2009-11-30

399 ワインの銘柄・・・か!? 01-12-2009(火)

 スペインを訪れた人、或いは訪れ様と旅行書など垣間見ている人ならワイン大国スペインの二大銘柄、北のフランス国境沿いのリオッハ:Riojaと南のシェリ-(ヘレス):Jerezの名前位聞き覚えがあるだろう。筆者は酒は養命酒しか飲まないのでどうでもいい話だが・・・。
 何せスペインではワインとビ-ルは誰も酒だとの認識が無いほどワイン大国である。例えば、警官が休憩中制服のままその辺でワインやビ-ルを飲むのは当たり前の光景だし、もちろん、それを見ておかしいと思う市民もまたいない!? そんなことギャ-ギャ-言う方が人間の器の大きさを問われるほど水代わりか清涼飲料と言う感覚なのだから、これは日本人からすれば事実は漫才より奇なりを地で行っている事実に他ならない。。
 そのリオッハ地方出身でグラナダ在住の女性とこの前話す機会があった。曰く、たったあれだけのブドウ畑であんな量のワインを生産出来るはずがない。よそから買って来て自分とこのラベル貼ってるだけの話!?
 これは日本では産地偽装の立派な詐欺罪だが、国民的クセとして規則に心から甘いスペイン人には生活の知恵の部類であり誰も驚かない。

 目的ではないことを目的としてはならない。----- 或る昔の偉い人

 毎週どこかの食品産地偽装事件がニュ-スになる日本人からみれば信じられないことですが、規則に甘いとは結局自分に甘いこと。自分に甘いとは、多くの場合結局自分の好みや利益を最優先するためには嘘偽りさえ厭わないことだと言ってもいいかも知れません。
 そして、自分自分と主語が自分、私が、私にと直接目的語も間接目的語も自分だから人のことは放っといてくれやと言う自分だけの問題に終わらず、必ず人様や社会に否定的に影響を及ぼすところに問題があります。
 目的ではないことを目的とする。これは手段を目的と取り違えてはならないと見事に言い換えることが出来そうです。
 ワインを売って利潤を上げることだけがワイン作りの目的になる時、目的を取り違えた以上目的を見失ってしまっている訳ですから、行き着く所は人としての目的地にも迷って、そして、ますます手段を選ばないことに人はマヒして、それが社会の常識にさえなってしまうのかも知れません。

373 ギタ-はハンドメイド・・・か?(4) 01-12-2009(火)

 ラ-メンには手打ちとインスタントがある様にギタ-には製作家がコツコツ作る正真正銘ハンドメイドの手工ギタ-と量産工場のある意味正真正銘ハンドメイドではない量産ギタ-があることを見て来ました。
 これを混同すると量産ギタ-を手工ギタ-と思わされてインスタントラ-メンに手打ちラ-メン並みの料金を払うことにもなりかねないことも見て来ました(先週のコルムナ)。
 ところが、ギタ-を金儲けと割り切ってしまえば、悲しいかな人間とはインスタントラ-メンに手打ちラ-メン並みの料金を付けて売ることの方が自然の発想になって来る様です。
 まず、①有名手打ちラ-メン屋の名前を付ける、インスタントラ-メンにです。インスタントラ-メンなら当然外注です。自社製ではありませんが、自社のラベルを貼りゃあいいだけの話。割り切らんと商売にはなりまへん。
 次に、②インスタントラ-メンにも何とかモデルと称して箔付けします。
 ①②共にそれ自体はビジネスならどんな業界もやっていることかも知れませんが、やり過ぎればブランドのハンドバックと同じ次元です。来週からこの2つに分けてコルムナして行きましょう。

2009-11-23

398 ネズミの次は植物で!? 24-11-2009(火)

 先日ラジオで興味深い話を聞いたのでご紹介したい。植物にクラシック音楽を聴かせれば発育が良く、ゴミ同然の音楽なら明らかに発育不全になるとのこと。
 そうか、植物も同じかと思わず納得してしまった筆者であった。
 これで動物実験(コルムナ389)と植物実験を終えて、後は人体実験だけだが、実験の結果は既に巷にドブ水の如く溢れていることは利く耳を持っている読者なら見えるだろう。
  
