2011-01-31

458 一喜一憂レ-ト換算 01-02-2011(火)

 今日から2月です。スペインでは通称2月の坂と言います。クリスマスとイ-スタ-の狭間で特別国民的催しも連休もなく金もなく、市民も商店も窮して上る坂と言う意味です。世界的不況で今年はなお更でしょう。
 日本国内で円で暮らしている日本人の皆さんには余り興味にないことですが、こちらに住んでいるとやはり円とユ-ロのレ-トが気になります。
 そこで、先週木曜日の日本の国債格下げのニュ-スに1ユーロ=113円代後半まで円が急降下。収入源のスペインギタ-が円決算の筆者はありゃ~と思わず頭を抱えましたが、同時に発生したエジプトの騒乱のおかげで、2日後には原油上昇⇒ニューヨーク株大幅下落⇒ついでに円が対ユーロでも上昇し、1ユーロ=111.78円まで急降下。そして、今日は少し持ち直して112円台半ば。
 日本の国債格下げですから、これは一時的ではなく、少々長期の円安が続くのではないかと日本の輸出メ-カ-が安堵したのも2日間。まさかのエジプト騒乱であっと言う間に元の木阿弥。風が吹いて桶屋ではありませんが、今度は筆者が安堵しました。ヨ-ロッパへの日本人旅行者もそうでしょうが、輸出に頼る日本経済全体の観点から見れば円高は良くないことですね。

 この世と調子を合わせてはいけません。-----或る昔の偉い人

 しかし、これじゃあまるでジェットコ-スタ-です。確かに、リ-マンショック前のユ-ロバブル全盛期に比べれば、ユ-ロはそれ相応のレ-トに落ち着いていると言えなくもありませんが、国債が格下げされるほど日本経済自体の景気が悪いのに、それに反比例するかの様に円が異常に強過ぎることが不気味ですし、今回みたいな国際規模の大事件が今後も頻発しそうな世界情勢はもっと不気味です。
 冷静に見つめれば、格下げされた国債に比例して、円ももう少し価値が落ちるべきなのが日本経済の現状であり実力でしょうが、そうならないところに不気味な不安定感を感じます。何かあったらあっと言う間にこける・・・。そんな現在のスペイン経済みたいな不安定感抜群で明けた2011年の日本経済と世界経済かも知れません。
 それもこれも金と言う価値観が根底にあるから起きる問題です。いえ、根底どころか金そのもの。
 日本語の言い回しで他に考えることはないのかと言うのがありますが、他に価値観はないのかと圧倒的大多数に調子を合わせないことが意外と人生幸せの秘訣の一つかも知れません。
 
  

432 マヌエル・カ-ノ先生のギタ-吟味(5) 01-02-2011(火)

 人間もそうですが、個性のない奴は面白くない。ギタ-もそうなのでしょう(先週のコルムナ)。それに、良いギタ-を形容するのにこのギタ-(の音色)は個性があるとは故マヌエル・カ-ノ先生だけではなく、筆者の経験では多くのギタリストの口にする表現ですので、これは万人に共通のギタ-選択基準と言えます。
 次に、これまたマヌエル・カ-ノ先生の口にしていた表現ですが、このギタ-は歌うと言うのがあります。
 これまた分かり難い言い回しです。つまり、歌わないギタ-は悪いギタ-だと言うことでもありますが、一体どう言う意味でしょう?
 マヌエル・カ-ノ先生に師事した先輩の吉川二郎氏に、ある時日本語情報センタ-でベルンド・マルティン作タレガモデルを試してもらったことがありました。まず、筆者が音合わせしていると、その時まだ触ってもいなかった吉川氏がこれはええと言いました。しかも、筆者の記憶では、筆者が僅かに①弦だけ単音を数音弾いた時点でのことでした。名人は名器を知る、しかも初見で知るとでも言いましょうか。単音を爪弾いて、或いは、コ-ドを押さえて掻き鳴らすだけで果たしてこのギタ-は歌うか否か、聴く耳を持っている人は即座に利きます。
 この時吉川氏がこのギタ-は歌うと言ったかどうか覚えていませんが、筆者がもう少し加えて説明するとすれば、それはこのギタ-は自ずと歌うと言うことです。

