2011-12-26

501 猫のクリスマスプレゼント 27-12-2011(火)

一昨日クリスマス。急に偽信者になってバカ騒ぎするところは日本の神社の村祭りと理屈は同じですが、とにかく、皆別人の様にクリスマスプレゼントを交換し合います。これはスペイン人に限らず、欧米では常識の社会現象です。とにかく、強迫観念を覚えるほどの消費熱が過熱します。一人で10個以上のプレゼントを親親戚からせしめるスペインの子供は決して珍しくないそうです。
 そんな狂奏曲の真っ只中も筆者は我関せず。25日日曜日も予定の来館者がいましたので、日本語情報センターに居ました。そしたら、何故か猫のおしっこのほのかな臭い。
 センター内には拾って来た猫7匹放し飼い。たまにおかしな場所にやってくれるのがいますが、筆者は長年の勘で大体どこにやられたか分かります。ところが、この日だけは何故か臭ったり臭わなかったり、一日中分からず終い。猫に摘まれた気分でしたが、臭いは間違いなく筆者の机付近。
 その日も19:30過ぎ。ぼちぼち帰り支度をと立ち上がったとたん臭い…。これは臭いと思い(文字通り臭い)、その辺を探しましたが痕跡はなし。
 そして、まさかと最後に思い付いたのが筆者の椅子。布地の上に濃紺のタオルを敷いてあります。その上にやってくれていました。と言うことは、すぐズボンを脱ぐとクサい!?

 私は日の下に痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富がその人に害を加えることだ。-----或る昔の偉い人

 やった奴の目星は付きますが、そこで『このバカ猫!!』と言うだけで終わるのが筆者の人となりかも知れません。
 毎週のコルムナを賑わす自己中で厚かましい人間様に比べたら動物に対してなど怒る気にもなりません。
 今年もまた、強欲に立ち振る舞えば、最後はそれが自らの頭上に降りかかって帰って来ることを知らない人間様の自我像に猫様を通じて気付かされた一年でした。
 また来年もかな、行く年来る年…。

475 衝撃のアントニオ・デ・トーレスのギター(2) 27-12-2011(火)

まず一見してかなり小振りなギターと言うのが第一印象でしたが(先週の続き)、近くで見ると何じゃこりゃと思う様な見てくれの悪いギターでした。現代のギタービジネス関係者や購入希望者が見れば一見して見向きもしないこと請け合いです。それどころか、今現在どこかのギター製作家がこんなギターを作ったら信用丸潰れ間違いなしです。
 まず、裏板が現在の2枚寄せ作りに対して3枚寄せ作り。生前マヌエル・カーノ先生の話では今から100年以上前の当時は今ほど木材が流通しておらず、つまり、ろくな木材がなかったので、その辺にあった木材で作らざるを得なかったそうです。
 裏板の3枚寄作りならまだ話は分かりますが、その裏板も側面板も、そして、筆者の記憶では表面板に至るまで節目だらけ!? 一つや二つではありません。だらけでした。
 建材についてはど素人の筆者も読者も、ヒノキの柱は節目が少ないほど高価だと言うこと位想像出来ますし、実際そうです。ギターの原材料も同じで、当然物に応じて料金も並や上、そして、特上から…。あれは素人目に見ても佳作、いや、落選でしたね。現在のギター大量生産工場が見向きもしない、いえ、世界中のギターを偽造している中国偽ギター工場がその最も安いギターにさえ使うことあっさりためらうとんでもない木材でした。
 何でこんなのがここまで鳴るのか…!?

2011-12-19

500 北方領土の取り返し方 20-12-2011(火)

ロシアが北方領土問題に関して頭から譲る気がないのは日本国民も肌で感じていることでしょう。
 それで筆者が考えた北方領土の取り返し方は・・・正義は勝~つ!?
 人間嘘を吐いて傲慢に振舞えばその報いを受けるのは一個人も国家も同じこと。多くの国民が疲弊している元共産主義国家が嘘と強欲で突っ張って爪先立ちで背伸びして吼えているのは中国も同じ。必ず遅かれ早かれほころんで来て、否が応でも北方領土を手放さなければならない様な状況に自らの首を絞めるに至る・・・。
 そのためにはまず日本人自身が身を謹むこと。そうすれば向こうは勝手に転んで、やがて天の摂理で北方領土は日本に戻って来る。 
 と筆者は常々思っていましたが、最近の日本人旅行者を見ていると、楽しきゃいい、美味しきゃいい、ミニスカートの制服にスケベ教師、一臆総白痴銀バエ髪染め、そして、最近の若い日本人女性の魔女の様なドギツイ付け爪!?
 こりゃダメじゃ!? 日本人自身の頭が空洞化ではロシアから北方領土返還どころか、狡賢い中国人に尖閣諸島まで盗まれてしまうと危惧する最近の筆者であった。

