2009-07-27

381 半日遠足は楽しいな 28-07-2009(火)

 一昨日日曜日、筆者は路線バスで2時間40分のある田舎町に日帰りで行って来た。
 グラナダ市から出るのは久し振りだが、途中停まって行った町や村の郊外に必ず大型ス-パ-があることに気付く。思わず既存の地元商店はきついだろうなと思う。郊外の量販店の傾向は万国共通の様だ。
 バス停は大体町や村の真ん中にあるのだが、街中では車窓からもやたら老人が目に付く。地方の過疎化と高齢化もまた万国共通なのか。
 その間辺りは広大なオリ-ブ畑、小麦畑、ひまわり畑が延々と続く(コルムナ320321)。とは言え、7月末にはひまわりは枯れてしまっていて、もうお花見と言う訳にはいかない。
 そして、やっと辿り着いたエステパ(Estepa)の村。日本人旅行者が想像する典型的なスペインの白い村だ。もっとも、この日も軽く40度を超える普通の夏の日。白い村を珍しがっているのは外人旅行者だけで、スペイン中部南部では屋内を涼しくするために壁の色は必然的に白になる。
 筆者の目的はこの村に住む同い歳のスペイン人大工兼ギタ-製作家を訪問するため。修理を依頼していたギタ-の引き取りついでに帰りのバスの時間まで数時間を一緒に過ごした。
 本人は頭はずるむけ。スペインの男はすぐハゲる。80歳を越えたお母さんと同居。高齢の親の面倒をみる苦労は万国共通の様だ。奥さんは40代前半。普通スペイン人女性はこの年代になるとすっかり変わり果ててもう見れない場合がほとんどだが(コルムナ210)、珍しく細身で年齢より若く見える。姑さんとも仲良くやっている。近くのガソリンスタンドで働く共稼ぎ。家のロ-ンが残っているとの事だから、これまた万国共通。子供は2人。今回は海に行っていなかったが、上が20歳の女の子で身長何と185cm。ちょっとフニャけている。弟は17歳。こちらは真面目そうだ。
 大工仕事は親父の代から。以前は従業員がいたそうだが、今は一匹狼。社員の給料や保険で振り回されるより、1人の方が気が楽だそうだ。ギタ-の方は有名なギタリストからもボチボチ注文が入り始めている。製作家としては今からが正面場だろう。
 家でガスパッチョパエ-ジャの昼食を取りながら、話題は奥さんと同じガソリンスタンドで働く近くの村の同僚の若い奥さんの6歳の子供の話になった。生まれつき鼻と口辺りが奇形で矯正治療。それに加えて年頭に脚に癌が発見された。結局子供に付きっ切りのため仕事は最近辞職。旦那が警察官で収入は安定していることが不幸中の幸いだが、オリ-ブ畑に囲まれた寒村に病院があるはずもなく、100Km離れたセビ-ジャ(Sevilla)市の総合病院まで車で通院、もしくは、入院付き添い看護。こう言う場合日本語では泣きっ面に蜂と言うと筆者は言わなかったが、何で善良な家庭にこんな不幸が重ね重ね起きるのか・・・と話は進んで行った。筆者を帰りのバスに見送った後、車で8Km離れたその女性の家まで様子を見に行って来るとのこと。

 恵みと真を捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書き記せ。-----或る昔の偉い人

 山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う・・・。人は皆自らの好まざる境遇を見て、どこか遠くに行けば幸せになれるかも知れないと誰でも思う時があるのもまた万国共通の人間の心理かも知れません。 
 しかし、ご覧の様に地球の裏側でも人間模様に大差がないのもまた万国共通です。
 恵みと真を捨てず首に結び、心の板に書き記せば、それ自体避け様のない万国共通の人生の様々な問題もまた、何か有意義な因子に成り得ることもまた万国共通だと筆者は直感します。
 ただ、21世紀の今日は恵みと真を捨て去った様な世相であることもまた万国共通です。
 何が真に万国共通であるべきか。見極めなければ人としての道を踏み外すこともまた万国共通であることは間違いありません。

355 古いギタ-と中古ギタ-(2) 28-07-2009(火)