 利口な者は災いを見てこれを避け、わきまえのない者は進んで罰を受ける。-----或る昔の偉い人

 何も筆者は眠くなる様なクラシック音楽だけが高尚だと言っている訳ではありません。しかし、世の中には明らかに小学校の図書館の必読書の如く読者の人生を豊かにするものもあれば、脳みそまで破壊する必毒書みたいな危険思想があることもまた事実です。
 ならば、聴く人を益する音楽もあれば、音楽とは名ばかりの破壊する音楽が存在することもまた事実です。そして、世は後者で溢れています。
 スペイン語に〝お前は誰と歩いているか言ってみろ。そしたらお前が誰か言い当ててやる(直訳)〟なる言い回しがあります。日本語では類は友を呼ぶから交友関係を見ればどう言う人間か分かる、に匹敵する表現です。もう3、4年前にラジオである知識人がこれを文字って〝お前はどんな音楽を聴いているか言ってみろ。そしたらお前が誰か言い当ててやる(直訳)、と言うのが今の時代だ〟とある討論会で言っていたのが印象に残ります。
 世界史でユダヤ人は世界の日時計と言われます。つまり、ユダヤ人とイスラエルの動向を見れば世界がどこまで来たか推察出来ると言う訳です。同様に人間のモラル史では巷を席巻する音楽がそのまま人間様の振る舞い(と言うか気違い沙汰)のヒットチャ-トに如実に反映されている終末の時代に今我々は生きていると言えなくもありません。
 以上は筆者の見解でもありますが、それ以前にねずみさんと植物さんが自らを犠牲にして如実に証明してくれたことでもありますので、世の多くの人は堅物扱いするであろう反面、実はかなり客観性を帯びた話だと思って下さい。
 そして、実は今日多くの名ばかりの猛毒音楽は面白おかしいオブラ-トに包まれた災いでさえあります。見る目と耳を持って避けなければ進んで罰を受けることにもなりかねません。
 それ故今日〝利口な者は災いを聴いてこれを避け、わきまえのない者は進んで聴いて罰を受ける〟と言えるかも知れませんね。それ故今日世の中で持てはやされている音楽とは名ばかりの音楽ほど避けた方が賢明だと言うことは決して極論でも何でもありません、ネズミさんと植物さんによれば!?

372 ギタ-はハンドメイド・・・か?(3) 24-11-2009(火)

 総てのギタ-は手工ギタ-&量産ギタ-共に広い意味で総てハンドメイドですが、製作家がコツコツ作る年産せいぜい14、5本のギタ-だけをハンドメイドと呼ぶべきであり、年産何千本の量産ギタ-工場の量産ギタ-も広い意味では手工ギタ-ですが、あたかも職人の手仕事の如き響きのハンドメイドなることばは全く不適切であることを見て来ました(先週のコルムナ)。
 もう一度総括しますが、もし読者が楽器店で店員さんに〝このギタ-はハンドメイドですか?〟と尋ねるとするならば、それは〝これは個人製作家の作品ですか?〟と問うているのと同じだとの自覚を持って質問して下さい。
 逆に、安いギタ-を前にこう言う質問をすれば自ら馬脚を現し、続く店員さんの〝はいそうです〟との嘘も方便のセ-ルス文句に乗せられてしまわないとも限りません。生兵法は怪我の元です。
 この手の質問をしたい読者は、ギタ-は個人製作家がコツコツ年産せいぜい14、5本のハンドメイドの手工ギタ-と年産何千本の量産ギター工場の量産ギタ-に大別されることを念頭に置いて〝このギタ-はハンドメイドですか、量産工場の量産ギタ-ですか?〟と文字通り質問すればいい訳です。
 こうすれば店員さんに対しても〝この客は少しはギタ-を知っているから侮れないな〟と思わせる駆け引きになっています。思わせなければ侮られます。
 特に海外ではそうかも知れません。たかが5万円のギタ-を前に〝ハンドメイドですか?〟とスペインのギタ-店で質問する日本人旅行者が結構いる様です。それはインスタントラ-メンを見て〝これは手打ちラ-メンですか?〟とマジで尋ねる様なものです。
 ラ-メンには手打ちとインスタントがあります。同様にギタ-にはハンドメイドの手工ギタ-と大量生産の量産ギターがあります。ただそれだけのことです。