 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人

 そして、とても正義が勝つ社会とは言えない21世紀のスペイン。残念ながら、今まで毎週500回のコルムナがそれを大便して余りあります。ま、確かにどこの国でも新聞やニュースと言えば悪い事件が圧倒的大多数なのですが、詐欺、強盗、未婚の母、内縁の夫の子供殺し・・・。日本と同じじゃないですか!?
 しかも、つい最近スペイン国王の王女(次女)の婿の悪事発覚でスペイン中が大騒ぎ。大規模な公金横領、汚職、そして、検察の追っ手を逃れるための公文書偽造の極めて濃厚な疑い。まだ捜査段階ですが、皇太子からも一切関わりはないと見放される始末。
 おまけに昨日から正式発足の新内閣はお祝いに早速金縮政策発表。
 唯一の慰めは筆者の地元グラナダCFが最近3勝2敗で降格ゾーン18位から中程下13位に浮上で今年のリーグ日程終了。やりゃあ出来るじゃないか!!
 やりゃあ出来るの英語訳がYes,we canだったりすれば、まだまだ最後まで気は抜けませんね。正月早々の第一戦は畏れ多くも畏くも首位Rea Madridで、しかも、向こうのホーム。
 スペイン週間コルムナではYes,we canなどと自己暗示で自らも他人も騙す様なことはしません。それで世の中変わりはしませんし、北方領土も戻っては来ません。
 やはり、一個人から国家まで、地道に正義の種を蒔く奴だけが最後は正義を刈り取ります。人生はたかがそれだけ、されどそれだけなのです。

474 衝撃のアントニオ・デ・トーレスのギター(1) 20-12-2011(火)

近代ギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レスのひ孫フアン・フランシスコ・サルバドール・ヒメネス氏の墓参りのついでに(1)(2)、筆者が始めてアントニオ・デ・ト-レスを弾いた時の想い出です。
 ギター収集家としても勇名だったマヌエル・カーノ先生のコレクションの中のその一本を触ったのは皮肉にも亡くなったその年の夏、神戸のクラシックギタリスト弘井俊雄氏がグラナダに来た際、一緒にカーノ先生のお宅を訪れた時のことでした。
 当時まだ日本に渡っていなかった先生のコレクション(現在茨城県石岡市のギター文化館に保存)を未亡人の奥さんの許可を得て一緒に弾かせてもらいました。もう21年も前のことになります。
 ブーシェが愛器の弘井さんもこれが一番いいと言ったのがアントニオ・デ・トーレスのシコモーロ(Sp:sicomoro&英:sycamore)製の極めて小振りなギターでした。シコモーロとは楓の一種。
 ところが、一見してとんでもないギターじゃないのかと疑わざるを得ないほど見てくれの悪いギターでした。

2011-12-12

499 高くついた夜遊び 13-12-2011(火)

これ(↑)は昨日の地元新聞のある記事の見出しです。
 夜遊びと言えば筆者はすぐに夜遊びの金さんを思い出しますが、もう日本にそう言うおじさんはいないんでしょうかね?
 そう言えば『何者じゃ?』『金さんてケチな野郎で。』とか決まり文句でしたが、自らをケチな野郎と謙遜するのはやはり大物の証拠でしたね。
 さて、夜遊びが高くついたのは写真のお姉様。ディスコ帰りに気が付いたら身分証明書にクレジットカードをすられ、翌日銀行窓口で本人になり済まして、サインまで真似され、口座から有り金1200ユーロ(約13万円)を引き出され、すっからかん。
 銀行員も身分証明書を細かく見なかった様ですが、警察によればまだ運が良かったとのこと。今日金銭より、情報を盗まれることの方がある意味怖いそうです。なり済まされて移民と結婚したり、ローンを組まれたり!? こうなるとケチな泥棒じゃ済まないですよね。

 私はあなたがたが善には聡く、悪には疎くあって欲しいと望んでいます。-----或る昔の偉い人
 
 しかし、この手の事件が起きても悪いのは犯人で、誰も夜遊びが悪いとは言わないのが筆者には不思議です。
 競輪場で喧嘩に巻き込まれても相手が悪いどうのこうのと言うだけで、そもそもそんなとこ行くテメ~が悪いと誰も言わないのと理屈は同じです。
 類は友を呼ぶのは加害者と被害者の遭遇について言える場合もあるはずです。いえ、類は友を呼ぶならそれは遭遇でも偶然でもなく、もはや必然なのです。

473 1年8ヶ月遅れの墓参り(2) 13-12-2011(火)

先週の記事はまだ近代ギターの父アントニオ・デ・ト-レスのひ孫フランシスコが存命中La Leona の所持者Edhard Hannen医師がLa Leonaを携えてフランシスコを地元Almeriaに訪れた際のものです。当然それだけで済むはずもなく、コンサートが行われました。2006年5月。
 自らもギター愛好家である ドイツ人Edhard Hannen医師はLa Leonaのコンサートにはドイツ人ギタリストWulfin Lieskeに依頼するそうです。上記の記事の2枚目の写真がLa Leonaを手にしたギタリスト本人。これがLa Leonaを弾く映像です(1:55)。
 1856年フランシスコの祖々父Antonio de Torres作のLa Leonaは今日のギターと比べてご覧の様に一回り小さい小振りな仕上げ、と言うか、当時はこれが普通サイズだった訳です。
 そして三つ葉のクローバーみたいなヘッドがトレードマーク。