2011-01-24

457 異国で孤独死 25-01-2011(火)

 昨年末の話になりますが、今は観光ガイドをやっていない、マドリ-ド在住の昔の同業者がやって来ました。
 色々向こうの日本人観光ガイドの話を聞きましたが、皆不景気で参っているとのこと。仕事が無くて日本に逃げて帰った奴、そして、幸い筆者の知っている人ではなかったのですが、死後数日経って発見された孤独死が3人・・・。
 筆者もこちらで10年間やった日本人観光ガイドは個人業。仕事がなければ収入もありませんが、仕事がない日は完全休養日。日本に居て仕方がないから働く日本人読者から見れば何と自由気ままな生活、しかも、海外で。何と羨ましい・・・、と思うかも知れませんが、金の切れ目が滞在の切れ目。日本に逃げて帰るしかありませんし、国際結婚でもしていればもっと切れ目でしょう。

 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。-----或る昔の偉い

 それにしても、孤独死とは本人も想像してなかった人生の幕切れじゃなかったでしょうか? それも地球の裏側で。あこがれのスペインに来たのが良かったのか、悪かったのか・・・。
 そう考えてみれば、海外に出ようが、日本に残ろうが、それ自体は人生の本質でも何でもないのでしょう。ましてや、最近流行りの日本からの現実逃避で羽を伸ばすのが目的では人生の本質もへったくれもないのはどこの国に逃げて行こうが同じことかも知れません。大切なのはどこに行こうが自らの目的と意思をはっきり持って、軸がブレないこと・・・。
 と思って海外に出ようが、日本に居ようが頑張っている日本人だって結構いるはずです。筆者もそうかも知れません。しかし、自分の目的と意思をはっきり持ってはいても(持ってないよりはましですが)、それ自体実は卑しい利得を求める我田引水的人生だったりするのが、実は多くの人の生き方かも知れません。
 心からそうすることは軽薄より遥かにましですが、その動機と対象が不適切であれば、結果としてそれは心から卑しい利得を求めてしまっているのかも知れません。
 何を心からそうするのか・・・。ある意味これは人生のテ-マかも知れませんね。

431 マヌエル・カ-ノ先生のギタ-吟味(4) 25-01-2011(火)

 このギタ-(の音色)は個性がある。直訳すればマヌエル・カ-ノ先生はこんなスペイン語の表現を使っていました。もちろん、いい意味です。
 逆に言えば、個性のない音色のギタ-はどんなに音量があろうが、ただ単に大きな音が出ているだけ、それがどうかしたのか?
 肥えた耳のギタリストにとっては、どんなに音量が大きかろうが、音色に個性がなければ『それがどうかしたのか?』と思われてそれでお終いなのですね。
 指は良く動いてテクニックはあっても、表現力のない演奏みたいなものかも知れません。聴く耳のない聴衆ならコンサ-トでこのギタリストの指は何でこんなに動くんだろうかとか、おかしな感動をするかも知れませんが、肥えた耳の聴衆なら演奏が如何に歌っているかで感動もし、がっかりもするでしょう。
 同様にギタ-選択も、かなり弾ける人でも結構音量で選んでいるのが実情じゃないでしょうか? しかし、大きいコップと小さい盃の2杯の酒を利く利き酒職人(先週のコルムナ)が大きいコップの酒の方が飲み甲斐があるからこっちが旨いと訳の分からんこと言うでしょうか?
 個性のある音色かを利くには少し舐めれば十分です。音量ではありません。
 単に音が出ている以上の独特の味のある音。それが個性ある音色です。ますます分かりませんけど、ま、そう言うことです。

2011-01-17

456 猫以下の人間かクレクレタコラ 18-01-2011(火)

