2009-02-23

359 ゲテモノオンパレ-ド 23-02-2009(火)

 日本ではともかく、ヨ-ロッパでは昔から結構有名なシべレスファッションショ-が先週今週と首都マドリ-ドで開かれている。この期間市内のホテルは満杯となる。
 それにしても、今日どんなファッションショ-も同じかも知れないが、どれもこれも現実離れしたゲテモノ服ばかり。こんなものでもビジネスになれば開催都市の財政も潤うのだから、それは今世界各地で開かれているカ-ニバルと時期と意味も重なるのかも知れない。国際ニュ-スに拠れば、国際的不況にも拘らず今年もリオのカ-ニバルは大盛況とか。 
 スペイン国内の今日この頃の各地のカ-ニバルもそうだが、不況だからこそバカ騒ぎでしばし浮世離れし様と言う魂胆らしい。
 しかし、百年に一度の金融経済危機だからこそ地に足を着けて浮世離れしないことの方が肝要だと筆者は思うのだが・・・。

 自然自体があなたがたにこう教えていないでしょうか。-----或る昔の偉い人

 確かに何の疑いもなく〝将軍様、マンセ-〟の北朝鮮人民は洗脳されていますが、それは我々が外から見るからこそ気付くこと。我々西側諸国も人のことは言えません。
 イカれた火星人の宇宙服の如きファッションショ-とモデル達が何の疑いもなく持てはやされることが果たして自然でしょうか? カ-ニバルで仮面を着けて何の疑いもなくハメを外すことが自然でしょうか(コルムナ97)? 働かずに金儲けし様と何の疑いもなく旨い話に乗ってコケるのが自然でしょうか? 女子高生が何の疑いもなくツイ-ギ-みたいなミニスカ-トの制服が自然でしょうか? 黒髪の日本人が一億薄痴の如く銀バエ染めすることが自然でしょうか? その他あれやこれや皆浮世離れした立派な洗脳ではありませんか?
 砂漠や大洋のど真ん中で人生に迷って座礁して憔悴して、ふと空を見上げると太古の昔から微動だにしない月星がそこにある・・・。変わるのは人間様の方、しかも悪い方へ、どぶへ、滝壺へ、どツボへ、ゲテモノへと一心腐乱・・・。確かに豆腐やチ-ズは腐ってからが勝負ですが、腐った鯛みたいな価値観ではやはり腐臭漂うだけです。それは自らと他人と言う人間同士の図表だけを見て、自然を見上げなかった不自然な結果だとも言えます。そして、世の中はあたかも不自然さが正義であるかの如く、不自然さを競うゲテモノファッションショ-の競演に酔い痴れています。
 自然に反するものは皆立派な洗脳です。洗脳されないためには自然が自然であること、人間が人間であること、たったこれだけのことなのです。 
 

333 良い単板ギタ-は量産か手工か(2) 23-02-2009(火)

 木工に関しては量産も手工も大差はないことは先週述べました。それは木工としての出来(フィニッシュ)、そして、目には見えない内部の作りもそうだと言えなくもありません。つまり、量産も手工も外見も内部も今日著しい出来の違いはないと言えます、木工の出来としてはです。
 それでも量産工場が年産何千本に対して(今日中国に丸投げ逆輸入でラベルだけスペイン製のスペインギタ-が日本でも多く販売されています)、手工ギタ-は個人製作家がいくら頑張っても年産14、5本。手間隙の違いで小売価格が随分違うのは分かるとしても、木工としての出来に大差がないなら、結局量産も手工も大量生産か手作りかの違いだけで、実質大差はないのではないかと言う素朴な疑問が湧いて来ます。
 実際今日量産ギタ-も手工ギタ-並みの音量は出ていると見受けます、音量に関してはです。しかし、どこか違います。
 音質が違います。手打ちラ-メンもインスタントラ-メンも丼一杯の同じ量のラ-メンには違いありませんが、面の歯応え、ス-プの味とこくの違いは歴然です。
 手工ギタ-と量産ギタ-にも同じことが言えます。木工としては大差はないのに何故音質が違って来るのか? 来週はその理由をコルムナしてみましょう。

2009-02-16

358 発情期は全治永遠 17-02-2009(火)

