2007-10-23

264 健全な歌心から始まる左手各指の独立性 23-10-2007(火)

どうして同じ一人の弾き手が得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれず安定し、指も力まず独立性があり、逆に、不得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれ、指だけの力で指板にしがみ付き、更に力む悪循環に陥り、独立性どころか力みまくって最後はギブアップなのでしょう(先週のコルムナ)? ついでに先々週までの小指の話に戻るとすれば、得意な曲ほど小指は跳ねず、不得意な曲ほど小指も跳ねているはずですが、どうでしょうか?
このところのテ-マは“左手&左腕の軸のぶれ ⇒ 指もぶれる ⇒ 指の独立性の喪失”だとすれば、これは一見“左手&左腕の軸のぶれを無くする ⇒ 指もぶれなくなる ⇒ 指の独立性も回復される”だけの肉体的な作業の様に見えます。確かに結果的に肉体的にそうなってはいますが、人間誰しも精神の健康を伴わずして真の肉体的健康もまたあり得ません。健脚の人も悩み事があれば足取りは重いと同じことです。では指が重い人は!?
逆に、少々風邪気味でもいいことがあれば足取りも軽くなります。正に病は気から。同様に指の健康も歌心から。
歌心ほどに左手&左腕の軸は安定し、各指は力まず独立性があり、歌心の欠如ほどに左手&左腕の軸はぶれ、指もぶれて力んで独立性を失う。それだけのことです。得意な曲ほど歌心があり、苦手な曲ほど歌心に欠けるとすれば、左手&左腕の軸の安定も左手各指の独立性もまた無意識の内に歌心に正比例することに何の疑いもありません。“左手&左腕の軸のぶれを無くする ⇒ 指もぶれなくなる ⇒ 指の独立性も回復される”ためにはその曲をもっと歌心を持って歌ってみましょう。左腕も左手も指自体もそんなに気にすることはありません。

289 バブって弾けりゃ摩天楼 23-10-2007(火)

 日本語情報センタ-のすぐ横に二年位前から不動産屋がある。何故か以前フラメンコ会場のガイドをしていた知り合いが半年位前から勤めている。空前の不動産ブ-ムに踊らされて、ガイドの日銭よりハイリスクハイリタ-ン人生を選んだらしい。
 何せ徒歩5秒なのだから、近くの共通のBar(バル:立ち飲み喫茶みたいなもの)も含めて朝夕顔を合わせることも多く、いつも色々な話を聞かされる。例えば、100㎡あるかないかのその不動産屋の家賃が7000ユ-ロ(約115万円)。正確な広さは分からないが、その正面の高くて誰も借り手の付かない貸店舗の家賃が倍の14000ユ-ロ(約230万円)。これに従業員の給料や保険など合わせれば一体一月どれだけの売上の商売なら成り立つのか、しかし、売手市場の不動産ブ-ムだから家主も強気だよな~、などなど。
 その建築ラッシュもそろそろ頭打ちで不動産ブ-ムにも陰りが・・・、と言う新聞の社説が今年は結構頻繁で、スペインのマスコミでも禁断の不動産バブルなることばが使われ始めている。首相や大蔵大臣が世論をなだめるための“心配ない”発言をたまに行うと言うことはもうきな臭い証拠ではないだろうか。ただ、バブルが弾けて人々が金を使わない不況になった日本とは違い、元々宵越しの金はもたねえタイプのスペイン人は金がない不況となり、もし弾ければこちらの方が深刻だろう。しかし、もう一つの違いは日本は日本だけのバブル崩壊だったが、スペインはいざと言う時はEUが何かしてくれるかも知れないと言う甘い後ろ盾がない訳ではない・・・かも知れない。もっとも、EUは所詮大同団結呉越同舟会だとすれば、大した援助はしてくれないだろう、と言う社説も今のところない。
 ところで、この知り合いの話で一番面白いと思ったのは、圧倒的大多数の客は自らが住むために物件を購入するのではなく、投資のためだと言うのである。『それじゃあ、お前んとこは不動産屋か投資ファンドか訳が分からんな』と言うと、あっさり『投資ファンドだろう』と割り切ったお返事。だったら、真珠でも金の延べ板でも何でもいい。しかし、強欲な人間ほど動く額がデカいハイリスクハイリタ-ンの不動産投資に傾くことに国境はないらしい、銀行から借りた金で!? 銀行も担保を十分取らずに!? どっかで聞いた話か!?