 筆者はある意味潔癖症の面があるのかも知れません。中古ギタ-が手に入っても、それをそのまま右から左に流すことに抵抗を覚えます。つまり、量産ギタ-ならともかく(先週のコルムナ)、手工ギタ-の中古なら手直ししてからでないと世に送り出す気にならないのです。
 中には手直しどころか、木材の割れなど、相当修理してからでないとどう仕様もない中古ギタ-も結構あります。また、余り深いキズでない限り、セラック塗装なら塗り直して新品同様になります。これを知っている以上やらないことに罪悪感さえ覚えます。
 と、そんなことなどに細かく気を、時間を、経費を使っていると、結局ほとんどの場合新品と原価に大差がなくなってしまうのが現状です。
 そうすると結局何をやっているのか分からなくなって来ます。いえ、店舗として金銭的経済的経営的には中古ギタ-も価格をなるべく安く抑えて、右から左にを流して、そのためにはわざわざ原価&最終価格を押し上げる修理などやらない方がいい場合が大半です。
 しかし、ギタ-は金ではなく音だと言った以上(先週のコルムナ)、筆者はやります。
 近い将来、そんな機会も出て来ることを予定しています。

2009-07-20

380 スペイン人も口あんぐり 21-07-2009(火)

 スペイン語でgeneroso&permisivo(寛大な&許容的な)。英語ではgenerous&permissiveだろう。前者はスペイン語で寛大さ、後者は駄々をこねる子供に迷わず何でも買い与えるバカな親の形容によく使われることばである。似た様なことばで意味は正反対だが、筆者は何故か最近この2つのことばが頭に浮かぶ今日この頃とか思っていると・・・。
 日本のどこかの高校である受験生が髪を染めていたため落とされたのが訴訟になりどうのこうのと以前センタ-にやって来た人に聞いたことがある。その後どうなったのかは知らないが、そんなんだったら、ピアスでも入墨でも何でも言いがかりを付ける材料は今日いくらでもあるだろう。
 もっとも、今日のスペインではどんな格好だろうが学校は愚か、耳輪に鼻輪に入墨で何の問題もない職場が大半である。そんなことギャ-ギャ-言う方が外見で人を捌く心の狭い人間と見なされる寛容な社会なの・・・か!? オカマ同権&差別撤廃も以下同文(コルムナ305378)。
 これに比べれば後発の日本は明らかに遅れを取ってはいるが、追いかけていることに違いはないことが重篤な問題だ。永遠に追い着いて欲しくはないが、ご覧の様に日本に追い着かれるほどスペインも甘くはない。
 我々が子供の頃校則にうるさかった当時の先生達も今は定年前の大ベテラン。今どんな顔で髪を染めた生徒に校則を説いているのか知りたいものだ。
 価値観の相違とはある意味絶対的価値観を持たない、価値観のグラついている連中が質問をはぐらかす逃げのことばである場合が多い。確かに人間の価値観は年月と共に変わる。しかし、それはマンガが総てだった子供の価値観が小説に昇華される様な場合、つまり、進歩故に変わる価値観ならいいが、退化する価値観なら、それはテクノロジ-だけいたずらに進化して本人は退化する現代人の本性に見事に比例しているに過ぎない。
 そんな事件が先週グラナダ県の北隣コルドバ県のある田舎町であった。
 少々の凶悪事件では驚きもしなくなったスペイン現代凶悪社会に久々に議論を巻き起こしたのは未成年、いや子供6人。
 13歳の女の子が同年代5人の男子生徒に市営プ-ルの更衣室で白昼堂々と犯され3日後に発見された。犯人の未成年は年齢制限に引っ掛かりほどなく釈放。被害者は毎日悪夢にうなされているとの母親の怒りのコメント。
 少年院には行くのだろうが、新聞記事に拠れば5人の内1人と被害者は付き合っていたことがあり、2人で変態ビデオを撮り合った仲だったとか。後は電車道。
 とすれば、悪いのは犯人だけと言うのは刑法の事後処理だけの話。たった中一の可愛い娘の交友関係に寛大過ぎて何も言わなかった保護者の母親にも責任はある。しかも、各メディアにいつもこの母親だけで父親が一切出て来ないのも、おそらく離婚家庭で娘は野放し状態だったのではないかと推察出来ないこともない。

