2009-01-26

355 やりゃあ出来るんじゃないの・・・か!? 27-01-2009(火)

 何~が〝Yes,we can.〟じゃ!? アメリカ国民は本当にこの呪文を唱えて社会が良くなるとでも思っているかの様な熱狂振りだが、いい意味悪い意味でアメリカはショ-ビジネス社会だと感じさせられた大統領就任式だった。
 しかし、筆者には2年ほど前旅行者から貰った日本の週刊誌のサブプライムロ-ン関連記事の最後に書いてあった『アメリカ国民の意識が質実剛健に変わらない限り、この危機を乗り切ることは出来ない』との核心を突いたコメントがより現実性を帯びて思い出されて来た。 
 ついこの前まで働くことを心から厭い、住宅転がしの錬金術でラクラク快適ライフを目指していた連中が、自らがこけたからと言って、舌の根も乾かない内にまるで別人の様に〝Yes,we can.〟の大合唱!?
 この方が余程〝変わり身が速いでショ-〟だ。もっとも、小浜市もそんなことは百万も承知なのだろうが・・・。

 正義と真理に基しない繁栄と隆盛はしばしば消えて行き、その代わりに欠乏と恥辱と失望とが来る。-----或る昔の偉い人

 小浜市はマクロに指揮棒を振り、国民一人一人はミクロです。『ミクロなくしてマクロなし(先週のコルムナ)』なら、〝Yes,we can.〟の前に〝もしアメリカ国民の意識が質実剛健に変われば〟と言う条件節(←こんな文法用語はあっただろうか!?)が果たされればと言う仮説に過ぎません。そして、実はそうはならないであろうこともまた小浜市自身が良く知っていることでしょう。
 もちろん、アメリカだけの話ではありません。まだ一月末だと言うのにスペインは大不況の下り坂どころか、立て板に水。地元グラナダ市のサッカ-チ-ムが借金地獄の火だるまで、もう数ヶ月も監督選手にギャラが払えず、不景気な地元企業もスポンサ-に付かず存亡の危機。こんなことはほんの一例でしょうが、氷山の一角的に象徴的でもあります。
 もっとも、私達はサハラ砂漠やアマゾンの奥地にいる訳ではありません。質実剛健で襟を正せば、ただこの条件において〝Yes,we can.〟は確かに可能です。しかし、生まれてこの方雪を見たことのない人にいくら雪とはこう言うものだと心から熱心に誠実に相手の身になって説明してもキョトンとしている様に、生まれてこの方質実剛健とは何か知らない連中には質実剛健など火星人の漫才に過ぎません。これが諸悪の根源なのです。
 ところで、このコルムナを書きながら今しがたグラナダ空港に着いた旅行者から電話がありました。『ロ-ストバゲ-ジでどうしたらいいんでしょうか? 50人ほど凄い列なんですけど・・・』 筆者は『50人分の荷物が着かないなら、乗せる飛行機丸ごと間違えたんじゃないですか』とは言いませんでしたが、乗り継ぎなしの国内便ならなお更そうでしょう。やはり、空港局員も正社員ではなく契約社員ですから、年明け早々気合が入ってない様ですね。これまた象徴的ですが・・・。 

329 小さいけど大きいのだ良いギタ-(1) 27-01-2009(火)

 もちろん音の話、そして、何より音質の話です。
 百歩譲って初心者はもちろん、多くの上級者まで第一印象の音量でギタ-の良し悪しを判断しているとすれば、それは大きく分けて次の2つの場合が考えられます。
 本当に音量のあるギタ-の場合と、音量はないが音量があると聞こえるギタ-の場合です。
 私は数十年前の安物のスペイン製くるみギタ-を持っています。当時は合板がなかった時代でしたので、安物とは言え単板ギタ-ですが、徹底的に経費節減したものと見え、何と内部には力木さえありません。おそらく経過年数のせいでしょう。このギタ-が、手元で弾いた感じ、音は非常に小さいのですが、他の手工ギタ-を差し置き、何と聞く人総てにこのギタ-が一番良いと言われます。具体的には一音一音がはっきり分離しており、遠くまできれいに聞こえると言うのです。
 また、私が以前こちらでR.ブ-シェのギタ-を弾く機会がありました。正直、手元での響きはこれが銘器かなあと言う第一印象だったのですが、プロがステ-ジで弾くと全くもって心に沁みる様な音色でした。  
 音質とはどんな高速アルペジオやトレモロでも一音一音分離してはっきり聞こえること。そうすれば、その透明感と遠達力故に、例え音量自体はないギタ-でも音量があると聞こえるものです。それに更に音量が加われば言うことなしですが、良いギタ-の選考基準はまず音質であることを再度念頭において下さい。

