2008-07-15

327 スペインで阪神ファン 15-07-2008(火)

 先週大阪から旅行者(男性)が来た。日本語情報センタ-の看板を出している以上そんなことは珍しくも何ともないのだが、スペインにやって来る日本人旅行者は何故か圧倒的に関西人が多い。どことなく抜けている雰囲気が本能的に共感を呼ぶのかも知れない。
 話は先々々週のサッカ-ユ-ロカップ優勝の話題へ(コルムナ323&326)。『さぞかし盛り上がったでしょうね』『器物破損で・・・』『ところで、今年は阪神が偉そうに独走やないですか』『そりゃええんですけど、万年最下位やったあの頃の方が可愛かったですわ』
 と言う余裕があるほど阪神は今年首位独走な訳だが、スペイン人サッカ-ファンなら絶対にこんな会話にはならないだろうと、後からしみじみ思った筆者であった。

 憐れみは裁きに打ち勝つ。-----或る昔の偉い人 
 
 てるてる坊主に願を掛けて雨が降れば迷わず鋏で首をちょん切るか(先週のコルムナ)、出来の悪い息子ほど可愛いのと同じで、何度裏切られても、哀れな奴よと却って憐れみの情を抱くのか。
 そして、憐れみと裁きはどっちが強いのか・・・。てるてる坊主の歌にこれほどの教訓が隠されているとは筆者も思いませんでしたね。

301 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(14) 15-07-2008(火)

 さて、このところのコルムナのまとめです(1~13)。
 先週の①~⑥はいわば肉体的な運動としてのまとめ。音楽ですから、最後はやはりここに歌心が加味されなければ何の意味もありません。
 いえ、加味ではなく、どんな楽器の演奏も歌心こそベ-ス味であるべきです。この目に見えないベ-ス味がまずければ目に見える食材は、それ自体どんなに優れた食材(様々な指のテクニック)も活かされず、料理も美味く仕上がる訳がありません。それでは今回の場合、今までコルムナして来たこと(1~13)に歌心をベース味として加味してアルペジオが美味くなるにはどうしたらいいのでしょう?
 簡単です。難しく考えることはありません。今まで散々アルペジオはimaではなく、親指自体の力は抜いた親指の打ち込みだとコルムナして来たのですから、歌心で親指を打ち込めばいいのです。
 歌心で歌いながら、親指だけに歌心の神経を集中してアルペジオ(トレモロ)してみましょう。歌心に乗れば乗るほど、親指は勝手にクイックモ-ション的になって(先週のコルムナ)、力まずに、遠心力的に、今までコルムナして来た通り、しかも、無意識の内にそう言う打ち込み方になってくれるはずです。
 無意識に親指に①~⑥の様に勝手に打ち込んでもらうコツは奏者が歌心に乗って親指を忘れてしまうことです。そうすれば、imaは勝手に回って勝手にアルペジオしてくれます。
 肉体的にはimaは親指を打ち込んだ勢いに乗せますが、その親指は歌心の勢いに乗せて、imaもついでに乗せてしまうのがアルペジオ&トレモロの秘訣、imaの独立性の秘訣です。上手い人は自ら意識していないだけで皆こうなっているものです。
 昔からの読者はご存知かと思いますが、スペインギタ-週間コルムナでは便宜上ギタ-演奏の基礎を肉体的基礎と情緒的基礎の二つに分けてコルムナしています。もちろん、重要度は後者であり、歌心こそより基礎であることを再確認して下さい。
 ただ、そうか歌心かと言ってかしこまってはいけません。かしこまると歌心にサイドブレ-キを掛けてしまいます。遊び心で快適ドライブと行きましょう。

2008-07-07

326 栄えあるスペインの新興宗教 08-07-2008(火)