 クリスマス終わって現実の山河有り。
 それでなくても人生は山有り谷有り河有りなのに、1月6日に消費経済泥酔クリスマスが終わってふと自らを省みれば、金はないが確かに掌中にあるクレジットカ-ドが現実の多くのスペイン人。
 そのない金さえ使わせ様とクリスマスが終わった翌日から国家総動員体制で雪崩の様な50~70%割引バ-ゲンで儲けはないが金を回して行かなければもはや立ち行かない中小規模商店。それでも首都マドリ-ドにおけるバ-ゲンでの平均消費額は一人約95ユーロ(約11200円)、筆者の地元グラナダで約85ユ-ロ(約10000円)。
 我慢が出来ないスペイン人はクレジットカ-ドでの買物が増えているそうです。
 ところが、新聞記事を良く読めばその理由は、例えカ-ド後払いロ-ンで利子を払ってでも生活レベルを落としたくないから!? この生活レベルを落としたくないからと言うのは日本でも詐欺師が捕まって良く口にする苦し紛れの言い訳じゃないですか?

『欲望の墓』とは何と余韻に富んだことばであろうか。世の真相はこの一語に尽きている。人は欲の化身として存在しているではないか。彼等の終わりはみな『欲望の墓』である。-----或る昔の偉い人 

 飛んで火に入る夏の虫さんも、実は飛んで行けば焼身自殺と分かっているのかも知れませんが、それでも魅力的に映る火を見れば頭から飛んで入りたくなるのがその習性なのでしょう。
 同様に猫に鰹節、金銭物欲礼賛者にクレジットカ-ドだとしたら、目の前にチラつかされると我慢出来ないその共通の習性を差し引いても、まだ猫の方がましな人間ですよね?
 いや、タコかも!? クレクレタコラにクレジットカ-ド持たせちゃマンガです。
 筆者はどんなに安かろうが必要ない物は一切買わないことにしています。資本主義の敵でしょうね!?

430 マヌエル・カ-ノ先生のギタ-吟味(3) 18-01-2011(火)

 日本の利き酒も、スペインで言えばワイン、オリ-ブオイルを利く職人も、そして、ギタ-を見極める故マヌエル・カ-ノ先生も、僅かの試飲でギタ-の良し悪しを見極めていました。利くためにはコップ一杯時間をかけて飲み干す必要はありません。肥えた舌の職人なら一口二口で十分なのはギタ-に限らず楽器も同じことなのでしょう。
 ではマヌエル・カ-ノ先生に限らず耳の肥えたギタリストは弾き始めてすぐ一体何を感じるのでしょう?
 一口二口で酒を利く利き酒職人と同じなら、ほとんど一瞬で良し!!と納得する食感です。舌触りです。耳に心地良い音色です。
 そんなこと言ったって、ギタ-ならどんなギタ-でも弾けば音色位するでしょう? それは一体どんな音色なんですか、先生?
 そりゃあ、味とコクだよ。違うのが分からんのかね? と言われても、利く耳を持ってない我々凡人にはそう簡単には分かりません。
 確かに味とコクが違うだろと言われても、個人の感性ですから所詮ことばにはなりませんが、それでも何とか次回からマヌエル・カ-ノ先生の感性をことばにしてみましょう。
 

2011-01-10

455 伊達直人かクレクレタコラか 11-01-2011(火)

 継続は力なり。これは日本語情報センタ-サイトTopペ-ジに設立当初からデカデカと書いてあります。確かに人生何をやっても続くでなければそれでお終い。力とはなりません。
 例えば、今日本で去年のスペインのサッカ-ワ-ルドカップ優勝凄かったなとか言っている奴がまだいるでしょうか? いないでしょうね。スペインでさえ皆無です!? もう過去のことなのです。どんなどデカイ打ち上げ花火も、続くでなければ連続テレビドラマにはならないのです。
 その点今年早々これこそ時空を越えた継続は力なりじゃないのかと思わされたのがタイガ-マスク&伊達直人のランドセル配布事件。40年前のマンガですから、これはもう時空を超えたと言っていいでしょう。
 このニュ-スを最初に読んで筆者が最初に思い付いたことばが継続は力なりでした。当時は高度成長期をそのまま反映したかの如く元気が良かった日本スポ-ツ界はメキシコオリンピック後ミュンヘンオリンピック前の全盛時代。バレ-は男女とも必ずソ連と決勝を争い、プロ野球は王長島の円熟期。追随する様にアタックナンバ-1巨人の星などスポ根テレビマンガが大ヒットとなったのも時代の流れだったのでしょう。そして、プロレス界は後に袂を別つ20代の故ジャイアント馬場&アントニオ猪木がまだ同じリングで闘う毎週金曜夜8時のゴ-ルデンタイム。その同じ団体に所属するタイガ-マスクの時代背景と設定でした。それてにしてもこんなおじさん(当時はお兄さん)が主題歌(一瞬タイガーマスクと若き日の馬場さんが見える)&副主題歌を歌っていたんですね。上手い。