 金持ちにになりたがる人は誘惑と罠と、また、人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とに陥る。-----或る昔の偉い人

 一昨日の新聞に拠れば国民一人の借金(国の負債額ではなく金融機関からの借入金)が6年前8300ユ-ロ(約135万円)だったのに対し、現在は20500ユ-ロ(約340万円)。これは幼児から老人を含む国民総人口の平均額ですから、現労働人口の返済しなければならない実質負債額はもっと多いことになります。これは、不動産ならまだしも、今日国民は何でもロ-ンで買う傾向にあるが故だそうです。もっとも、これは他のヨ-ロッパ諸国でも同じ傾向だから心配するほどのことではない、とは書いていませんでしたが、これでバブルが弾けでもすれば更にヤバイことは明白です。
 幸か不幸かスペイン人はバブル崩壊と言われても何のことかピンと来ない様です。人間自らの身をもって体験しない内は何事も他人事なのでしょうが、ここにバブル崩壊を目撃した一人のスペイン人がいます。1929年の大恐慌の真っ只中ニュ-ヨ-クにいた、後にスペイン市民戦争でフランコ側に銃殺されるグラナダ市郊外出身の大詩人ガルシア・ロルカは、一晩で全財産を失ったアメリカ人投資家達が何人も摩天楼から投身自殺するのを自らの目で目撃したそうです。もう78年も前のことですが、金に絶対的価値観を置く人間の考えることは常に財テクであり錬金術であり、その習性も崩壊に至る電車道もまた時代を問わず同じである・・・と筆者は感じます。
 金以外のことに価値観を持った方が人生豊かになれます。ただそれだけのことです。確かに金は生活上必要不可欠なものですが、金は豊かな人生と言う目的を達成するための手段であって、それ自体決して目的にはなり得ないものなのです。手段を目的と取り違えると実は目的がないのですから、結局どこの目的地に行き着けないのも摂理です。
 それでもコカインやヘロインよりゃまだましか(コルムナ286)!?

288 追い上げる日本、突き放すスペイン 16-10-2007(火)

