2009-09-14

388 スペインで脳みそシェイク 15-09-2009(火)

 筆者は今右肘が痛い。1ヶ月前石鹸の泡で足が滑って風呂場でコケた。滑ったと思った瞬間既に真後ろに向って激しくコケている最中だった。一瞬ちょうど3ヶ月前にバックドロップで亡くなった三沢光晴選手のことが頭を過ぎったので、不意打ちにならない様、とにかく後頭部に意識を集中することを咄嗟に思い付いた。
 と思ったら、それと同時に真後ろに後頭部から床にぶつかっていた・・・らしい!? それでも意識していたのが良かったと見え、気を失うことはなかった。
 気は失わなかったが、これが脳みそシェイクと言うのか、しばらく脳震とう状態で頭が放心状態に陥った。2、3分だっただろうか、意識がしっかりするまで待って、しっかり休んで立ち上がった。
 いくらマットとは言え、バックドロップは利くだろうなと思った。やはり、人間自ら痛い目に遭わなければ経験として分かるものではないことも良く分かった。
 そう言えば、確か力石徹の死因はダウンした際ロ-プで後頭部を打ったことだったと記憶しているが、あれはあながちマンガだからとも言えまい。
 ところが、後頭部に全神経を集中した分、気が付けば思い切り右肘をタイルの床に叩き付けていた。まだ痛い。エルボ-ドロップの自爆もまた痛いと言うことを身を持って体験した。 

 逃げる雀の様に、飛び去るつばめの様に、いわれのない呪いはやって来ない。-----或る昔の偉い人 

 当たり前のことですが、年齢と共に反射神経が鈍って来ましたし、階段を上れば足がすぐ疲れ、息切れもします。そんなことは人間なら万国共通です。
 それでも日本人がスペイン人に限らず欧米人より肉体的に優っているとすれば、それは老けるのが遅いことでしょうか。筆者より年下で更年期障害みたいなスペインのおばさんは数知れず。見た目は完全に初老です。
 今週はこじ付けコルムナかも知れませんが、人生鍛え様のない急所に意識を払わなければ不慮の事故で脳震とうで後遺症かも知れません。しかし、一度痛い目をしなければ急所が何かさえ経験的に分からないのもまた事実です。それはスポ-ツのみならず、社会生活や経済活動など様々な分野にも言えることかも知れません。
 それでも普段から人生おかしな〝いわれ〟をつくらない様に注意していれば致命傷は防げそうです。対策はファ-ルカップか!?

362 良いギタ-は良い素材か!?(4) 15-09-2009(火)

 先週は最悪の素材で最高のギタ-が出来た究極の逆説の真理の例を背理法で挙げてみました。正に〝ボロは着てても心の錦~♪〟か!?
 今週は良い素材の場合です。高価な良い生地だからと言って、仕立てを間違えれば良い服にはならないと言えば分かり易いでしょうか? 
 筆者はある同じ製作家のハカランダのクラシックギタ-2本持っています。
 ハカランダは英語でブラジリアン・ロ-ズウッドと言われ、ワシントン条約で絶滅危機品種として伐採交易を禁止制限されています。ここ数年ギタ-雑誌やギタ-店サイトからこの表記が消え、代わって中南米ロ-ズとなっているのはこのためです。かぼちゃを南京と呼んで税関を欺くかの如くですが・・・。
 この2本のうち1本は極上の出来です。もの凄い音量にスペインギタ-らしい乾いた深みのある音。やはりハカランダは違うと納得させられます。しかし、もう1本はこれが同じ製作家が同時に作ったものかと思わず目を覆いたくなる様な酷い出来です。思わずハカランダにもハズレはあると納得させられます。
 一方は売りたくなくなるほどの出来映えで、他方は最高の素材でも今一ギタ-になり得ると言う、このコルムナの生き証人として手元に残しておきたいほどの出来の悪さです。
 一方は指先が軽く弦に触れるだけで大きな音が出ますが、他方は力を込めなければ音が出てくれません。
 同じ製作家で2本同時製作。作りも材質も全く同じなのですから不思議です。
 もっとも、ギタ-でも何でも仕事はその人柄を反映するものでしょう。良く観察していると、国民性も手伝って、むらっ気のあるスペイン人製作家には意外とこの出来不出来の差が目に余ることも珍しくない様です。