 南スペイン・アンダルシア地方セビ-ジャ市のど真ん中で先月24日土曜日未明17歳の女の子が行方不明となり、先週14日3週間振りに犯人逮捕。遺体はまだ見つかっていない。
 わざわざ土曜日と書いたが、スペイン人の勘のいい人ならこれだけで筋書きが読める。夜遊びの国スペイン全国では10年ほど前からディスコに行く金のない中高生のガキどもが金土の夜から翌朝まで公園など野外で飲み明かす酒羅場が一大社会問題となっており、明け方には市の清掃局員が大量のゴミの山に酒のビン、果ては使用済み避妊具を掃除するのがお決まりとなっている。 
 こんな所で知り合う奴にロクなのがいる筈もないが、犯人はこんな所で知り合って付き合って僅か1ヶ月のロクでもない遊び人の20歳の男。大体遊び人でまともな人間と言えば金さんしかいないと相場は決まっている。

 利口な者は禍を見てこれを避け、わきまえのない者は進んで行って罰を受ける。-----或る昔の偉い人

 ニュ-スで見る限り被害者の女の子の両親は至ってまともです。しかし、日本でもそうですが、最近この手のまともな両親にピントのずれた子供の組み合わせが多いと見受けます。可愛い年頃の娘を野外泥酔劇場に野放しにして何とも思わないのなら、やはりまともな両親とは言えません。
 一方犯人は孤児で、可愛そうな身の上だと14歳の現彼女がインタビュ-で言っていましたが、取っ換え引っ換えのロクでもない奴の様です。そう言えば以前どこかで、離婚家庭の子供はまた離婚率も犯罪率も多いと読んだことがあります。こんなことをしでかしたら両親は悲しむだろうなと言う発想の抑止力がないからだそうです。なるほど、そう考えると様々な社会問題や犯罪はただ単に患部だけ見てあれこれ言ったところで元凶を見逃していることにもなります。やはり、子供にとって家庭教育こそ学校以前の第一の教育の場であり、家庭が崩壊して崩壊しない社会もまたないことになります。
 今週は奇しくも先週のコルムナの裏打ちになってしまいました。愛情と発情期を取り違えない様に教えてやることもまたまともな両親の義務のはずです。取り違えれば永遠に手遅れと言う場合もあるのです。
 現在まだ警察が市内を流れるグアダルキビ-ル河で遺体を捜索中です。
 

332 良い単板ギタ-は量産か手工か(1) 17-02-2009(火)

 量産ギタ-も手工ギタ-もよくよく注意して見ない限り目に見える木工として特別な違いは今日ないとも言えます。いえ、むしろ、木工としての出来なら日本製量産ギタ-の方がスペイン製手工ギタ-に勝るとも言えます。
 半年前に亡くなりましたが、グラナダ出身のAntonio Ariza(アントニオ・アリサ)と言う製作家がいました。日本でも『あのいい加減さが堪らない』と言う隠れファンがいた様です。目が悪かったこともありますが、フレットの溝をのこぎりでギコっと5mmも間違え放ったらかし(量産工場では総て機械で溝を掘りフレットを打つ)、ナットやブリッジの溝は隙間だらけで反対側が透けて見え、サウンドホ-ルのモザイクもガタガタ・・・。筆者は、もう20年以上前になりますが、このおじさんの工房の前でアルハンブラ宮殿に向かう旅行者相手にフラメンコと闘牛のポスタ-のテキ屋を2年間やっていました。たまに、ギタ-の客を回したりして楽しい時間を過ごしたものですが、おじさんは何と、客が若い女性なら必ずプロポ-ズしていました。半分冗談でしたが、半分本気でもありました。
 ギタ-の出来映えも性格丸出しで、結構当たり外れがありましたが、これがまた楽しみでもありました。因みにうちにはありませんが、日本のある所におじさんの、音は極上で見た目は量産ギタ-以下のギタ-が2本あります。ご希望の方はお尋ね下さい。
 それに引き換え、さすが几帳面な日本人は量産ギタ-に至るまで几帳面な出来です。
 しかし、この〝出来〟とは日本人にとって木工と言う面がかなりの比重の様です。それも結構でしょうが、楽器の出来とは主として〝音〟であること、良いギタ-の定義も木工より音であることを念頭において更に良いギタ-についてコルムナして行きましょう。

2009-02-09

357 発情期は全治一生 10-02-2009(火)