 先週のコルムナを書きながら、日本も離婚率がスペイン並みになって来た(3割3分3厘 VS 5割)、日本も人のことは言えないなと正直思ったものだが、故意か偶然かその直後、昨年2006年度のスペインにおける婚姻届207244、離婚届141317なる統計が先週発表された。何と離婚率7割弱(68.1%)はヨ-ロッパ一。日本の追い上げも確かに凄いが、僅か3年で18%アップで一人勝ちのスペインにはバカ負けである。この調子では幸か不幸かサッカ-でも離婚率でも永久にスペインには勝てそうもない。しかし、考えてみれば日本の人口はスペインの約3倍だから、離婚率ではスペインの圧勝でも、実数勝負では日本の勝ちか!? 
 いや、いずれにせよ、どちらの舟が先に滝壺に落ちるか比較計算している様なもので、残念ながら両者共加速度的にバカ負け社会になりつつあることに何ら違いはない。
 誰がバカ負けするのだろう? どちらかに付かなければならない子供、どこに孫の顔を見に行っていいか分からない双方の祖父母、離婚調停の手間隙費用・・・など、離婚して“あ~、せいせいした”はずの当事者同士のその場だけの晴れ晴れした気分とは裏腹に、終わったはずの問題は実は周囲を巻き込む、最後はバカ負けと相場は決まっている新たなる神経衰弱長期戦の始まりに過ぎないのかも知れない。大体決裂に終わって解決する問題などあるはずがないと思った方が良い。それはただ単に新たなる火種を抱え込んだに過ぎないとすれば、日本とスペインにおけるこの急激な離婚率の上昇も確かに頷ける話だが、それにしてもバカ負けもここまで極めれば凄惨この上ない数字とも言える。
 そして、最後は国家までもバカ負けに至る。家庭が崩壊して立ち行く社会もまたないからである。従って、“美しい日本”が早くも立ち消えとなったのも離婚した3組に一組の夫婦のせいだとも言える(先週のコルムナ)。強引なこじ付けかも知れないが、人生一事が万事だとすれば、風が吹けば桶屋以上の明快さでそう言ってもいい。現実には風が吹けば桶屋が儲かるとは限らないが、家庭が崩壊すれば社会や国もまた立ち行かないことは歴然とした現実だからである。
 いずれにせよ、スロ-ガンが余りにも“美しい日本”だった分だけ、その看板倒れの速さに拍子抜けとバカ負けの感は否めない。スペインも看板が“情熱のスペイン”だった分だけ・・・、どうなのだろう? 離婚の一番の原因はスペイン人らしく不倫なのだが・・・。既に来年の四年に一度の総選挙に向けての前哨戦は始まっているが、与党も野党も票集めの取って付けた様な助成金やけなし合いばかりで、国家崩壊に繋がる離婚増加や家庭崩壊に言及する政治家は一人もいない。

 あなた方は誰に対しても借りがあってはいけません。しかし、互いに愛し合うことについては別です。----- 或る昔の偉い人

 将来マイホ-ム購入となれば話は別かも知れませんが、筆者は借金やロ-ンで買い物は一切しないことにしています。例え小額でも無利子でも借りる者は貸す者の奴隷となるからです。現金が手元になければ、それはどんなに欲しくても縁がなかったと思えば済むことです。とは言え、金さえあればあのギタ-もこのギタ-もと言うことは何度となくありましたが!?
 しかし、“しかし”とは単に反対意見を述べる自己主張の接続語である以上に、時として人生を左右する黄金律への序曲にもなり得ます。この場合がそうです。借金がいくらあるとか、毎月返済額がいくらだから生活が苦しいとか、そんな自ら我が身に喜んで招いた様な低次元な話ではなく、筆者はこれ以上に崇高な“借り”の定義を他に見出すことは出来ません。
 夫婦とは全く別人格の二人が喜びも悲しみも共有し合う相互負債書に互いの愛を持って署名捺印するが如し。ちょっと堅苦しいかも知れませんが、このお互いがお互いの負債を喜んで負う精神がなければ、例え離婚に至らないまでも夫婦間に隙間風が吹いたり、仲が悪くなったり、金の切れ目が縁の切れ目になったりするのはむしろ当然ではないでしょうか。
 人生重荷となる借りもあれば、喜んで負う愛の負債もあると言うことでしょうか。もちろん、これは夫婦間だけではなく、あらゆる人間関係について言えることです。そして、これこそ社会国家を救う原動力に他なりません。ミクロなくしてマクロなしだとすれば、なお更そう言っても宜しいでしょう。

2007-10-16

263 歌心で左手各指の独立性の実験 16-10-2007(火)