2009-09-07

387 白昼堂々愛の口づけ!? 08-09-2009(火)

 筆者は見た。これは家政婦は見たと同じノリだと思ってもらっていい。ここまで長寿番組だとは思ってもみなかったのが不幸中の幸いか。いや、当事者達が幸いならそれでいいのか、いや、悪いのか!? 何が何だかさっぱり分からんのが今週のテ-マ。
 スペインは3年ほど前から男同士女同士が合法的に結婚出来るオカマ大国なので、今まで見なかった方が不思議だったのかも知れないが、筆者はあんなの初めて目の前で見たのだ。
 白昼堂々と街のど真ん中でうっとりした目で愛の口づけを交わす若い男と男!? どうやら愛を確かめ合っているらしい。
 昨日やって来た日本人旅行者に日本でもたまには見る光景かと訊けば、そんことはないと言う。当たり前じゃ。あって堪るか。しかし、情熱のスペインではもう何でもありなのだ。
『グラナダとカリフォルニアは良く似ている。一つ、同じく同じ名前のシエラ・ネバ-ダ山脈がある。二つ、同じくオカマが多い!?』とは地元で昔から言われるジョ-クだが、何のことはない、ジョ-クどころか真実の串刺しなのだ。
 そう言えば、もう8、9年前の話。ある旅行者が気軽に入ったつもりのBar(バル:日本で言う喫茶店)でどうも雰囲気がおかしいと思ったら、その辺で男同士がディ-プキスで舌を絡め合っていたので、ヤバイと思って逃げる様に飛び出したそうだ。

 自然自体がそう教えてはいないでしょうか。-----或る昔の偉い人

 ヤバイ連中が大挙して投票すれば、それが民主主義の正義の横車法案でヤバイ法律にさえなる。ヤバイ世の中になったものです。
 昔オカマの天罰に天から硫黄が降って滅んだソドムと言う町があったと記憶していますが、ヤバさも極めれば天罰もまたジョ-クには聞こえません。ただ、世の大半の人には天罰などジョ-クなのでしょう。
 日本でも法律にこそ成りはしないでしょうが、どうせ容認の風潮があるのではないでしょうか?
 人間同士お互い分かりあい同情し合うことはむしろスペイン週間コルムナの目指すところでもありますが、自然を歪めての愛情や同情など単なる真実の歪曲であり、真実の歪曲を寛容と取り違えれば天罰が下っても不思議ではないのが21世紀の現代社会かも知れません。困ったものです。

361 良いギタ-は良い素材か!?(3) 08-09-2009(火)

 それは知る人ぞ知る、近代スペインギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レスの小振りのギタ-でした(先週のコルムナ)。
 本体はシコモ-ロ材。かえでの親戚のこの木は現在でも安い木材です。しかも、ギタ-全体節目だらけ。何せ1世紀以上前の話。生前のカ-ノ先生に拠れば、当時は木材の流通が現在ほどなかった時代だったので、ト-レスも現在個人製作家なら絶対使わない様な質の良くない木材でギタ-を作る以外手はなかったそうです。裏板が3枚寄せと言うのも、大きめの材料がなかったのでその辺にあった小さめの余った木を継ぎ足したとのこと。別に皆が2枚寄せにするから3枚寄せにしてみ様と言う奇抜な発想でも何でもなかったと言うのが真相です。
 要するにどうでもいい木の、更に節目だらけの最低最悪の木材で作ったこのギタ-こそ弘井俊雄先生に拠ればカ-ノ先生のコレクションの中で最高のギタ-だったと言う訳です。
 これ一本で十分背理法が成立して余りありますね(同359)。
 歴史的名工の作とは言え、少なくとも悪い素材から必ずしも悪いギタ-が生まれる訳ではないことが十分証明されています。
 