 ご存知の様に先々週サッカ-ユ-ロカップ(欧州選手権)は40何年か振りにスペインが優勝。決勝の試合中街は人も車もまばらとなる現象がスペイン中で起きた。ワ-ルドカップでもオリンピックでも大体ベスト8止まりが多いので、国中がこの快挙に挙国一致体制で沸き返ったことは言うまでもない。
 ところで、筆者はスペインの新興宗教はカトリックとサッカ-だと常々思っている。新興宗教だから教祖様を祭り上げ、金に糸目は付けないどころか何でもやる。とか考えていると、筆者が昔読んだ、ある人の書いた宗教とは何かと言う短いが端的なコメントが思い出されて来た。
 それはご存知てるてる坊主の歌に良く表れていると言う。無邪気にも『てるてる坊主てる坊主~、あ~した天気にしておくれ~♪』と願を掛けた本人が、どうしても願いを聞いてもらおうと『晴れねばそなたの首をちょん切るぞ~♪』と三番の歌詞で鋏をチラつかせて脅迫する!? 結局神が神ではなく、自らの欲望こそが神であり、ご利益がなければあっさり切り捨てられる。
 今回の様に願いがかなえば監督も選手も『ビバ~』と褒めちぎられ英雄扱い。しかし、願いを聞いてくれなければ『帰れ!!』コ-ルに『ボケ、かす、あほんだら!!』と国賊扱い。なるほど、そっくりだ。
 勝ったから良かった様なものだが、嬉しさの余り試合終了後信者達はスペイン中で街に繰り出し器物破損で大祝賀会。器物破損大会がお祝いだと心から思っている人種がこの世には存在するのだ。機動隊も出動して明け方までイタチごっこ。なるほど新興宗教で頭がイカれているので破壊行為はむしろその習性なのだが、マインドコントロ-ル故に罪の自覚はない。従って、後始末は総て各市役所の懐から皆の税金で賄って祝勝会もやっとお開き・・・。

 愚か者が口にする箴言は酔った人が手にして振り上げるいばらの様だ。-----或る昔の偉い人  

 そして、山河有り。一週間後、サッカ-はオフシ-ズンに入ったこともありますが、信者達は二日酔いから醒めた泥酔者の如く茫然自失。巷でもニュ-スでももう話題とはなり得ません。それはもう教祖の過去の栄光なのです。
 ヨ-ロッパのプロスポ-ツを見ていつも思うことなのですが、良く言えば実力至上主義、悪く言えば競技の得点や成績が総てで人間性度外視です。それはあたかも売れば優秀な社員で、売れなきゃリストラ予備軍の如く、一般社会も数字だけで勝ち組負け組みに振り分けられるシステムになっているのと同じです。
 しかし、数字が総てで敗者への一片の思いやりもない社会だからこそ殺伐とします。今から始まる夏の甲子園の様に、敗者への思いやりこそ、実はスポ-ツの本質であり、この精神が社会でも生かされれば、まさか急に路上で刃物を振るったりする気違いの温床もまた根絶されるはずです。数字は記録、思いやりは記憶です。
 ただし、一生懸命やった敗者こそ賛辞を受けるべきであり、頑張ることを厭う人間が負け組みになるのもまた必然です。
 さて、本来このコルムナは先週書くのがタイムリ-だったのでしょうが、筆者は故意に一週間遅らせてみました。どんな歴史的快挙も、人間味がなければやはり感動は一過性で続きません。  

300 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(13) 08-07-2008(火)