 今回筆者をフランシスコの墓に案内してくれた姪の旦那のミゲールさんの話によれば、家族はEdgard Hannen医師にドイツでの入院中の2月、7月誕生予定の初孫を見れるかと聞いたところ、間に合わないとの答えだったそうです。アスベスト憎し・・・。

2011-12-05

498 タダ働きで自宅にご招待 06-12-2011(火)

先週キューバのカストロ首相の家に招待されたと言う初老のおじさんに会いました。とは言え1971年の話。カストロ政権が年産何万トンだかのサトウキビ栽培を国家の目標に掲げ、世界中からボランティアを募ったのだそうです。
 大阪万博の翌年ですから、中学生のガキだった筆者は知る由もありませんが、結局タダ働きで利用されただけじゃないのか? そうだったよな、とかおじさん。おまけに行き帰りの飛行機も自前ですからネギカモじゃないですか?
 もちろん、寝る所と食事はタダだったそうですが、共産主義国ですから配給制。筆者も32年前ソ連に行った時に垣間見ましたので何となく分かります。金じゃなく、食券を持ってスーパーと言うか食料配給所みたいな場所に行って長い行列を作るのです。
 しかも毎日ジャガイモとチキンだけ!? ソ連の方がもう5品位多かった!? モスクワはさすがに20品目多目でしたが!? 7、8年前キューバに行った日本人も『いや~、聞きしに勝るヒドいとこだった』そうです。
 その滞在中このおじさんを初め世界中から騙されてボランティアにやって来た青年達がカストロ首相の家に招かれたところ、家の中はガラガラで何もなかったそうです。さすがはアメリカに牙を剥く共産主義者。言行が一致しているところだけは凄いじゃないですか? ロシアや中国の銭ゲバ共産主義ならこうはいかんでしょうね。

 受けるより与える方が幸いである。-----或る昔の偉い人

 誰も何も自分の物と思わず、総てを共有して必要に応じて分け与える・・・。筆者は今でもこの純共産主義こそ理想郷だと思っていますが、これが身勝手で自己中な人間様に実行出来ると愚かにも信じた時点で共産主義は失敗だったのです。
 そして、大失敗する前に半資本主義を導入したロシアと中国は上手く立ち回ったと言えなくもありませんが、あくまで孤高のカストロ首相のキューバからは原付ボートに乗った難民がアメリカ目指して後を絶たず。こう言うのをアメリカンドリームとか呼ぶんでしょうかね?
 それじゃあ、資本主義社会の方がいいのか? 一般論としてはそうでしょうが、共産主義の檻から解き放たれた中国人を見ておぞましいと思うだけまだ日本人には救いがあります。
 自分とせいぜい自分の家族の受ける分が価値観の内は広い意味で欲望の墓です(コルムナ79&80)。受けるではなく与える価値観に変わらなければ本質的には何も変わりません。政治体制の問題じゃないんですよね。

472 1年8ヶ月遅れの墓参り(1) 06-12-2011(火)

筆者は一昨日グラナダ県の南隣、地中海沿いのアルメリア(Almería)県ラ・カニャーダ(La Cañada)町の共同墓地に近代ギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レスのひ孫フアン・フランシスコ・サルバドール・ヒメネス氏(冒頭に筆者の追悼文)の墓に初めて行って来ました。昨年4月3日亡くなった際には葬儀にも行けず、今回姪の旦那さんに案内してもらって1年8ヶ月遅れの墓参りとなりました。
 中皮種癌と聞いてはいましたが、結局アスベストが原因だったとは今回始めて知りました(長年建具の会社を経営していた)。検査結果が出たのが一昨年12月28日。すぐに本人と家族はドイツ人医師Edhard Hannen氏を頼りに確かドルトムンドの病院に緊急入院しましたが、検査の結果既に手遅れだったそうです。
 何故急にドイツ人医師かと言うと、当時愛好家達がLa Leona(ザ・雌ライオン)と呼んだアントニオ・デ・ト-レスの最も良く鳴るギターの所持者がこのドイツ人ギターコレクターの内科専門医師だと言う訳なのです。
 あてのない放射線治療の後、最期を故郷で迎えるためドイツの病院から地元アルメリアの病院に直行。4月3日10時10分逝去。40分ほど経って今回墓地まで案内してもらった姪の旦那のミゲールさんから電話があり、翌日の葬儀の段取りが決まったらまた電話すると言われて結局電話がなく、今回1年8ヶ月遅れの墓参りとなった訳です。
 ここに在りし日のフランシスコ写真(2枚目中左)があります。真ん中のおばはんのひい祖父さんが娘、つまり、このおばはんのお祖母さんにアントニオ・デ・ト-レスから後にLa Leonaになるとは知らずに買ったギターが回り回って現在Edhard Hannen医師()の手にあると言う訳です。