筆者の手元に大昔の日本のギター雑誌があり、20世紀最高のクラシックギタリスト、アンドレス・セゴビアが次の様に言ったと記されています。
上手く弾けるなら足で弾いても良い。
これについてある日本人ギタリストが次のコメントを残しています。
前後の脈絡がないので本当に意図したところを取り違えるかも知れませんが、推量してみますと二つの考え方があります。
まず、文字通り上手く弾けるなら足で弾いても良いです。曲芸的な見世物なら話は別ですが、実際にはあり得ないこととしても、現在あるギターの弾き方よりも良い方法があるなら、既成概念に捉われず柔軟な考えで、自由な姿勢で自由な弾き方をすれば良いと言う考えです。
これは余談になるかも知れませんが、イエペスには従来とは全く異なる着想の技術や運指がありました。例えばイエペス編集のスカルラッティのソナタ・ト長調は大変良い曲であることもさることながら、左手の親指を押弦に使うことでも有名です。チェロの奏法からヒントを得たのではないかと推察されますが、大変な着想だと思います。これなどはもしかすると「上手く弾けるなら・・・」の一つの実践例ではないでしょうか。
もう一つの考え方は正反対で、あきまでも現在ある姿勢、現在ある弾き方が良いのだと断定しているという解釈です。もし、大胆に推理を許していただけるなら、数十年に渡ってギター界の頂上に君臨して来た人のことばとしては「上手く弾けるなら足で弾いても良い。だが、足に限らず他のどの方法でも上手く行くはずがない。現在の方法が一番良いのだ。」と考えるのではないでしょうか。
以上二通りの解釈を併記しましたが、どちらにも解釈出来るので困ってしまいます。強いて私の考えを述べると後者ではないか思います。
次回は筆者の解釈をコルムナしてみましょう。
2012-04-02
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