 約3cm助走を付けたモ-ションから親指を力を抜いて打ち込んでゆっくりアルペジオ&トレモロを弾いてみましたか(先週のコルムナ)? 今週はこれを順次速くして行きましょう。
 速く弾けば当然助走の余裕がなくなりますし、今まで遠心力で回せと言っていた腕の軸も回っている時間的余裕がないことに気付きます。それではもう助走も親指を腕の軸の回転による遠心力を利用して力まず打ち込むことも出来ないのでしょうか?
 確かに実際の曲の速さでアルペジオ&トレモロを弾けば、腕の回転も親指の助走もない訳ですから、これではこのコルムナ(288~)を書き始める前と外見のフォ-ムは何も変わっていない様に見えますが、例え速く弾くことによってもう腕の軸を回転させて親指に助走を付けている時間はなくとも、以下の先週までの感触を生かせば、imaはもう以前の様に読者が苦労して動かすのではなく、勝手に回ってアルペジオ&トレモロしてくれているはずです。つまり・・・。
 ①腕の軸をぶらさず
 ②腕の軸の回転に拠る遠心力で
 ③親指自体の力は使わず
 ④親指を力を抜いてアポヤンドで打ち込み
 ⑤親指を打ち込んだことによって手腕の軸が更に安定し
 ⑥imaは親指を打ち込んだ勢いに乗って勝手にアルペジオ&トレモロしてくれる
 速いアルペジオ&トレモロで親指の助走を付けれない実践の時も、先週まで養った以上①~⑥の感触を保って弾いてみましょう。また、これがこのところのコルムナの目的、アルペジオにおけるimaの独立性の養い方でもあります(同276~287)。
 親指は助走無しでも①~⑥の感触を保ってクイックモ-ションで打ち込めば更に効果があります。

2008-06-30

325 スペインの交差点 01-07-2008(火)

 昨日朝食を終えて日本語情報センタ-に戻るいつもの交差点。白バイがそこにいるのにその前を平然と悠然と大挙して赤信号を渡る市民の皆さん。もちろん、バツが悪いので人目をはばかる様に、などと言う繊細さは誰も持ち合わせていない。もちろん、お巡りさんも馬耳東風。
 日本なら漫才だが、こんな光景はスペインでは日常茶飯時。この国民は信号は車から歩行者を守るためにあるのだから、車が来なけりゃ赤信号で渡って何が悪いと言う思考回路に生まれついており(警官も!?)、逆に、余り細かいことを言うと心が狭い人間だと評判を落とす。いずれにせよ、規則は目安としか思っていない民族であることは確かである。
 ところが、その時その白バイの左横を若者の乗ったバイクが赤信号を無視して通り抜けた。筆者の予想に反してお巡りさんはバイクを呼び止めた。『やりゃあ出来るじゃないか』と間髪入れず思ってしまった筆者であった。

 訓戒を大事にする者は命への道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。-----或る昔の偉い人

 人生とはハンドルやブレ-キの様なもので、遊びがなければ過敏反応で、遊びがあり過ぎても、共に制御不能で本人も同乗者も痛い目に遭います。どう見ても日本人は遊びがなさ過ぎ、スペイン人は遊びがあり過ぎますね。
 そんなこと各自の自由だろと思うのは自由ですが、迷い出て交通事故を起こしてから、あれは自由ではなく放縦だったと気付いてからでは遅いこともあるとすれば、やはり叱責を捨てず、訓戒を大事にすることは命への道です。
 それにしても、小学生から髪を染めてミニスカ-トの制服。遊びにも程があります。もっとも、スペインの青少年の遊びはこんなもんじゃ済みませんが・・・。

299 これが分かればギタ-人生が変わる!? 指遊びでpを踏み込む感触はアルペジオ(12) 01-07-2008(火)