2009-08-31

386 何の遊びじゃ!? 01-09-2009(火)

 一昨日は歴史的選挙結果。果たして日本はどう変わるのか? もちろん、投票した有権者は日本が良く変わると思って投票した訳だが・・・。
 昔あるお婆さんに聞いた話では、戦時下の小学生の頃、食事の度に〝この食事がいただけるのも兵隊さんのおかげです〟と言っていたそうだ。今我々がその場にタイムマシンで行けばギョッとすることだろう。
 そして今年は戦後64年。幼稚園児から銀バエの如く髪を染める非国民ファッション。ミニスカ-トの制服のおかげで後を絶たないスケベ教師に変態巡査。金満社会とゆとり教育ここに極めり(窮めり!?)かも知れない。これに大半の日本人がギョッとしないのだから筆者はギョッとする。おまけに麻薬汚染は何もゲ-ノ-界に限ったことじゃない。
 人生とはある意味ハンドルやブレ-キの遊びと同じ。一切遊びがなく戒律的でも、遊びがあり過ぎて自由を自我の垂れ流しと取り違えても、両者共制御不能で交通事故(コルムナ383)。
 この戦中戦後のお話は一見右翼と共産党ほど両極端に見えなくもないが、実は両極端に見える遊びの一切ないハンドルやブレ-キと遊びのあり過ぎるハンドルやブレ-キが同じく制御不能で、同じく交通事故を起こすことにも酷似している。
 確かに国のハンドルとブレ-キ捌きが政治家の仕事とも言えなくはないが・・・。

 知恵の正しいことは、その行いが証明する。-----或る昔の偉い人

 ハンドルとブレ-キの遊びが適度であるかどうかはその運転が証明する、と言い換えることも出来ます。国や政治や政治家の他人事ではなく、我々国民一人一人のハンドルとブレ-キの遊びのことです。
 サウナ状態の夏の車内に幼児を放ったらかしてパチンコに腑抜ける腑抜けママも、嫁いびりのおしんの佐賀の姑も共に自己中心で他人を激しく傷付けて、それに全く無頓着なことに変わりはありません。そして、硬派と軟派の両極の様で両者共に知恵がないこともまた共通です。
 政治家ではなく、国民一人一人が知恵を欠けば、どんなに政治や政党が変わろうが、日本は日本国民の知恵のレベルほどに変わって行く、ただそれだけのことです。
 ミクロなくしてマクロなし。マクロの質はそれを構成するミクロの質以外の何物でもありません。当たり前田のクラッカ-(←分からない読者はお父さんに訊いてね)!? 遅かれ早かれその行いが証明することとなるでしょう。

360 良いギタ-は良い素材か!?(2) 01-09-2009(火)

 もう18、9年前の話です。と言うのは、師匠のマヌエル・カ-ノ先生が亡くなって来年1月で20年。それからほどなくと記憶していますので、18、9年前のことになるのでしょう。
 神戸のクラシックギタリスト弘井俊雄さんがアルハンブラ宮殿に隣接するCarmen de los Martiles庭園中庭で夏の夜のコンサ-トのためにやって来ました。
 前の日だったと思いますが、カ-ノ先生のお宅に2人で伺いました。当時まだ先生のコレクションは日本に行く前でしたので、何本かのギタ-を試しに弾いてもらいました。サントスにフレタにマリン・・・。さすがはギタ-コレクタ-としても有名だったカ-ノ先生。下々は弾いてはいけない様な大御所製作家のギタ-ばかりで、しかも年代物がずら~。
 その中に1本、裏板は3枚寄せ。表面板に至るまで体中節目だらけの小さなギタ-がありました。
 つまり、製作家なら、その名誉のためにもこう言うギタ-だけは作ってはいかんと言うギタ-の典型でしたが、これがバカ鳴りの逸品。弘井先生曰く、これが一番の逸品だそうです(続く)。

