必要だ”と言っている以上、本番はまだまだこれからだと経済の専門家は見ていることになる。

 勤勉な人の計画は利益をもたらし、総て慌てる者は欠損を招くだけだ。-----或る昔の偉い人

 そして、人知れずひっそりと社説に注意していない限り本番は大地震の様に突然襲って来るのかも知れません。
 他人事みたいな社説より華やかなサッカ-ショ-に目移りするのが人情でしょう。しかし、サッカ-ショ-こそ実は所詮他人事だとすれば、花と実を丸ごと取り違えて欠損を招きます(コルムナ320&321)。
 以前旅行者からもらった日本の週刊誌にアメリカのサブプライムロ-ンショ-の記事が載っていました。『アメリカ人の気質が質実剛健にならない限り、この危機を乗り切ることは出来ない』とのコメントが印象に残ります。日本でも質実剛健など火星人の戯言みたいに訳の分からない若い世代が多くなって来てはいないでしょうか(先週のコルムナ)?
 質実剛健なら人は花より実に価値観を持つはずです。サッカ-ショ-はそれからでも間に合います。
 ところで、日本語ではいつから大地震を“おおじしん”と読む様になったのでしょうか!?

297 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(10) 17-06-2008(火)

pimaのアルペジオは<踏み込んで><おまけ><おまけ><おまけ>の強弱弱弱(先週のコルムナ)。これは良く考えてみれば多くのギタ-奏者の固定概念と全く逆ではないでしょうか? つまり、pimaのアルペジオは当然『弱強強強』じゃないかと言う訳です。因みにこの場合頭の弱には『pなんか一番簡単やないか:pなんかおまけでええわ:それよりimaの練習せんとあきまへん』と言う意味が込められています。アルペジオとはimaの技だと思い込んでいればpは軽視されるのもある意味当然かも知れません。
 しかし、スポーツは足腰、アルペジオは親指の踏み込みなのです(同295)。pを踏み込めば手腕が安定し、imaはそのままpを踏み込んだ勢いに乗せてしまいましょう。 
 ima自体の力ではなく、imaを毎日基礎練習で肉体的に鍛えるのでもなく、imaは全くリラックスしたままpを踏み込んだ勢いに乗せてしまうことです。
 前文の前半と後半では雲泥の差があります。これこそ上手い人と下手な人、これが分かればギタ-人生が変わる分岐点と言ってもいいのです。
 そして、これこそ懸案の右手各指の独立性の秘訣です。このところ右手親指を踏み込むことばかりコルムナしていますが、実は左手、そして、右手各指の独立性についてコルムナ246から延々と続いていると言うのが大きな流れです。メインテ-マは各指の独立性です。右手に入ってからはまずスケールにおけるimaの独立性(同266~275)。次にアルペジオに入り、今に至っている訳なのですが、その結論は親指を踏み込むこと自体ではなく、親指を踏み込む勢いにimaを力まず乗せるからこそima各指に独立性が養われ、アルペジオが自然に上達することにあります。 
 ima各指を筋トレ的に鍛えるからこそ独立性が養われるのではありません。全く逆です。力を抜くからこそ独立性が養われて上達します。これは右手左手のどんな技の場合も同じです。
 アルペジオに限らず右手左手の指がどうもすっきりしない読者の皆さん、そこに力が足らないのではなく、余計な力が入り過ぎなのです。余計な力が入り過ぎなのでギクシャクして各指の独立性が失われ音が出ないのです。振り回さなくても力を抜いてジャストミ-トするだけでシングルヒットにはなります。もちろん、手腕の軸がぶれずにです。そのためにもこのためにもしっかり親指を遠心力で打ち込みましょう、力を抜いて(同294)。

2008-06-09

322 セ-ラ-ム-ンになった女子高生 10-06-2008(火)