2009-11-16

397 そこまでやるのだ情熱のスペイン!? 17-11-2009(火)

 まずこの写真を見ていただきたい。ちょっと見え難いが、右隅に1.15€(ユ-ロ)の値札が見える。ツナの缶詰パックらしい。日本円で約155円。これだけなら何の変哲も無いス-パ-の光景だが、良く見るとその右に1.2€との表示も見える。日本の読者は一体何を想像するだろう? 本来は1.2€だが、2パック買えば1パック当り1.15€になる・・・、とか。
 頭に血が上った情熱のスペインにそんな生半可な常識は通じない。実は右の1.15€はこのス-パ-の価格で、左の1.2€は火花を散らすライバル店の価格なのだ!? もちろん固有名詞で名指し!? 確かに見方によっては陰でコソコソやるより、正面切って喧嘩を売る方がフェア-プレ-・・・でも何でもないなこれは、どう見ても!?
 日本的に解り易く言えば、ダイエ-のス-パ-で高島屋の料金を表示すると同じことだから、これは常軌を逸しているが、法には引っ掛からないらしい。いや、法の抜け穴を捜して、更に金銭欲の汚い指を突っ込んで更に穴を大きくして見栄を切っていると言った方が当っていそうだ。
 世界的大不況で金が無い庶民にはただただ安い方がいいに決まっている、と頭から決め付けた戦略らしい。これは先々週のニュ-スで、その後どうなったかは知らないが、もし庶民に金も仁義も道念も無ければ、これは結構な効果があったことだろう。

 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。-----或る昔の偉い人

 ブランド品は使うものではなく見せるもの。どこかで読んだフレ-ズですが、ズバリですね。それなら、食品は売って金儲けするためのものではなく、食するもの。
 ブランド品に限らず、どんなものでも本来の目的からハズレればどこかハズレなのです。それは本来の目的を果たしていないからです。
 今日多くの人が人生の本質をそうではない別の価値観と置き換えて的ハズレな人生を送っていることに日本もスペインも変わりはないのかも知れませんね。
 食品も卑しい利得を求めるのではなく、心から売ればいいだけの話なのでしょうが・・・。
 

371 ギタ-はハンドメイド・・・か?(2) 17-11-2009(火)

 ギタ-には手工と量産があり、一体どちらがどこまでハンドメイドなのかについてコルムナしていますが(先週のコルムナ)・・・。どちらもハンドメイドです。
 手工ギタ-が手工なのはもちろん(とは言え、現在名工達も機械の使えるところは機械を使っている)、量産ギタ-も機械で大量に部品を作り、そこから先は各部所を受け持つ何人もの職工さん達がサラリ-マン気分で手で組み立てて行くのが量産工場の量産ギタ-です。従って、その意味では原価二束三文の原産国非表示の中国製スペインギタ-に至るまでハンドメイドではないギタ-など世に一本も存在しないことになります。
 ここでもう一度ハンドメイド(手工)の意味について定義し直しましょう。
 確かに上で言及した様に広い意味でハンドメイドではないギタ-など世に一本も存在しないのであり、広い意味で総てのギタ-はハンドメイドですが、店員がハンドメイドですと言って手工ギタ-だと思わせるところに不誠実の臭い香りがします。嘘も方便は不誠実の実です。何でもかんでもハンドメイドと称するのは実は敬虔な嘘(スペイン語で嘘も方便!?)であり、あわよくば売ろうとするチンケな性根に過ぎません。
 製作家がコツコツ年産せいぜい14、5本。これがハンドメイドの手工ギタ-です。あとはハンドメイドの部分はあるが、ハンドメイドのギタ-と言ってはいけない量産ギタ-なのです。

2009-11-09

396 スペインの病院 10-11-2009(火)