 1ヶ月前に1件、そして、先週立て続けに2軒離婚の話を聞いた。離婚率7割故に離婚しない方が特別天然記念物みたいなお国柄なので大して驚きはしなかったが、3件共こちらで結婚している(いた!?)日本人の話。もちろん、スペイン人男性と日本人女性の組み合わせ。内2人はまだ若く、不幸にもごく小さな子供が一人づついる。
 結婚式の際〝遂にゴ-ルイン〟などと日本語で言われることがあるが、結婚はゴ-ルどころか夫婦生活と言うスタ-ト地点に立ったまでの話だと言った方が当っている。目的地(ゴ-ル)と思ったら実はいくつかある人生の節目の一里塚(手段)の一つに過ぎなかった・・・。これを目的と手段を取り違えると言う。取り違えると言うか、この場合勘違いと言うか・・・。
 お互い相手を取り違えて勘違いしたから別れましょう・・・。親の浅知恵に反比例して子供は一生引き摺る深いキズを負う。

 嘘は花は咲かせるが実は成らせない。-----或る昔の偉い

 破壊なくして創造なし!! いや、離婚ならちょっとこれは違う様ですね・・。それじゃあ、国破れて山河有り!! こちらの方がまだ未来に希望を感じさせる表現ですが、山河には離婚調停に子供の取り合いに養育費の押し付け合い、捨て台詞に恨み辛みしかないなら、離婚は終局どころか泥仕合のゴングが鳴ったに過ぎません。しかも、反則も凶器も何でもありの時間無制限デスマッチ。レフリ-は弁護士に裁判官。下手をすれば全治一生かも。
 何より子供が可愛そうですね。目的と手段ならともかく、馬鹿な両親が発情期を愛情と勘違いしたツケを罪のない子供が払わされるのですから、子供こそ全治一生の深いキズかも知れません。
 筆者は常に次の3つのことで人を見極めることにしています。一つ、何か不都合が起きた時の反応(物事順調な時は皆いい人なのです)。二つ、金銭に潔癖か(世の中金については別人格の人間も多い)。三つ、約束に忠実かどうか(自己中な連中ほど人を人と思わず、約束の概念が希薄)。
 別に他人様を裁いているのではなく、結婚や事業など今後の人生を大きく左右する一里塚だからこそ人を十分見極めなければ自らが致命傷さえ負うとすれば、見極めないで行動を起こす方が浅知恵なのです。裁くと見極めるとは明らかに別物です。発情期と愛情も明らかに別物です。取り違えて勘違いすれば、自らも家族も周囲も不幸にしかねません。
 発情期で花は咲いたが、愛の実は成らなかったのが今日多くの離婚の真相とも言えます。やはり、人生の収穫は花より実です。ましてや、この世界同時不況のご時世なら、なお更花より実が篩いにかけられ真価が問われます。

331 小さいけど大きいのだ良いギタ-(3) 10-02-2009(火)

 それではどうしてあるギタ-は音量があっても音が団子状態で遠くまで届かず、あるギタ-は音が小さいのに音の分離が良い故に遠くまで分離して聞こえるのでしょうか?
 まず、ギタ-は合板ギタ-と単板ギタ-に大別出来ます。見た目その木100%を単板ギタ-と言い、安物家具と同じで、見た目の木は表面にシールの如く張ってあるだけなら合板ギタ-です。当然音の通りが違います。
 今日合板ギタ-でも音量は追求出来ていると言えます。しかし、手元では鳴っていても、離れるほど音が混じって釈然としません。安さもあり、これは仕方のないことです。
 それでは単板ギタ-なら皆音が綺麗に分離して等しく遠達力があるのでしょうか? 合板ギタ-に比べればそうだと言えますが、下を見ても仕方がありません。単板ギタ-の範囲内で考えてみましょう。
 まず、同じく単板ギタ-とは言え、手工ギタ-と量産ギタ-では音の味わいが違います。前者の方が後者より更に音の目鼻立ちがくっきり分離して遠くまで美人です(先週のコルムナ)。
 確かに職人の腕の違いもあるかも知れませんが、来週からはこの手工ギタ-と量産ギタ-の違いを比較しながら、更に良いギタ-についてコルムナして行きましょう。

2009-02-02

356 ハメるもハマるも思う壺!? 03-02-2009(火)