 ちょっと時期はずれるが、日本では入学式から2ヶ月。知り合いからこの4月高校生になったばかりの娘の写真が送られて来た。筆者も昨年帰国の際に会ったことがある。
 手紙に拠れば希望通りセ-ラ-服が制服の第一志望校に合格!? 意味不明だが、この娘はスペインでも大人気を博したセ-ラ-ム-ンが大好きで、どうしてもセ-ラ-服を着た女子高生になりたいと、そう言えば筆者にも言っていた!? これが進学理由の総てではないだろうが、ほとんどそうだと言う顔はしていた。勉強大嫌い、バラエティ-大好きの傾向と対策から鑑みれば、今後果たして日本の将来を担う青少年になれるかどうかは疑わない方が失礼に当るだろう。
 親も希望を適えた可愛い娘の写真をわざわざスペインまで送って来るのだから、親バカとは良く言ったものだ。もちろん、写真に写る娘はセ-ラ-服で髪を染めて笑顔でVサインポ-ズ。筆者が子供の頃Vサインと言えば、サインはVか、ホームの影から甲子園に向かう息子飛雄馬にVサインを送る星一徹と言う深い意味があったものだが、どうやら21世紀のVサインはミ-ハ-の証に成り下がってしまった感がある。

 あなた方は自分が何を求めているか分かっていないのです。-----或る昔の偉い人

 う~ん、どうしようもない。ここまでやられたら返すことばもありませんな。これがスペインならすぐさま酒、タバコ、ディスコ、麻薬、不順異性交遊へお決まりの電車道なのですが、今の日本はどうなのでしょう。
 もっとも、そうではない価値観を植え付けてやれなかった親も娘以上にバカなのですが、筆者としてはもはや本人が痛い目に遭わない様に祈るしかありません。舞鶴の事件は人事ではないはずです。
 人生何を求めているか分からない人は何も得るところはないし、求めるものが軽薄なら軽薄な実を得て軽薄に喜ぶだけ。当たり前の軽薄の方程式なのです。もっとも、こう言う性格ならストレスを溜め込んで、トラックで突っ込んで無差別に人を刺す様な人間になることもないでしょうが・・・。合掌・・・。

296 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(9) 10-06-2008(火)

 さて、アルペジオのコルムナなのにひたすら親指を打ち込んだ過去8週間。今週からはいよいよimaの登場でやっとアルペジオらしくなって来ます。
 ただし、アルペジオの基礎はあくまで親指であり、親指を打ち込むからこそ右手腕が安定し、その結果imaも安定してアルペジオが上手くなり、逆に、親指を親指自体の力で低音弦に触れるだけの弱々しいタッチなら右手腕がぶれ、その結果imaもぶれてアルペジオが一向に上手くならないのが多くの奏者の現実です。
 再度アルペジオにおける軸は親指で、imaはあくまでおまけであることを頭に入れて、今週からはimaについてです。
 例えばpimaの4連アルペジオ(pは⑥&imaは④⑤⑥弦)を例にやってみます。
 まず、先週まで散々コルムナして来た様にpを⑥弦に腕の軸の回転による遠心力だけで打ち込んでみましょう。絶対に親指自体は力まず、遠心力に任せます。例えば⑥から5cmほど親指を上に上げてそこから腕を軸を回転させるついでに弦に当てます。タッチは深め。アポヤンドで⑤弦に止めて下さい。クラシックギタ-で私は親指はアポヤンドしないと言う読者も、取り敢えずアポヤンドして下さい。
 右バッタ-になった気持ちになって、ボールが飛んで来たその時に左足を踏み込むことを想像しながらやってみましょう。
 腕の軸の回転による遠心力で踏み込んで⑥弦に当たった親指が⑤弦に止まった時、踏み込んだことによって手腕の軸が安定した感触を探してみて下さい。右バッタ-が左足を踏み込み時、足腰が安定して、当たればより強打になるのと同じです。
 踏み込んだことによって手腕の軸が安定したら、その勢いのついでにimaを順次爪弾きます。ついでです。アルペジオの本質は親指にありますので、imaはあくまでついでであり、おまけです。おまけなら注意せず惰性に流すので十分です。
 pimaのアルペジオは<踏み込んで><おまけ><おまけ><おまけ>の強弱弱弱。pだけ弾いて、imaはpの勢いに乗せる便乗アルペジオで行きましょう。
 ただし、imaは弱とは言えタッチは深め。そうすれば弱のくせに音はこのコルムナを読み始める以前よりかなり大きく芯のある音になっているはずです。これが実感出来ればアルペジオ開眼も間近です。

2008-06-02

321 スペインのひまわりの花と実(2):再々々放送 03-06-2008(火)

 今年のスペインの夏は猛暑が予想されています。スペイン名物辺り一面のひまわり畑にとっては思う壺か!? 

