2009-01-05

352 花咲か爺さん 06-01-2009(火)

 花が散っては咲く様に~♫ これはこちらで新年早々一昨日4日に聴いたある歌の歌詞である。普通は花が咲いて散ることの虚しさに例えて何らかのメッセ-ジを伝える場合がほとんどのはずだが、この歌詞は文字通り見事な逆転の発想で聴く者に希望を抱かせる構成が非常に印象に残る。
 しかし、冷静に良く考えてみれば逆転の発想とまでは言えない何の変哲もない表現でもある。世界的大不況のご時世だからこそ暗黒の中から上を見上げて一点の光明を見出す様なこの歌詞の断片が驚くほどの新鮮な逆転の発想に思えたのかも知れないが、再び花が咲くためにはまず今現在花は散っていると言う認識がなければならないとすれば、去年下半期から株で大損した人、仕事を失った人・・・。
 そう言えばつい先日日本のあるお婆さんと話したが、日本ではまだまだ人手不足の職種はいくらでもあるし、その気になれば生きて行くだけなら何とかなるとか・・・。どうやらやる気さえあればもう一度小さな花くらいは咲かせられるのが祖国日本であるらしい。

 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士の嫉みに過ぎない。これもまた虚しく風を追う様なものだ。-----或る昔の偉い人   
 
 世界中で自動車が売れないので公的資金投入に労働者解雇・・・。車なんて、どうしようもないオンボロならともかく、少々型が古かろうがキズが付こうが、その用途を果たせばそれで良しとすればいいのです。家電も家具も食器も衣服も同じこと。筆者はそう考えます。40年前膝と肘に継ぎ当てだらけの学生服で星雲高校に通った星飛雄馬の真似をする必要はありませんが(←分からない読者はお父さんに訊いてね!?)、確かにこんな堅実節約路線は却って資本主義の敵でしょう。どんどん生産して消費して買い換えないと消費経済は回って行きません。そこで今度は何が流行るか、誰が何を仕掛けるか、目聡い人は常に注意して機を伺っているのでしょう。
 しかし、それはそれ自体犯罪でも何でもないにせよ、所詮広い意味で人間同士の嫉みの産物に過ぎず、虚しく風を追う様なものなのです。虚しく風を追った報いが強烈な逆風となって今世界中で吹けよ風、呼べよ嵐(←昔こんなおじさんがいた!?)とばかりに猛威を奮い始めたばかりだとすれば、今年は向かい風が吹いて桶屋まで吹き飛ばされる大番狂わせの一年になっても不思議はありません。
 もちろん、勉強も仕事も人生何でも一生懸命やるべきなのは当たり前ですが、それが自己中の延長なら広い意味で人間間の嫉みに過ぎず、結果として自らにも家庭にも学校にも社会にも逆風を、そして、ガザ地区には爆風を呼び込みます。
 結局自己中は逆風を、隣人愛は順風を吹かせることになっているのです。答えは出ているのです。この天の摂理の前には何が売れ様が売れまいが関係ない話です。そんなことをまた今年一年スペイン週間コルムナして行きましょう。

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