2009-01-19

354 ご破産で願いましては 20-01-2009(火)

 先週仕事を辞めてスペインを旅行中の男性旅行者がやって来た。もうじき帰国して仕事を探すそうだ。
 日本は内定取り消しや雇用悪化でボランティアが増え続けるホ-ムレスに炊き出しをしている大変な世の中になっているはずの割にはこんな呑気な若者が男性女性を問わず日本語情報センタ-には後を絶たない。やはり、日本は平和な国なのか!?
 先々週の日本のあるお婆さんは実は農家の方だったが、人手不足に後継者不足で休耕地が結構あるとのこと。その気なら食べて行くだけなら何とでもなるとか言ってはいたが、求人や住居や住民登録に保証人など、都会から見知らぬ田舎まで移住することの方が大変だ。なるほど、こう言ったことこそ行政で何とかシステム化して欲しいものだが、そう考えれば、生きて行くだけならまだまだ人手不足の業種はありそうだ。
 こちらスペインでは住宅ロ-ンはもちろん、各種業界で月賦やカ-ド決済の買い物の支払いが滞っているらしい、大挙して!? 滞れば利子がかさむのは万国共通だが、ここがスペイン人の国民性と言うか何と言うか、民主主義の多数決の理論で押し切ってしまうのだ(意味不明!?)。それ位未払いが年明け早々激増しているとの最近のニュ-スだが、スペイン人が日本人と決定的に違うのは、悪いのはあくまで不況で、まさか余計な買い物をした自分のせいだなどとは頭を掠めもしないことである(これも今一意味不明!?)。

 誰でも自分の利益を求めないで他人の利益を心がけなさい。-----或る昔の偉い人

 仮に一国の平均税率が3割だとすれば、それはある意味3割の共産主義だと言えます。それを困っている人々のためにどう使うかは政治の決めることですが、政治はあくまでマクロ、困っている人々はミクロです。そして、久し振りにこのことばを使いますが、やはり“ミクロなくしてマクロなし”です。
 にもかかわらず、日本では仮に市が失業者雇用対策で臨時清掃局員を募集したとしても大した応募者は来ないだろうから募集しないとか・・・。
 ミクロの細胞が各自身勝手なこと言っていると体に変調を来たします。そして、変調を来たしたミクロの塊が変調を来たしたマクロな現代社会なのかも知れません。今回の世界的大不況はミクロな身勝手から出た錆が国家、そして、世界経済と言うマクロな屋台骨まで腐食している構図が見えると言えば、当らずとも遠からずではないでしょうか?
 真にミクロな誰もが自分の利益を求めないで他人の利益を心がければ100%の共産主義も可能かも知れませんが、身勝手な人間様には反面教師の理想郷に過ぎません。いっそのこと、一度すっきりご破産で願いましてはにでもならない限り、この世は裸の王様の自らに気付かない人が大半なのかも知れません。カ-ド会社も!? 

328 大盛りだから美味いのか良いギタ-(3) 20-01-2009(火)

 インスタントラ-メンの大盛と手打ちラ-メンの普通盛のどちらが美味いかを利くために丼を2つ平らげる必要はありません。それぞれ一口味見すれば言いだけの話。量は関係ありません(先週のコルムナ)。量を質、音量を音質と取り違えればこんなギタ-漫才を演じることになります。
 例えば、麺の間延びした大盛なら確かにお腹には応えますが、舌にまずいこと位誰でも分かります。そして、こんなギタ-もあります。手元で色気はないが大きな音が出ていると聞こえる割には遠達力がさっぱりです。
 今日安価な合板ギタ-でも音量は追求出来ます。実際音量測定器で測れば手工ギタ-と変わらない音量の合板ギタ-はいくらでもあるのではないでしょうか? しかし、音量測定器で音質は測れません。利くしかないのです。
 それよりは重量感はなくても麺に腰のあるざるそばの方が美味いと感じます。
 もちろん、色気があって大盛のギタ-ならなお更良いギタ-ですが、色気のある音色なら音量に関係なくそれらは良いギタ-です。例え音量はなくても音が分離して遠達力があるものです。いえ、むしろ、手元では鳴らないが、遠達力のあるギタ-こそ色気のある音質の良いギタ-だと定義する熟練者は多いものです。

2009-01-12

353 スペインでコマネチの親戚 13-01-2009(火)