 先週まで左手小指についてコルムナして来ました。ただし、このところのコルムナのメインテ-マはあくまで左手各指の独立性であり、そのためには左手各指自体ではなく、その土台である左手&左腕の軸がぶれないこと。この軸がぶれれば左手各指もアップアップ状態となり、その兆候は特に小指がピ-ンと伸びることに見受けられ、こうなると各指とも力む一方で、懸案の独立性とは全く逆の演奏になってしまうことを述べた訳です。
と言うことは、動くのは指だけで、左手&左腕はどっしり構えてぶれないことです。論より証拠。やってみましょう。プロのビデオやDVD、或いは大して上手くもない(!?)ギタ-仲間の、まず左手の4本の指だけを見てみましょう。余程初級の練習曲でもない限り各指共結構なスピ-ドで動いているはずです。
次に、もう一度同じ箇所を繰り返して見てみましょう。ただし、今度はポジション移動やセ-ハやスラ-やハンマリングしながら激しく動いている4本の指には一切目もくれず、指の土台である指の付け根から下、つまり、左手自体だけに克目して再度見て下さい。上手い人の左手はどっしり構え、下手な人ほど指に釣られて左手も動いているはずです。
他の人の演奏を見る機会のない人は自分で弾いて、自分の左手を観察してみましょう。見え難ければ鏡に左手だけでも映して見て下さい。出来れば比較的得意な曲と不得意な曲の2曲を弾いてみましょう。得意な曲を弾く時の左手は安定しており、指自体にも力みは感じられませんが、不得意な曲では左手自体が目に見えて動かないまでも微動し、指にも力が入っているはずですが、どうですか? つまり、得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれず安定し、指も力まず独立性があり、逆に、不得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれ、指だけの力で指板にしがみ付き、更に力む悪循環に陥り、独立性どころか力みの植民地状態になって最後はギブアップ。
ここで、それじゃあ左手&左腕の軸をぶれさせず、力を抜いて弾いてと言うだけなら簡単ですが、秘訣はこの得意不得意な曲の選択にあります。

2007-10-03

ギタ-261 歌心で左手各指の独立性は小指から(6) 02-10-2007(火)

例えばCのコ-ドを押さえてみましょう。出来れば小鳥を握り殺さないほどの力で押さえてみましょう(コルムナ252)。これだけなら小指は跳ねませんが、ギタ-を弾く以上左手のポジションは絶えず移動しています。ポジション移動でCから他のフレットに移る時はもちろん、同じ1~3フレット内での指の移動でも、いわゆる軸がぶれて左手が力めば、その兆候として小指が跳ねます。逆に、指や手の移動の際左手が力むから軸がぶれるとも言えるでしょう。そして、この様に一箇所が力めば他の指や左手全体、更に左腕自体さえ力むに至ります。これは筆者自身の経験でもあります。こうなると力みの連動とも言え、更に懸案の左手各指の独立性など茫然自失。アップアップ状態となり、左手は小鳥を握り殺すほどの力でネックにしがみ付き、哀れ小指は逆エビ固めの如く反り返ってギブアップ!?
 壁にぶち当たっている多くのギタ-奏者の左手はおよそこんなものではないでしょうか? しかも、それでいて『私は左手の力がない。すぐに疲れてしまう。ギタ-には向いてないのかな・・・』などとしょぼくれているとしたらとんだお門違いです。こう言う読者は一度女性ギタリリストと腕相撲してみましょう。間違いなく読者が勝ちますよ。と言うことはギタ-は腕力じゃないと言うことなのです。
 昔からの読者はご存知かと思いますが、“スペインギタ-週間コルムナ”の基本メッセ-ジは『ギタ-上達はいかに指を鍛えるかではなく、いかに指から力を抜くか』です。ギタ-は指の肉体的鍛錬だと思い込んでいる人はギタ-人生の第一歩から人の道を踏み外しているのです。全うなギタ-人生を歩めない訳なのです。力で弦を押さえて、力で弦を弾いている内は指の独立性など不可能です。
 そんなに鍛えたければ指ではなく歌心を鍛えれば指は力まず勝手に動く様になりますよ、と言うのもまた“スペインギタ-週間コルムナ”の基本メッセ-ジです。何故なら歌心こそぶれてはいけないギタ-の軸であり、これさえぶれなければ後は何とかなります。もちろん、両手各指の独立性もです。

2007-10-02

286 お先真っ黒スペインの学生白書 02-10-2007(火)