 もう無事終わったことだから書くことにするが・・・。
 筆者は9月初旬に右手小指付け根外側辺りに小さな傷を負った。放っておけば直ると思っていたが、20日過ぎに何かの弾みにぶつけたのをきっかけに傷口が膨らみ始め、かなりの大きさになったので9月30日病院に行った。筆者はそう簡単に病院に行く人間ではないので、これは余程酷かったと思ってもらっていい。実際病院は10年ぶりだったと思う。
 こちらの病院は幼児洗礼から葬式までのカトリック教会と同じく檀家制度で、この地区の住人はどこの病院に行くとの指定国立病院が決まっている。そこにまず地区担当医と言うのが居て、大体の症状を見て、軽度ならそこで治療するが、手に負えなければ別の病院の専門医に回すシステムになっている。つまり、日本の様に保険書片手に好きな病院に行ける訳ではない。甚だ不便だが、その代わり医療費は一切無料であり、日本の病院の様に会計窓口が無い。
 無料ならいいじゃないかと思うのは極めて軽率で、筆者の場合も見た目の仰々しい腫瘍にも拘わらず、良性だと言うことでそこでは何もしてもらえず、11月24日どこそこの病院で手術との予約をもらってお終い。包帯は巻いてくれたが、腫瘍は一週間後には遂に小指の半分ほどの大きさになり、動かす度に痛いの何の。ただ、見た目の割りに根元がかなり細くなっていたことに気付いたので、10月15日位に勝手に自分でハサミで手術した!? 痛みも出血も無く無事終了。毎日しっかりアルコ-ルで消毒してヨ-ドチンキを塗って、今週はもうほとんど傷跡も無くなった。
 と言う訳で、この国ではちょっと金銭的に余裕のあるスペイン人は個人の疾病保険に入っている。こうすればいざと言う時、保険会社指定の私立病院で余り待たずに診てもらえると言う訳だ。

 もしどうしても誇る必要があるなら私は自分の弱さを誇りましょう。-----或る昔の偉い人 
 
 いや~、こう言う怪我をすれば日本の医療システムの素晴らしさが実感出来ます。日本なら2日で終わったところでしょうが、スペインでは2ヶ月!? 少々自己負担でもとっとと終わった方がいいと言う発想はスペイン人にはない様です。
 それにしても今回久し振りに病院に行く羽目になって健康の有難さと将来への不安を感じました。そして、分かってはいたことですが、スペインの非能率さが身に沁みました。そして、もう決して若くもなければ、ましてや今回の腫瘍に限らず肉体的にもあちこちガタついて、むしろ、弱いことも再認識させられました。
 この丸っきり不可解な弱さを誇るとは一体どう言うことでしょうか?
 毎週毎週コルムナで取り上げざるを得ない人間様のバかさ加減。それは勘違いして愚かにも自らの強さを誇った当然の結果とその報いと言えなくはないとすれば、この自らの弱さを誇ることこそ人生多くの問題の真の解決の秘訣であり、そして、これこそ知恵の初めと言える直感がします。

370 ギタ-はハンドメイド・・・か?(1) 10-11-2009(火)

 それなら、製作家がこつこつ作る手工ギタ-は手工で、ギタ-メ-カ-(量産工場)の量産ギタ-は量産であり、手工ではないのでしょうか(先週のコルムナ)!?
 こう言う書き方をすると、またまた頭が混乱して来る読者がいる・・・ことを前提に敢えてこう言う表現をしてみました。
 論より証拠。スペインのギタ-ショップで〝これはハンドメイドですか?〟と訊けば、疑いもなく〝はいそうです〟との答えが返って来ます、5万円でも50万円でも!?
 まず、こう訊く方にも問題があります。これはおぼろげながらにもギタ-には高級手工品と量産品があることを知っている人がおぼろげながらにする質問ですが、それじゃあ逆に、ハンドメイドじゃなければギタ-は一体どうやって作られるのかと筆者が訊きたい位です。読者はどうでしょうか?
 おそらく、ハンドメイドでなければ手工ではなく量産。量産と言うことは、オ-トメ-ション化されて、機械に材木を入れればすぐにでもギタ-が出て来る・・・のではないギタ-がハンドメイドのギタ-だと思っているから、こんな質問をするのではないでしょうか、5万円のギタ-にでも!?
 5万円、いや、25万円以下のギタ-を前にしてにこんな質問をすると足元をじろじろ見られます(続く)。