 先週土曜日未明グラナダ市郊外のドヤ街で発砲を含む約20人が入り乱れた乱闘騒ぎがあった。対立しているル-マニア人二家族がぶつかったらしい。
 ル-マニアと言えば日本人にはあの10点連発のコマネチ以外は何も思い浮かばないほどどうでもいい国かも知れない。もう随分昔亡命先のアメリカで、まるでお多福風邪にかかったかの如くふくよかになったコマネチをこちらの国際ニュースで見た記憶があるが、ル-マニアは東欧で唯一ラテン系の国でもあり、久し振りにル-マニアが世界中で国際ニュ-スになったあのチャウチェスク騒動の時も(1989年)、結構スペイン語と似た言語であったことを筆者も良く覚えている。あれなら旅行に行ってもチンプンカンプンと言うことはなさそうだ。
 要するに、あの時以来共産主義が崩壊して貧困に喘ぐル-マニア庶民が西ヨ-ロッパ自由主義圏に流れてる訳だ。ここスペインではル-マニア人を見たら泥棒と思え、とほとんど諺になるほど悪いイメ-ジが定着してしまっている。そして、実際諺もどきになるほどの数のル-マニア人がスペインに来ている訳でもあるが、その大半はろくなことをしでかさないのは今回の事件が良く証明している。
 それでも、赤外線の警報装置を外して、エアコンの穴から催眠ガスを流し込んで丸ごと盗んで行く旧ユ-ゴスラビア元軍人のハイテク盗賊集団よりはまだ小悪党だが、スペイン人でさえ仕事がない今日の世界的大不況に加えて社会から疎外されれば、やることはやはり悪事と相場は決まって来る。

 知恵の正しいことはその行いが証明する。-----或る昔の偉い人

 島国日本でさえろくでもない外人が溢れている今の時代。ましてや、陸続きならなお更です。
 しかし、あいつが悪い、こいつのせいだとニュ-スになるのはある意味目先の事件のみ。結果的にこうした事件を引き起こす大きな流れがあるとすれば、それは人類全体の流れが下流に差しかかっているからとは言えないでしょうか?
 川は下流ほど水が汚いのは当たり前。そこで生まれた小魚達にとってはその汚い水がむしろ常識。やることなすこと総て汚い水ベ-ス。当然それに比例する言行(奇行!?)がますます幅を利かせて来ているのが末期ガン現代社会とも言えます。
 そこでふと我に帰って、このままじゃいかん、上流へ行こうとすると、何だお前、付き合い悪いなあ~とかギャ-ギャ-抜かす、流れに身を任せるままの大半の下流の現代魚達。それでも上流に行かなきゃ滝壺に逆落としじゃ、と言うのが今年もまたスペイン週間コルムナのベ-スなのです。
 そう言えば、モントリオ-ルオリンピックの翌年でしたか、コマネチが地元愛知県体育館にやって来ました。観に行かなかったのが心残りですが、確か同じ年の日ソ女子バレ-は観に行きました。日本女子の3-0ストレ-ト勝ち。
 コマネチは筆者と4つ違い。さすがのコマネチももうとんでもないおばさんでしょうね(西洋人は若い頃とはものの見事に変わる!?)。また、あの頃はいつもソ連と金銀を争っていた日本の男女バレ-もすっかり衰退期に入りました。いずれも下流効果でしょうか?
 確かに今後、今回の世界的経済的危機も含めて、ますます人類社会はますます腐臭漂う下流にますます差し掛かります。下流のことなど反面教師として、出来れば流れに逆らって上流に向かいたいものです。

327 大盛りだから美味いのか良いギタ-(2) 13-01-2009(火)

 どうも人間と言うのは見た目に弱い生き物の様です。
 このギタ-の方がカワイイ~とかどう仕様もないミ-ハ-な選び方は別にして、音にも見た目があるとすれば、やはり、まず音の大きなギタ-に耳を奪われるのが多くのギタ-愛好家の現状(症状!?)かも知れません。
 しかし、極端な話、長いギタ-人生に於いて、インスタントラ-メンの大盛と手打ちラ-メンの普通盛の如きギタ-2本を比較する様な場面に出くわすことは他人事ではありません。早い話、ギタ-購入の際何本かのギタ-を弾き比べなければならないのは皆が通る道なのです。
 そして、この場合、料金の高い安いは別にして、聴覚の見た目に訴える音の大きさだけでどれが一番良いギタ-か選ぶとすれば、インスタントラ-メンの大盛ギタ-の方を迷わず評価してしまっている人が意外と多いのではないかと思われます。
 楽器の選択はある意味利き酒みたいなもの。スペインにもワインやオリ-ブオイルを利く職人がいます。そして、インスタントラ-メンの大盛と手打ちラ-メンの普通盛のどちらが美味いかを利くためには一口味見すれば言いだけの話。量は関係ありません。
 最初の一本は仕方がないかも知れませんが、二本目以降大枚叩くとなれば、一体ギタ-の何を利くか位の基本コンセプトは持っているべきです。そして、それはもちろん、日本語で言い古された『量より質』であり、『音量より音質』です。
 日本では団塊の世代が退職して若い頃弾けなかったギタ-に挑戦してみ様と言うほのかなブ-ムがあるとかないとか・・・。日本のギタ-専門店ではそう言う客層にはいきなり100万円のギタ-を勧めるとか・・・。音質で見極めて購入しなければ後悔します。少々高い買物の場合はやはり分かる人に助言を請う方が無難でしょう。