2009-08-24

385 利得が悪いか!? 25-08-2009(火)

 世界的不況の煽りを受け、グラナダ県では今年に入り物凄い数の個人業が店終いしているとの報道があった。スペイン全国でも似た様なものだろう(日本もだったりして!?)。
 筆者の住む地元グラナダ市は人口28万人。スペインの地方都市としては甚だ大きい方なので、街を歩いてあからさまに不況だ、と目に見えて分かる訳ではないが、やはり、体力のない商店やビジネスほど立ち行かないご時勢であることは間違いない。
 そんな中、去年秋倒産した筆者が長年行っていたス-パ-の跡(コルムナ339)。長らく空き家状態だったが、先日新しい店になっていた。何と中国人経営の激安雑貨店。因みに隣はモロッコ人のファストフ-ドのケバブ屋、スペイン人経営の金物屋、そして、もう一軒中国人経営の小さな食料品屋となっている。
 これも時代の流れかも知れないが、地元ス-パ-が潰れて中国人の店とは皮肉と言うより象徴的、いや、今後の世界を占うべく予言的とさえ言える。
 不景気になればなるほど庶民は質より安さに釣られて中国人の思う壺。筆者も半年前市内量販店(ここは中国製品だがスペイン人経営)で買ったマ-カ-4本4色パック1.20ユーロ(約165円)をおととい開いてみれば、3本は干からびて使い物にならない。なるほど、安かろう悪かろうに引っ掛かる筆者もまた貧乏性と言う訳じゃ。 
 そう言えば、筆者の知り合いのモロッコ人の故郷の小さな町にさえ最近中国人の雑貨店が出来て地元商店を潰しているとか!? そこは確かにスペイン領メリ-ジャ(Melilla)市に近く、我々が想像する砂漠の中のどうしようもない村ではないらしいが、しかし、アフリカまで行って金儲けするか中国人。その思い切りの良さだけは見下げるより見上げた方がいいのかも知れない。
 ただ、以前スペインの国際ニュ-スでも言っていたが、いわゆる華僑は上海辺りの中国人に限られており、以前やって来たハルピンの日本企業に勤める日本人女性旅行者の言うには、連中は中国国内でも他の地域の中国人からは守銭奴と呼ばれて嫌われているそうだ。なるほど、一人の悪い生徒で学校全体を決め付けてはいけない。

 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。-----或る昔の偉い人 

 海外に出ると分かりますが、日本人ほど金に淡白な民族はいません。これでもです。あとの連中がそれ程酷いのですが、それでも金銭社会である以上、何党が政権を取ってどんな政治をし様が、基本的には何も変わりゃしません。一体何が解決策なのでしょう?
 と、今まで誰も思い付かなかった様な斬新な政治や政策を思い付こうとするほど無駄に終わってしまうことは過去の人類の歴史と、何より21世紀の現代社会が証明してはいないでしょうか? 仮に今回の選挙で政治的に最善の結果が出たとしても、日本人が変わらない限り、上辺はともかく日本は基本的に変わりゃしません。
 それは個人から国歌に至るまで皆卑しい利得を人生の座標に据えてしまったからかも知れません。しかし、利得自体が決して悪いのではなく、心からそうすれば、それは真っ当な利得に変わり、社会国家までも変わって行くはずです。選挙結果ではありません。
 昨日終わった甲子園の高校野球は金は一切関係なく、純粋に技術を競うから人として感動を呼び起こすのだとすれば、ヒントは何か新しい政策ではなく、意外と金銭に無関心だった幼少期や学生時代にあるのかも知れません。もちろん、無気力無感動の若年寄みたいなのは除きます。