 ああ、悪を善、善を悪と言っている者達。彼らは闇を光、光を闇とし、苦味を甘味、甘味を苦味としている。-----或る昔の偉い人

 やはり、現代社会は巨大な精神病院なのです。気違い同士馴れ合いの友情や民主主義で悪を善、善を悪、闇を光、光を闇、苦味を甘み、甘みを苦味とじゃれ合っている内はまだしも、やはり、気違いは気違い沙汰を起こす運命にあるのです。いえ、巻き込まれてからでは遅過ぎる今回の様な気違い沙汰もあるのです。
 ここは潔く巨大な精神病院を出て、高台から巨大な精神病院を見下ろしている方が無難です。こう言う下々の見下ろし方は傲慢とは言いません。命に直結する生活の知恵です。
 ただ、善は善、悪は悪、光は光、闇は闇、甘みは甘み、苦味は苦味、日本人は黒髪と、あるがままをあるがままに尊重すればいいだけの話。ある意味極めて簡単なことです。ただ、巨大な精神病院内では気違いが気違い沙汰を起こし、しかも、過半数の強みで雄叫びを挙げて正義のガッツポーズ!? 人間とことん極めてしまえば、後はもう付ける薬はないのかも知れません。それが13歳のガキどもであることが今回の悲劇に重油を注いでいます。
 例によって政治家達が少年の刑法適応年齢引き下げを国会で討論するのどうのこうの・・・。賛成の反対なのだ(バカボンのパパ)。

354 古いギタ-と中古ギタ-(1) 21-07-2009(火)

 中古と言えばギタ-に限らず新品より安いと相場は決まっています。例えば新品で10万円で買ったギタ-を1万円で買い叩いて5万円の値札を付け、善人ぶって4万円にしておきましょうとか言うのが世のギタ-屋さんかも知れません。この売値のギタ-なら例えスペインギタ-と言えどもラベル以外は100%中国製の場合が多くなっていますので、これ以上の価格で買い取る意味がないのでしょう。
 さて、金ではなく、あくまで音の観点からコルムナして行きます。
 まず、古いギタ-の音色を手工ギタ-と量産ギタ-に分けて考えてみます。この違いはそのまま両者の塗装の違い、つまり、セラックとピストル(ガン)塗装の違いとも言えます。塗装など見映えの問題で、音に何の関係があるのかと首を傾げる読者が大半かも知れませんが、実は大いに関係があることはギタ-料金の相違と是非塗装の違い:セラックかピストルか、をご覧下さい。ついでに単板か合板か量産か手工かスペイン製スペインギタ-か中国製スペインギタ-、もお読み下さい。つまり、このペ-ジ全部お読み下さい。
 を読んだ方、塗装はギタ-の音を生かしもし、殺しもします。生かすのはセラックで、殺すのはピストルです。従って、世の量産工場の量産ギタ-はピストル塗装である以上、中古であれば、それはそのまま安く売ればそれでその使命は全うしたと言えます。
 近い将来スペインギタ-振興会レオ-ナでスペインギタ-の中古を扱うことがあるとすれば、こと量産ギタ-に関してはこの路線で行くことにします。塗装がピストルで科学塗料を塗り付ける以上、下手に修理修復に経費を費やして最終価格を上げることになるのは知恵があるとも言えないでしょう。
 しかし、手工ギタ-となれば話は別です。

2009-07-13

379 お披露目一番人気の教祖様 14-07-2009(火)