2009-01-05

352 花咲か爺さん 06-01-2009(火)

 花が散っては咲く様に~♫ これはこちらで新年早々一昨日4日に聴いたある歌の歌詞である。普通は花が咲いて散ることの虚しさに例えて何らかのメッセ-ジを伝える場合がほとんどのはずだが、この歌詞は文字通り見事な逆転の発想で聴く者に希望を抱かせる構成が非常に印象に残る。
 しかし、冷静に良く考えてみれば逆転の発想とまでは言えない何の変哲もない表現でもある。世界的大不況のご時世だからこそ暗黒の中から上を見上げて一点の光明を見出す様なこの歌詞の断片が驚くほどの新鮮な逆転の発想に思えたのかも知れないが、再び花が咲くためにはまず今現在花は散っていると言う認識がなければならないとすれば、去年下半期から株で大損した人、仕事を失った人・・・。
 そう言えばつい先日日本のあるお婆さんと話したが、日本ではまだまだ人手不足の職種はいくらでもあるし、その気になれば生きて行くだけなら何とかなるとか・・・。どうやらやる気さえあればもう一度小さな花くらいは咲かせられるのが祖国日本であるらしい。

 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士の嫉みに過ぎない。これもまた虚しく風を追う様なものだ。-----或る昔の偉い人   
 
 世界中で自動車が売れないので公的資金投入に労働者解雇・・・。車なんて、どうしようもないオンボロならともかく、少々型が古かろうがキズが付こうが、その用途を果たせばそれで良しとすればいいのです。家電も家具も食器も衣服も同じこと。筆者はそう考えます。40年前膝と肘に継ぎ当てだらけの学生服で星雲高校に通った星飛雄馬の真似をする必要はありませんが(←分からない読者はお父さんに訊いてね!?)、確かにこんな堅実節約路線は却って資本主義の敵でしょう。どんどん生産して消費して買い換えないと消費経済は回って行きません。そこで今度は何が流行るか、誰が何を仕掛けるか、目聡い人は常に注意して機を伺っているのでしょう。
 しかし、それはそれ自体犯罪でも何でもないにせよ、所詮広い意味で人間同士の嫉みの産物に過ぎず、虚しく風を追う様なものなのです。虚しく風を追った報いが強烈な逆風となって今世界中で吹けよ風、呼べよ嵐(←昔こんなおじさんがいた!?)とばかりに猛威を奮い始めたばかりだとすれば、今年は向かい風が吹いて桶屋まで吹き飛ばされる大番狂わせの一年になっても不思議はありません。
 もちろん、勉強も仕事も人生何でも一生懸命やるべきなのは当たり前ですが、それが自己中の延長なら広い意味で人間間の嫉みに過ぎず、結果として自らにも家庭にも学校にも社会にも逆風を、そして、ガザ地区には爆風を呼び込みます。
 結局自己中は逆風を、隣人愛は順風を吹かせることになっているのです。答えは出ているのです。この天の摂理の前には何が売れ様が売れまいが関係ない話です。そんなことをまた今年一年スペイン週間コルムナして行きましょう。

326 大盛りだから美味いのか良いギタ-(1) 06-01-2009(火)

 筆者は貧乏性のせいか、どうも大盛りとかお徳用なることばについ気を奪われてしまいます。
 そこで、ラ-メン鉢2つ想像してみましょう。一つは大盛、もう一つは普通盛です。大盛を選ぶ人の理由は何か得した気になるから、この方がお腹に応えるから、意地汚いから~などが考えられます。いずれも一理ありますが、一言で言えばによる選択ですね。それに引き換え、一体何処の誰が大盛の方が美味しいから~と選ぶでしょうか!?
 大盛りだから美味しい!? 確かにピンボケ漫才です。
 音量だけでギタ-を判断する人もこんなものかも知れません。つまり、良いギタ-だから音が大きいはずだと言う、これはもう本能的な思い込みです。
 新年早々この多くのギタ-奏者の本能的な思い込みについてスペインギタ-週間コルムナしながら、引き続き良いギタ-について音のよりで追求して行きましょう。
 今年もまたお付き合い下さい。