 継続は力なり。-----或る昔の偉い人

 孤児の伊達直人が覆面レスラ-となってファイトマネ-をみなし子ハウスに寄付するとは日本人好みの浪花節過ぎるかも知れませんが、今回のランドセル事件で伊達直人を知らない世代にまで伊達直人を日本中に広く認知させたことは紛れもなく時空を越えた継続は力なりじゃないのかと筆者は思った次第です。それが40年後なら、なお更そうに違いありません。仮に正体が割れてどこかの金持ちがゲ-ム感覚でやっていたとしても、継続の力の原動力は40年前のタイガ-マスクにあるのですから、それ自体は大した論点ではありません。
 それは取りも直さず、受けたファイトマネ-を与える価値観がこの40年前のテレビマンガの根底にあったからじゃないでしょうか? 与える価値観だからこそ40年の時空を超えて時代と天の摂理が再びヒ-ロ-伊達直人を歴史の最前線に呼び戻したと言えば飛躍し過ぎでしょうか?
 それが証拠に、一体どこの誰が今頃何でも欲しがるだけの価値観クレクレタコラなんか覚えていますか? 筆者は良く見てましたけど。
 人生は究極のところ自己愛か隣人愛か、受けて嬉しいのか与えて嬉しいのか、そして、人生は突き詰めれば伊達直人クレクレタコラか、人はどちらかの価値観に支配されて賞賛か罵声の冠を受けるのです
 今は40年前に比べて同棲に不倫に離婚ラッシュに幼児虐待は目を見張るものがあります。伊達直人タイガ-マスクも知らないクレクレタコラ世代同士が発情期を愛情と間違えた結晶の子供達が一番の被害者です。もしかすると40年後の今こそより多くの伊達直人が必要な時代であり、我々は2011年正月早々甦った伊達直人の正夢を見ているのかも知れません。

429 ギタ-と理学療法士 11-01-2011(火)

 先週理学療法士の男性と話をする機会がありました。ギタ-も弾く人なので、少しためになることを教えてもらいました。
 まず、誰でもいつの間にか無意識の内に右の肩だけ上がってしまったりすることがあります。それは人間の筋肉には自律性(とかそんな医学用語を使っていた)があり、つまり、常に脳からの指令に従うのではなく、勝手に作動する性質も持ち合わせているそうです。
 例えば、筆者はペンを持つとそれだけで右腕に必要以上に力が入るのが分かります。そこで力を抜こう抜こうとする、つまり、脳から右腕に力を抜けと命令が行く筈なのですが、筆者の脳がおかしいのか、腕がおかしいのか、何故か力は上手く抜けてはくれません。
 そこで、この場合腕から力を抜く秘訣は何でしょう、先生? それは腕のこと忘れることだよ!?
 一見無責任な答えの様で、ギタ-を弾く筆者には当を得た答えであることがすぐにピ~ンと来ました。
 アルペジオを弾きながら段々腕が力んで音が小さくなって来た。力むなと脳が命令しても急に力が抜ける訳じゃない・・・。そこで、力まず弾くコツは指のこと一切忘れること。人間忘れた所に力は入らないことになっているのです。それには演奏中指のことは忘れて歌心に興じていること、この曲を如何に歌わせるかに神経を集中すること。そしたら、忘れられた指は力むことなく最小の力で最大の音を奏でていますよ・・・。
 以前確かにギタ-は如何に指で弾かないか、結局最後は指ではなく歌心に帰着することをコルムナしましたね。そんなことを再確認したこの理学療法士さんとの会話でした。