 ≪人は花だけに目を奪われがちです。しかし、貴方の目に映っているあのこと、羨ましいと思っているあの人、カッコイイと憧れているそのこと、やってみたいこのこと・・・。これらは果たして花か実か良く吟味すべきです。    
 花だけ追求すれば、実を追求しないのですから実が残らない、つまり『収穫がない』のは当然です。人生に虚しさを感じる人は追及して来た花が散って実が残らなかったから失望しているとも言えるでしょう。  
 他人の喧嘩と対岸の火事とスペインのひまわりの花は大きい程宜しいと言うのは所詮野次馬根性です。しかし、当事者(農夫)にとってはいくら花が咲き乱れ様が種の収穫がなければ総ての苦労は水の泡なのです。
 他人事なら花だけ面白がる野次馬根性でも害はないかも知れません。しかし、当事者、つまり自分の人生で花だけ追いかけて虚しさを収穫すれば、総てとは言わないまでも多くの苦労は水の泡です。
 もちろん、日本で忙しい生活を送っている人が息抜きにひまわりお花見ツア-でスペインに来て気分転換するのが悪いのでも何でもありません。しかし、旅行業界だろうが何だろうが人が実よりも花に目移りする傾向にある以上、世の中実(真に価値あるもの)よりも見栄えのする花の方が多くなるのは金と物第一の資本主義社会、そして、間違った意見でも過半数を占めれば正論となる民主主義社会の鉄則とも言えます。
 例えばツア-を売るためには旅行代理店にとってもお客にとっても正論は花、しかし、農夫にとっての正論は実です。貴方の人生の『正論』は花でしょうか、実でしょうか。私達人間が人生と言う畑を耕す農夫だとすれば、尚更この点について明白な価値観を持つことが大切です。


 嘘は花は咲かせるが実は成らせない。-----或る昔の偉い人

 先々週の繰り返しになりますが、現実、真実、誠実でないこと、つまり、実がないことが広い意味で嘘なのです。もちろん綺麗に咲いた花は大いに結構なのですが、散った後実を結ぶ様な咲き方かどうかが問題です。
 もう一度4月29日のコラムをご覧下さい。一日何十万の収入、高級マンション・・・。嘘で咲かせた人も羨むド派手な花が散った後の収穫の実は一日千円に事欠く哀れな老後。他人事ではありません。
 日本語情報センタ-はスペインの花の情報はもちろん、それを元に小さくても確実な収穫の実を結んでいただくための確かなきっかけを差し上げたいと思います。続けてスペイン週間コラムをお読み下さい。

295 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(8) 03-06-2008(火)

 さて、タイトルにもある様に最近のコルムナは親指を打ち込むためではなく、アルペジオのためのコルムナです(1~)。
 一体何のことか面食らう読者もいるかも知れませんが、この力を抜いて親指を打ち込むことなしにアルペジオ上達もまたあり得ません。中には親指を打ち込まなくても私はアルペジオは得意だと言う読者もいるかも知れませんが、そう言う人は自分では気付かないだけで無意識の内に親指を打ち込むかの如き弾き方になっているはずです。
 それでも、いや私は絶対にそんな親指の弾き方はしていないけれどアルペジオには不自由していないと言う人がいれば、それは親指は打ち込んではいないけれども右腕の軸がぶれていない人でしょう。
 そもそも『親指を打ち込むことによって右手腕のグラつきがなくなり ⇒ imaもグラつかずその独立性を増し ⇒ アルペジオも上達する』と言うのがこのところのコルムナの概略です。もし、読者の中に親指を打ち込まなくても右手腕がぶれないで私はアルペジオが弾けていると言う人がいれば、そう言う人は親指にこの打ち込む感じの弾き方を加味すれば、アルペジオはもっと音量を増し、もっと上手くなります。
 バッティングも突っ張りも空手チョップもサ-ブもスマッシュも何でも踏み込まなければ小手先です。技は利きません。ギタ-も同じです。アルペジオも親指を踏み込まなければ技(ima)は利きません。
 アルペジオはimaの技のことだと思っている読者の皆さん。小手先ならぬ、指先(ima)だけの技なら利かないのがむしろ当たり前です。
 アルペジオは親指(p)です。先週まで述べてきた様に、力を使わず、遠心力で踏み込んで初めてimaの技も活きて来ます。
 来週からはいよいよimaを加えましょう。それまでに親指を打ち込む練習をしておいて下さい。