 先々週の話になるが、日本のプロ野球で言えば巨人に当るスペインサッカ-1部リ-グのReal Madridが何とか言う名前のポルトガルの超一流選手をサッカ-史上最高の移籍金と年棒で入団させ、本拠地のスタジアムでお披露目。何と8万人以上のファンが集まった。
 確かに凄い収客力だ。これならスポンサ-もどんどん付いて高い金を払ってくれるだろうし、大枚の投資も時間はかかるが確実に回収出来そうだ。
 もっとも、筆者には教祖を拝み奉る新興宗教の集会に映る。なるほど、新興宗教なら金に糸目は付けないどころか、信者に喜んで払わせるのが狙い所。そのためには本山で生神様をデビュ-させるに越したことはない。有料テレビやスポ-ツ新聞やユニフォ-ムやグッズ産業も総ては教祖様のご利益に与ろうと意地汚く総本山への参道に屋台を並べて意地らしい。
 しかし、今回はさすがに余りのゼロの多さに、筆者がいつも朝食を取るBarに集まるReal Madridのファンでさえ、『庶民は不況で苦しんどるのに、どうかしとるぞ』とコ-ヒ-を飲みながらカウンタ-でぼやくほど高額の金が動いている。貧乏人の僻みと言えばそれまでだが、不況による資金難で多くの下部リ-グのチ-ムがスペイン全国で存続の危機に瀕している中、一人だけ金字塔パフォ-マンスで一人勝ちの感は否めない。ある芸能事務所がドル箱の国民的大スタ-を抱えている様なものだ。
 実際今回たった一人のこの選手のために動いた金でこうした財政難のチ-ムが何十と救えると言うのだから、確かに文字通り桁違いのギャラだ。因みに筆者の地元グラナダの2リ-グBのチ-ムの選手達は未だに前シ-ズンのギャラを全額もらってない。これが来月末から来シ-ズン開幕を迎え様と言うその他大勢の現状でもある。 

 人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えよ。-----或る昔の偉い人

 だからこそ、たまに平幕が横綱を、今地区予選たけなわの高校野球で無名公立校が名門私立を破ることに意義がある・・・と言う発想はスペインのサッカ-ファンにはありません。教祖様のスタ-軍団が勝ちゃあそれで嬉しい、それだけです。もちろん、他宗派とはスポ-ツを超えてマジでいがみ合います。
 やはり、スポ-ツとして基本的な何かが著しく狂っていると感じます。狂っているのがまともな新興宗教なのでしょうが・・・。
 天文学的な高給はともかく、本人は見た目通りの爽やかなスポ-ツマンでナイスガイであることを望みます。今日他の多くのスタ-選手達の様に大きな入墨を入れない限り、筆者も悪い印象を持つことはないでしょう。
 それでも実力の世界ならある意味収入が多いのは大いに結構。ギャ-ギャ-言うのは本当は金が大好きな貧乏人の僻みでしょう。しかし、高給取りだろうがど庶民だろうが、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与える気持ちのある人が、実は新興宗教やおかしな儲け話に首を突っ込んで怪我することなく、また、頭に来たからと言って同級生をドスで刺したり、パチンコ店に放火する気違いにならないための秘訣なのです。
 さて、問題は今現在スペインはまだ夏たけなわだと言うことです。秋冬のサッカ-シ-ズン真っ盛りに豚風邪大流行でスタジアムがガラガラの天罰が天の筋書きだったりしないことを祈ります。現在スペインは死者2名!?

353 それでも古いに越したことはない良いギタ- 14-07-2009(火)

 それでも、古いギタ-の音色の好みは別として、ギタ-は新しいより古い方が良いギタ-であることは確かであるとコルムナして来ました(先週のコルムナ)。
 事音色と言う観点から見れば確かにそう言えます。先週の40年経っても金属音的な今一ギタ-も、それでも出来立ての頃より40年後の今の方が良い音色だと言うことです。
 世の楽器屋さんの商業的観点から見れば、少々鳴らなくても新品で見映えがして、ましてや有名メ-カ-でギタ-の分からない消費者がより高く食らい付くに越したことはないのでしょうが、ギタ-の本質は金ではなく音です。あくまでこの観点からコルムナを続けてみます。
 さて、古いと言うことばにも語弊はありますが、古いギタ-となれば、中古ギタ-も含めて考慮しなくてはならないでしょう。
 厳密に言えば古いギタ-中古ギタ-は別物です。新品が古くなればそれは古いギタ-ですが、中古ギタ-ではありません。逆に、中古ギタ-総てがいかにも古めかしい年代物でもありません。
 これらを厳密に分けて定義することなど大した意味もありませんのでやりませんが、音の観点から両者について簡単にコルムナしてみましょう。

2009-07-06

378 ゲテモノリンク 07-07-2009(火)