2011-01-03

454 与えて嬉しい謹賀新年 04-01-2011(火)

 新年明けまして大変な一年でしょう。今年も宜しくお願いします。
 こちらは明後日までまだクリスマス。長い。え~加減にして☆~。しかし、明日5日は東方三賢士の日と言って、子供へのプレゼントの日。これが子供だけに終わらず、大人も結構欲しがるのが始末に終えないスペイン人の大の大人。そして、6日最終日は当れば数億円のクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ第2弾。これが終わらなければ、いや、このためにこそクリスマスはあると思っているスペイン人が圧倒的大多数なのはその行いから明らかです。
 早い話が徹底的にキリスト様を利用しまくる一人欲望クリスマス(バレ-の一人時間差から引用)。
 しかし、そこに密かに公然と忍び寄る現実の魔の手(厳密に言えば現実さんは悪くはないのですが)。元旦から早速電気代9.8%値上げ。値上げも情熱的に一気飲みみたいなスペインだったりするのが庶民の正夢なのですから、宝くじに総てを賭けて当らなかった連中には戦意喪失のカウンタ-パンチでしょう。世の中デフレでも、借金財政の市町村は公共料金を上げざるを得ません。もちろん、給料は据え置きかカットで公共予算も軒並みカット。
 リ-マンショックの時は庶民はまだ貯金があったので持ち堪えたが、今度は貯金も大してないと言うのが巷の噂。
 例えば、ちょっと古いですが、先月12月20日の地元新聞の一面は埋葬費も払えない連中は親族の遺体を医学部への検体するのが増えている!? ほどんどブラックユ-モアです。日本じゃウィ-クエンダ-ものでしょうね。

 何が原因であなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたの体の中で戦う欲望が原因ではありませんか。-----或る昔の偉い人

 戦いや争いの代わりに金欠病と置き換えても十分味わえる金言じゃないでしょうか? 回り回って欲望故の、欲しがるからこその世界的不景気に金欠病なのです。
 欲望は人のことは思いません。自分とせいぜい自分の家族のことだけです。
 それが何で悪いんだと言う人もいるでしょう。一生懸命仕事して自らと家族を養うのは当り前です。それ自体悪くも何ともありません。しかし、これに世のため人のためと言う社会的責任感が伴わなければ、それは広い意味で自らの欲望を満たしているだけの話です。
 こんなこと一生やっている奴は利口じゃないですよね。自ら好んで絶え間ない戦いや争いに巻き込まれて巻き込んでいるんですから。
 体の中で戦う欲望とは欲しがることでしょう? だったら、欲しがる価値観から与えて嬉しい価値観に換えりゃあいいだけのことなんですよ。

428 マヌエル・カ-ノ先生のギタ-吟味(2) 04-01-2011(火)

 筆者の師匠故マヌエル・カ-ノ先生のギタ-選択基準と言いますか、弾き始めてせいぜい1分ほどで見極めていた様です。
 まず、どんなギタ-でもこりゃ酷いとか言うことはなく、どんなギタ-でもそれなりの良い評価を口にする先生でした。ただ、それは例えば生徒が持って来た如何にも中堅クラスのギタ-で、弾く前から特別秀でたギタ-ではないことが分かっていた様な場合で、やはり、ギタ-コレクタ-としても有名だったマヌエル・カ-ノ先生の耳は、少し舐めただけで微妙な味の違いも看破する利き酒職人の舌の様に敏感でした。  
 そして、利き酒職人が少し舐めただけで善し!!と相槌を打つ様に、先生もいいギタ-に初めて出会った時の反応は即座でした。利き酒職人が利くためにコップ一杯の酒を時間をかけて全部飲み干す必要はないこと位想像がつきます。同様に、良いギタ-かどうか見極めるのに、熟練者はほんの僅かな時間で十分なのでしょう。
 もちろん、第一印象が良くても、弦楽器ですからフレットによって音量にバラつきがあるとか、そう言ったことは大いにあり得る話ですが、そう言った細部は別として、あくまで初見で良いギタ-かどうか大まかに、しかし、確かに聴き分ける耳のことです。
 それは・・・。