スペインの月曜の朝刊と言えば日曜のサッカ-リ-グの試合記事が目を引く。そして、来月9日の総選挙の集会や演説のニュ-スも今たけなわ。昨日の新聞もそんな調子だったが、良く観察するとサッカ-も選挙も共通項があることに気付く。それは両者共相手に対する思いやりに甚だ欠ける点である。
先週の2リ-グB(実際は3部リ-グ)のある試合で判定に不服だった監督と選手何人かが試合後審判を待ち伏せ暴行。刑事事件となった。下の方のどうでもいいチームなので全く大したニュ-スになっていないところがまた凄いが、確かにヨ-ロッパプロサッカ-はいつもこんな臭いがする。『審判、どこ見とんねん、ボケ!!』など通常の会話であり、暴言の内にも入らない。観客の野次も極めて汚い。
一方、選挙演説では教養あることばをしっかり選んで相手を心からけなし落とすべく、さすがに政治家は頭の良い集団だと思わされる。そして、与党も野党も少数政党もライバル政党への批判と自らの政策で社会を変えるどうこうとの論調になる。もっとも、これは例の滅法気が強いいけ好かないアメリカのおばはんも含めて世界中どんな国のどんな選挙でも同じことだろう。
しかし、変えると言うことは既存のものが悪いから変えると言うことだろう。ではいつどこから何が悪くなったのか?
人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人
もう昔の話ですが、何かの本で人間の歴史をある巨人の像に例えた記事を読んだことがあります。頭は純金、胸と腕は銀、腹と大腿部は青銅、すねは鉄、足は一部が鉄で一部が粘土・・・。つまり、歴史が進むに従って、人間の価値もこれらの金属の質の如く落ちて行くことを表すそうです。一概に昔の方が良かったと言うのも知恵がありませんが、残念ながら人が悪く変わるに比例して現代社会もドス黒く変わりつつあることは全く当たっていると言わざるを得ません。それを政治家が政策を講じて良く変える!? 政策だけで社会の構成員である人の質を度外視しているのなら知恵がありません。それが証拠に誰が大統領や首相になろうが、スペインもアメリカも今より大して良い社会に変わりゃしません。“美しい日本”とか言って、すぐに看板倒れになった日本とて同じです。
それにしても、川が下流になるほど水が汚くなる様に、人間の歴史も下流の下流に差しかかっているとすれば、金属どころか鉄と泥!? 審判を待ち伏せしたこれらの監督や選手の如く、フェア-プレ-の精神を失った技量の高いスポ-ツの如く、自分への思いやりだけは人一倍の多くの人の如く、そして、鉄と泥の合体技の如く、強い様でもろいのが思いやりのない人間の正体かも知れません。
来月始まる選抜高校野球ではまさか高校球児が『審判、どこ見とんねん、ボケ!! 』とは言わないでしょう。要は思いやりの問題です。思いやりとは何でしょう? 太陽と北風のことじゃあ~りませんか?
2008-02-25
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