 スペインでは年に一度オカマの日がある。先週土曜日がそうだった。しかも、新聞に拠ればこれはスペインだけでなく、世界オカマの日だとのこと。日本でも何か催しがあったのかと、筆者が逆に訊きたい位だ。
 スペインでも各地でオカマの仮装行列が気勢を上げたことがニュ-スになっているが、仮装ではなく本物なのだからこの日本語訳は当らない。気色悪い数枚の写真の下のデモ行進の写真は中央のスペインの平等大臣(直訳:ま、日本語的には人権大臣と言えばしっくり来るが、こんな大臣職があるのか!?)と両脇を固めるスペインオカマ協会の代表達(於首都マドリ-ド)。因みにパンカ-ドには差別撤廃と書いてある。
 なるほど、スペインは3年ほど前から男同士女同士が合法的に結婚出来るオカマ大国なので有権者もオカマが多いとなれば、節操のない政治家が尻尾を振るのは過半数こそ正義の民主主義の鉄則。次の総選挙を睨めば与党は愚か野党さえもオカマには逆らえない。しかも、仮にオカマではなくとも、別にいいじゃないかと言う国民が今日圧倒的大多数なのがスペインなのだ。
 さて、ここまでならある意味例年通りだが、今年は一味違う。旅行業界と飲食店業界が余りに多いオカマ人口に照準を合わせ、オカマ協会推奨ホテル&レストラン加盟店の大構想をぶち上げた。オカマ夫婦は子供がいない分、通常家庭より30%購買力が高いからキャンペ-ンの意義はあるとかどうのこうの・・・。実際インタ-ネット上では既にこの種の宣伝とリンクは相当数に及ぶらしい。
 必ずしも類は友を呼んではいないホテルやレストランも経済危機に背に腹は代えられないと、今年はこのオカマキャンペ-ンでオカマ旅行者に期待しているとの談話。特にホテルはチェ-ン店ならオカマリンクもチェ-ン店だ。あっと言う間にオカマ千里を走る。

 汚れた者はますます汚れを行い、正しい者はますます正しいことを行いなさい。-----或る昔の偉い人

 そして、筆者の地元グラナダ市でも多くのホテルやレストランが既に諸手を挙げて大賛成だそうです。もちろん、市長さんも!? 市長さんは中央政府の与党社会党(PSOE)に盾突く野党第一党の民衆党(PP)なのですが、オカマに票は代えられません。
 節操の基準がなければ節操がなくなります。何が汚れで、何が正しいことかの基準がなければ、元々性悪説の人間様が正しいことではなく、自然に汚れに身を任せる様になるのは自然の流れです。それを民主主義の名の下に法制化さえしてしまうのですから、やはり、人類は川で言えば下流の汚水の中でもがいているのでしょう。
 はっと我に却って上流を目指さなければ、リンクされて滝壷に頭から逆落としです。
 それにしても、今回筆者は虹がオカマのシンボルだと初めて知りました。怒れ、正義のレインボ-マン!! 筆者はオリジナルレコ-ド(昭和48年)を持っています!?
  

352 古ければ何でもいいのか良いギタ- 07-07-2009(火)

 筆者の知り合いの製作家の家には、音楽家だったお父さんの弾いていた40年以上前の古い糸杉(シプレス)のギタ-があります。息子の作ったギタ-を親父が弾いていた麗しい父子愛ですが、悲しいかなこの息子はギタ-をほとんど弾きませんので、形見としてもう30年以上家に飾ってあるだけです。
 息子と言ってももうひい爺さん。子も孫も誰もギタ-を弾かないので、たまに筆者に買わんかと言って来ます。
 40年以上経っていますので、木材の気孔は完全に乾燥し、音の通りが抜群なのは売れ残りギタ-をダシに最近コルムナして来た通りです(コルムナ347~)。
 しかし、どうしても①弦の音が、音量と音の伸びは抜群なのですが、今一金属音の様で色気を感じません。伴奏でジャンジャン弾く分には気にはならないのでしょうが、単音で弾くとどうしても魅力を感じませんので、今日まで買うことはありませんでした。
 従って、先週までコルムナして来た様に、ギタ-は年数が経てば音が分離して熟成して来るが、熟成した味が各自の好みであるかどうかはまた別問題だと言えます。
 何年も待ったワインが思い通りの味ではなかった…。こんな場合も確かにあると言うことです。