2009-11-02

395 コケた本末転倒 03-11-2009(火)

 政治家が景気テコ入れに必ずしも必要ない公共事業を思い付くのは万国共通らしい。
 地元グラナダ市内を流れるヘニール川(Rio Genil)横の並木道の歩道改修工事がそれだ。この写真の右上の見えない箇所だが・・・。
 不況に喘ぐ地元業者に無理矢理仕事を与えるのが目的の本当はやらなくてもいい工事、だと皆が分かってやっている工事。しかし、それで金が回って少しでも経済が活性化すればやりがいはあると言うもの。国民に現ナマをばら撒いて無理矢理使えと言うよりは幾分上品かも知れない。
 ところが、並木道の足元に敷き詰めた平石が中国産であることが判明。参入業者はただただ自社の利益を考えて地元グラナダ産(結構郊外に石切り場がある)ではなく、ただただ安い中国産を使ったらしい。原材料費を抑えることはビジネスの鉄則とは言え、地元産業振興が目的の公共事業で結局中国の産業振興とは何事だ、どうのこうの・・・。と、先週地元マスコミを結構賑わせた。
 もっとも、だから地元製品使用を義務付ける法令は一切無く、結局うやむやの内にうやむやに立ち消えになってしまった。

 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。-----或る昔の偉い人

 もし平均税率が30%ならそれはある意味30%の共産主義、40%なら40%の共産主義・・・。税金とは皆のために使うものだとすれば、例え金銭資本主義社会でもこんな共産主義の定義が成り立つと筆者は常々思っています。
 しかし、民主主義の精神なくして民主主義が成り立つはずもなく、共産主義の精神なくしてソ連東欧で崩壊したのが資本主義の敵のいわゆる共産主義です。 
 しかし、そんな大それたイデオロギ-闘争しなくても、もっと身近で、お互い自己中心に振舞えば立ち行かないのが人間関係で夫婦関係でしょう。
 他人より自分を顧みる・・・。そんな人間性本末転倒では自己中の性根が垣間見え過ぎてむしろコケるのが当たり前!? 結局は中国人漁夫の利!? 結局それが回り回って中国の軍事予算になる!? 尖閣諸島以外は友愛の海!? 自己中に国境なし・・・。 

369 ギタ-メ-カ-は量産か手工か? 03-11-2009(火)

まず、ギタ-メ-カ-とは日本語的な響きから言えばギタ-の量産工場であり、生産台数の限られた個人製作家のことではないと定義しました(先週のコルムナ)。 
 ここで初めてギタ-には量産ギタ-と製作家がコツコツ作る手工ギタ-があることに気付いた読者こそギタ-メ-カ-なることばの意味をしっかり把握していなかったと言えます。
 確かに訳せばギタ-メ-カ-とはギタ-を作るのですから、広い意味で量産工場も個人製作家もギタ-メ-カ-ですが、しっかり区別を付けるためにも、ギタ-メ-カ-とは量産ギタ-を量産するギタ-メ-カ-のことで、手工ギタ-はギタ-メ-カ-では作られず、個人製作家が地道に作るものだと定義しましょう。
 機械メ-カ-、部品メ-カ-など、メ-カ-と言えば大量生産のイメージです。ギタ-メ-カ-も、少なくとも日本語ではそう捕らえましょう。
 水を飲むだけなら中国製の安物コップメ-カ-の百円のコップも陶芸家の名工の作品も同じかも知れませんが、そこに至る労力、時間、過程、品質、経験、品質など、正にギタ-メ-カ-と個人製作家の違いも同様に歴然としています。
 これを両者共ギタ-メ-カ-と呼ぶから混乱します。しかし、あえてこの曖昧なギタ-メ-カ-なることばを曖昧に保つことによって安物も高く付加価値を付けて売れなくはないことは読者も想像が付くでしょう。
 もし読者が〝有名なギタ-メ-カ-です〟などと言われたら、量産ですか、手工ですかとこの曖昧さを断ち切る質問をすることです。量産ギタ-を手工ギタ-並みの料金で買わされたくなければ、その意義はあります。