 確かに親指に遠心力を付けるためには振幅を持たせるために弦からある程度の一定距離を置いて打ち込む必要がありますが、アルペジオに限らず実際の演奏ではそんな時間はない様に思えます。しかし、ないからと言って、また以前と同じ様に指弾きでは元の木阿弥です。
 あるかないかやってみましょう。まずはゆっくり弾けば、このところのコルムナで述べて来た如く親指に振幅を持たせる時間的余裕もあります。親指自体の力を使わずに弦から3cm位の位置から遠心力で親指を打ち込んで、ゆっくりアルハンブラの想い出を弾いてみましょう。理屈はアルペジオもトレモロも同じです。この曲を弾いたことのない読者は代わりにどんなアルペジオでもいいですから同様にゆっくり弾いてみて下さい。
 ゆっくりなら親指を少しばかり振りかざして打ち込んではまた戻す時間的余裕はありますね。この間腕の軸がぶれては何にもなりません。腕の軸をぶらさず、腕の軸の回転による遠心力で親指を力まず打ち込むことに拠り更に腕の軸が安定し、親指を打ち込んだその勢いにimaが乗って、imaは勝手にアルペジオ&トレモロしてしまう感触を体験して下さい。
 自らimaでアルペジオ&トレモロしてはいけません。上手い人が良く使う表現ですが、指(ima)が勝手に回る感触は親指を力まず打ち込んでこそなのです。上手い人がそう言う説明をしなくても、それは無意識の内にそう言う弾き方をしているので説明出来ないだけなのです。自分で弾かずに、指に勝手に回ってアルペジオ&トレモロを弾いてもらって下さい。
 来週は段々速くして行きます。果たして今週の様に3cmも助走をつけるだけの時間があるでしょうか?

2008-06-23

324 マジで正義のヒ-ロ- 23-06-2008(火)

 筆者は最近さっぱりテレビを見ない。春先にパソコンのスピ-カ-を購入したはいいが、コンセントがなかったので、それまでの長年のテレビのコンセントを取り外し、そこに差し込んだ。もうこれ以上新しいコンセントもタコ足配線も嫌だったので、それ以来ニュ-スもラジオだけ聴いている。テレビのない生活もいいもんだ。
 そこで一昨日、あるラジオ番組に拠れば、その昔ある人が『俺は働き盛りの大半を世のため人のために尽くして来た。ところが、どうだ。俺が得た物と言えば冷たい世間の非難とお尋ね者の烙印だけだ』と言ったそうである。どんな不当な扱いを受けた慈善家かと思えば、何とアルカポネの言ったことばだそうである。しかも、これは何かの比喩ではなく、マジで思っていたことをマジで言ったとのこと。こうなると度を越したブラックユ-モアだが、筆者はこれを聞いてすぐに同類項の化物が頭に浮かんで来た。
 やや過去の人になった感は否めないが、日本が世界に誇る妖怪株券小僧である。確かに弁護士からここは否認した方が罪は軽くなるなどと言われているのかも知れないが、本人は『皆のために一生懸命やって来たのに。何と言う不当な扱いだ』とマジで思い込んでいる様に筆者には思われる。

 正しい者は悪者の家を見抜く。-----或る昔の偉い人

 それは余りに得意の厚化粧に練達し、遂に醜い地顔を忘れ、厚化粧をマジで地顔と思い込んで私は美人だと自惚れ他を見下すまでに至るキャバレ-の年増の阿婆擦れ女にも例えられます。地顔ではなく厚化粧なのですから、良く考えるまでもなく愚の骨頂なのですが、人事不詳に陥り大言壮語する酔っ払いと同様、確かに人は酒にも自らの醜さにも欲にも酔い潰れれば、自律神経失調症の末期ガン漫才師まで成り下がり得ます。
 その上、いくら妖怪なら人を騙すのが仕事とは言え、『私は美人よ』『俺ほど世のために尽くした奴はいない』『世界一の株価を付ける』などと嘘を嘘とも思わぬ嘘を平然と吐くのですから、悪者の家を見抜く審美眼を持っていなければいとも簡単に妖術に騙されてこちらが人事不詳に陥ります。本人はマジで言っているのですから、確かにこれ以上の迫真の演技もないのでしょうが・・・。
 正しい者は悪者か。見抜くべきは二つに一つなのですからある意味簡単ですが、筋金入りの悪者ほどその悪事に泥酔してマジで正論のゲロを吐くのですから、やはり見抜く眼力がなければそう簡単に見抜けないのが今日の世相かも知れません。ただ、見抜かなければ痛い目をするのは我々です。