 地球全体の構造が大まかに南北問題なら、貧しい南から移民が仕事を求めて産業のある北へ向かう構図もまた地球規模で確かにそうなっているのが現代社会だと言える。
 筆者の故郷付近は造船所が多いが、1992年に帰国した際、電車の中でおかしなスペイン語が聞こえて来たので良く見ればインディオ丸出しの顔の中南米の労働者だった。ところが、2004年末、2007年春帰国した際は中国人で一杯だった。訪れた名古屋のある駐車場に中国語で防犯カメラ設置と立て看板があったのがやけに印象に残る。
 一方スペインでは、ことばの壁がないこともあり、元宗主国のバブルに吹かれてやって来た中南米の移民が多い。しかし、バブルが弾け飛んだ今、移民達は本国に帰るか、石に噛り付いても本国に帰らないために(帰れない事情の連中も結構いるらしい)、良からぬことに手を染めるかの二者択一を迫られている事情は日本の移民達と変わらない様だ。
 確かに気の毒ではあるが、いつまでも建設ラッシュが続くと思い込んで住宅ロ-ンを初めあれこれ砂上の楼閣を夢見ていたとすれば、それは思慮の深い行動だったとは言い難い。
 ところが、思慮が深いかどうかはともかく、一味違うのが中国人の移民達。日本には単に労働者としてやって来るだけかも知れないが、スペインを初めヨ-ロッパには百円ショップを出しに来る。分かり易く言えば、日本の量販店では日本人経営者が中国製品を販売しているのに対し、こちらでは中国人自らがわざわざ中国から100円ショップのオ-ナ-になりに来るのである。
 そうなれば、バブルが弾けて世の中不景気のなればなるほど連中の安売り戦術に追い風が吹く。背に腹は代えられない金のないスペイン庶民は例え安かろう悪かろうでもそこで買物をすることになるのは日本と同じ。それこそ背に腹は代えられない地元商店も価格を下げざるを得ない状況になって来ているのが、まだ始まったばかりの2009年の傾向だろう。まだまだ価格破壊と言うまでは行かない様だが・・・。

 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。-----或る昔の偉い人

 皮肉にも、生き残りのために原価の安い中国製品に切り替えざるを得ない地元スペイン人商店も多い様です。これではますます中国人の思う壺です。
 確かに資本主義は誰が何をいくらで売ろうが自由でしょうが、スペイン人はバブル期に自由に値を吊り上げ、中国人は自由に値を下げているとも言えます。対極に見えても、実は上げるも下げるも自らの欲のため。利得を求める性根は同じと映ります。
 筆者は誰が何をいくらで売ろうが基本的には気にしませんが、やはり地元の産業が落ちぶれることは一国にとって良いことじゃあないですね。その意味ではある種の黄禍論が21世紀世界規模で現実となっているのかも知れません。しかし、誰のせいだと名指しにするのではなく、多くの禍いの元はあくまで人間様の強欲です。
 それにしても原価二束三文の中国製スペインギタ-(今日スペインの有名メ-カ-が率先して中国に発注&日本のメ-カ-も!?)に、フカひれの代わりに臆面もなく春雨の入ったフカひれス-プ(2.35ユ-ロ=約210円:う~ん、確かに安い!?)。その原動力はともかく、華僑は真に逞しい限りです。

330 小さいけど大きいのだ良いギタ-(2) 03-02-2009(火)

 例え音は小さくても、一音一音分離してはっきり聞こえるギタ-はその透明感と遠達力故に音が大きいと聞こえるものです(先週のコルムナ)。
 どんな女性でも目と耳は2つ、鼻と口は1つづつですが、目鼻立ちがくっきりしているほど美人だと言えます。単に顔が大きいと言うだけでは美人がどうか分かりません。
 同様に、ただ単に音の大きなギタ-だと言うだけでは音が美人のギタ-とは断言出来ません。音もまた目鼻立ちがくっきりして、くっきり分離していれば、遠くから見ても美人は美人である様に、遠達力に優れた音質のある良いギタ-だと言えます。
 音が遠くまで届くのですから、素人考えで行けば音量が大きいと思うところですが、音量ではなく、各音がしっかり分離して音質があるから音が遠くまで聞こえるのです。
 単に大きな音が出ているだけのギタ-・・・。それはただ単に目と耳は2つ、鼻と口は1つづつありますよと言うだけの話で、それ以上は何もありません。それ以上は音質が伴わなければ話の続きはありません、音も遠くに届きません。例え音量があるので遠くで聞こえても、分離していなければ音は団子状態で耳にも心にも届きません。
 6本の弦から音が出ているのがギタ-の定義ではありません。良いギタ-かどうかはそこから先の話なのです。