 アナウンサ-は『久し振りに明るい話題です』とは言わなかったが、明らかに悪い知らせではなく、良い兆しとして紹介された先週のスペインのニュ-スに拠れば、ここ13年間で初めて学生達の酒&麻薬の消費量が減少したそうである。もっと詳しく言えば、麻薬とはハシシュ(モロッコ産)、コカイン、ヘロイン、合成麻薬で、アルコ-ルも含めて、これら総てにおいて減少傾向に転じたのは政府の絶え間ないキャンペ-ンの効果だそうである。
 ま、確かにそう言う当局の努力もあったのだろうが、ところで、スペイン語で学生はestudianteと言い、ご覧の様に英語と良く似ている。今回ニュ-スの対象となったのはこれらスペインの学生なのだが、実はスペイン語で大学生はuniversitarioと言い、つまり、スペイン語でestudianteとは大学生未満の学生を指すことばなのである。そこで今回のニュ-スを日本人読者に分かり易く解説すれば、スペインでは相当数の14~18歳の中高生が堂々と酒を飲み、ハシシュ、コカイン、ヘロイン、合成麻薬を吸っていることになる。これが減少傾向に転じたのは政府が校門やディスコでの薬の売人の取締りや未成年者への酒の販売禁止を強化したためだそうである。
 大学生以上の20代、30代の若者ならまだ話は分かるが、今回のニュ-スでははっきりと14~18歳の学生と言及されている。もちろん男女の区別はない。もちろん、こんなガキどもがそんな金を持っているはずもないが、アル中に薬中ともなれば当然パパやママからもらったお小遣いでは足らなくなる。と言ってこの世界にズボっとハマってしまえば急に止める訳にもいかない。あとはもう自らも薬の売人になるか、売春しかないと相場は決まっている。二十歳で廃人がうじゃうじゃいても不思議はない社会的下地は既にガチガチに塗り固められている。
 日本人から見れば末期ガン漫才かも知れないが、これがスペインの現実なのである。

 人が若い時にくびきを負うのは良い。-----或る昔の偉い人

 これはいわゆる日本語の諺で言う“若い時の苦労は買ってでもしろ”と言う意味のくびきのことでしょう。ま、極めて残念ながら、今の日本の若い親達もそうでしょうが、スペインでも可愛いうちの息子にくびきなんかとんでもないと言う、結局我が子を激しく害するに終わる、何でも買い与えて叱ることを知らない様な甘いしつけの馬鹿な親が多過ぎます。例えば、読者もスペインを旅行すれば一目瞭然なのですが、この国ではレストランや食堂で相当数の両親が可愛いはずの自らの乳飲み子や幼児の傍らでモクモクと、さも美味しそうに煙草を臆面もなくプア~っとふかしまくっているのはもはやこの国の年中風物詩です。なるほど、毒を毒と思わず、むしろこんな美味いものが息子の害になる訳がないとさえ思っていれば当然の習性かも知れませんが、やはり害毒を害毒とも思っていないのなら、大きくなった可愛い14~18歳の我が子をくびきで繋がず、無防備にも夜の悪徳歓楽街に野放しにしても何の罪悪感もないのでしょう。
 しかし、毒は毒。毒を飲んで、しかも、好んでがぶ飲みして健康でいられる人はいません。死に至るくびきを自ら好んで自らの首にがっちりハメるだけです。首が回らない借金地獄の方がまだコカインやヘロインよりましです。
 それにしても中高生からコカインにヘロイン・・・。正に気違い予備軍です。それが証拠に先週地元グラナダ市で初めて市主催で女性同士の結婚式があたかも自由平等博愛の代名詞の如く行われました!? この点日本はまだましでしょうが、一つ気がかりなのは“美しい日本”が早くも頓挫してしまったことです。短い命でした。学生が、そして、若者が正しいくびきを負うことを学ばずして“美しい日本”もまた真にあり得ないのかも知れません。