先週のコルムナを書きながら、日本も離婚率がスペイン並みになって来た(3割3分3厘 VS 5割)、日本も人のことは言えないなと正直思ったものだが、故意か偶然かその直後、昨年2006年度のスペインにおける婚姻届207244、離婚届141317なる統計が先週発表された。何と離婚率7割弱(68.1%)はヨ-ロッパ一。日本の追い上げも確かに凄いが、僅か3年で18%アップで一人勝ちのスペインにはバカ負けである。この調子では幸か不幸かサッカ-でも離婚率でも永久にスペインには勝てそうもない。しかし、考えてみれば日本の人口はスペインの約3倍だから、離婚率ではスペインの圧勝でも、実数勝負では日本の勝ちか!?
いや、いずれにせよ、どちらの舟が先に滝壺に落ちるか比較計算している様なもので、残念ながら両者共加速度的にバカ負け社会になりつつあることに何ら違いはない。
誰がバカ負けするのだろう? どちらかに付かなければならない子供、どこに孫の顔を見に行っていいか分からない双方の祖父母、離婚調停の手間隙費用・・・など、離婚して“あ~、せいせいした”はずの当事者同士のその場だけの晴れ晴れした気分とは裏腹に、終わったはずの問題は実は周囲を巻き込む、最後はバカ負けと相場は決まっている新たなる神経衰弱長期戦の始まりに過ぎないのかも知れない。大体決裂に終わって解決する問題などあるはずがないと思った方が良い。それはただ単に新たなる火種を抱え込んだに過ぎないとすれば、日本とスペインにおけるこの急激な離婚率の上昇も確かに頷ける話だが、それにしてもバカ負けもここまで極めれば凄惨この上ない数字とも言える。
そして、最後は国家までもバカ負けに至る。家庭が崩壊して立ち行く社会もまたないからである。従って、“美しい日本”が早くも立ち消えとなったのも離婚した3組に一組の夫婦のせいだとも言える(先週のコルムナ)。強引なこじ付けかも知れないが、人生一事が万事だとすれば、風が吹けば桶屋以上の明快さでそう言ってもいい。現実には風が吹けば桶屋が儲かるとは限らないが、家庭が崩壊すれば社会や国もまた立ち行かないことは歴然とした現実だからである。
いずれにせよ、スロ-ガンが余りにも“美しい日本”だった分だけ、その看板倒れの速さに拍子抜けとバカ負けの感は否めない。スペインも看板が“情熱のスペイン”だった分だけ・・・、どうなのだろう? 離婚の一番の原因はスペイン人らしく不倫なのだが・・・。既に来年の四年に一度の総選挙に向けての前哨戦は始まっているが、与党も野党も票集めの取って付けた様な助成金やけなし合いばかりで、国家崩壊に繋がる離婚増加や家庭崩壊に言及する政治家は一人もいない。
あなた方は誰に対しても借りがあってはいけません。しかし、互いに愛し合うことについては別です。----- 或る昔の偉い人
将来マイホ-ム購入となれば話は別かも知れませんが、筆者は借金やロ-ンで買い物は一切しないことにしています。例え小額でも無利子でも借りる者は貸す者の奴隷となるからです。現金が手元になければ、それはどんなに欲しくても縁がなかったと思えば済むことです。とは言え、金さえあればあのギタ-もこのギタ-もと言うことは何度となくありましたが!?
しかし、“しかし”とは単に反対意見を述べる自己主張の接続語である以上に、時として人生を左右する黄金律への序曲にもなり得ます。この場合がそうです。借金がいくらあるとか、毎月返済額がいくらだから生活が苦しいとか、そんな自ら我が身に喜んで招いた様な低次元な話ではなく、筆者はこれ以上に崇高な“借り”の定義を他に見出すことは出来ません。
夫婦とは全く別人格の二人が喜びも悲しみも共有し合う相互負債書に互いの愛を持って署名捺印するが如し。ちょっと堅苦しいかも知れませんが、このお互いがお互いの負債を喜んで負う精神がなければ、例え離婚に至らないまでも夫婦間に隙間風が吹いたり、仲が悪くなったり、金の切れ目が縁の切れ目になったりするのはむしろ当然ではないでしょうか。
人生重荷となる借りもあれば、喜んで負う愛の負債もあると言うことでしょうか。もちろん、これは夫婦間だけではなく、あらゆる人間関係について言えることです。そして、これこそ社会国家を救う原動力に他なりません。ミクロなくしてマクロなしだとすれば、なお更そう言っても宜しいでしょう。
2007-10-23
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