2007-12-25

298  恐怖の銭ゲバクリスマス 25-12-2007 (火)

 本日12月25日はクリスマス・・・ケ-キの安くなる日!? 日本人もクリスマスの認識程度は情けないほど低いが、スペイン人も負けてはいない。
 まず、待ち切れないとばかりに先週22日土曜日クリスマスドリ-ムジャンボ宝くじの抽選は朝から各局実況生中継。その2日ほど前どこかで一枚買った日本人旅行者の二人連れ曰く『2.2ユ-ロかと思ったら22ユ-ロ(3660円)だったのでびっくりした』とのこと。これは当たる額ではなく一枚買うのにかかる金額。ハイリスクハイリタ-ンのスペイン人にすればこんな額でビビる日本人は人間の器が小さいとしか言い様がない。しかも、宝くじに総てを賭けるスペイン人が一枚で我慢出来るはずもなく、ことグラナダ県民に関して言えば、今回平均一人当たり66ユ-ロ(11000円)買ったとのこと。これは幼児から老人まで総て含めた統計なので実際は各自もっととんでもない金額を使ったことになる。それもこれも一等300万ユ-ロ(4億9千200万円)に挙国一致体制の如く目が眩んだ連中ばかり。人間の器が大きいか守銭奴かのどちらかだろう。
 そして、正午のニュ-スも宝くじ抽選一色。筆者は時計を見ていたのだが、50分のニュ-スの内宝くじ関係が40分!? どう言うニュ-スだ!?
 株も宝くじも実際は誰も何も生産しないマネ-ゲ-ムなのだから国家や社会が豊かになるはずがない。そして、圧倒的大多数は宝くじの夢破れて山河有り・・・。
 いや、日本は明日からちゃっかり宗旨替えだが、スペインの欲望クリスマスはまだ始まったばかり。1月6日まで延々と続く。多くの市民は宝くじに当たらなかった腹いせに大量消費で憂さ晴らし。24日イブの夕食は贅沢の限りを尽くし、食材は総て便乗値上げ。そして、クリスマスプレゼントを交換しまくり、子供に贈るおもちゃには近所の手前親の威信がかかっている。日本人にはちょっと想像が付かないが、このクリスマスプレゼントの交換は老若男女を問わず果たさねばならない義務の如き強迫観念さえ覚えるほどの一大社会現象と言っても良い。
 そして、国もこんなボロ儲けを一回だけで止める筈もなく、今週末の年末年始のバカ騒ぎに加えて年明け早々クリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ第二弾。懲りない国民もまた“今度はもしかしたら・・・”とまた大挙して国に金を奉献奉って思う壺。

 知恵の正しいことはその行いが証明する。-----或る昔の偉い人

 ところで、一体誰がキリスト様の誕生日をお祝いしているのじゃ!? 結局お祝いどころかキリスト様を利用しまくって自らの欲望の墓を建てているだけの話(コルムナ139&140)。こんなバチ当たりな話もありません。
 結局我々はクリスマスに限らずハメルンの笛吹きの如く消費経済社会に踊らされて、溺れて、その藻くずとなってはいないでしょうか? 踊らされているかいないか。それはその行いが証明します。
 今年下半期は来年の不動産バブル崩壊と急激な生活必需品の物価上昇の予言めいたニュ-スがかなり見受けられました。正しい知恵で行動した人だけがその恩恵に与るのは万国共通項。その正念場は乱痴気クリスマスの酔いから醒めた来年年明けからです。

273 歌心でia&maも独立性 25-12-2007(火)

 しばらくimのスケ-ルにおける右手各指の独立性を見て来ました。今週はおまけにia&maのスケ-ルです。誰でもmaは動きが鈍く、iaなら練習すればかなりの速度は付きますが音量でimに劣ります。ですから、通常スケ-ルはimだと言えますが、プロでもiaの方が得意なギタリストもいる様です。
 理屈はimと同じですのでコルムナ266~272を読み返して下さい。今週は少し別の観点からia&maをダシにメインテ-マである右手各指の独立性についてコルムナしてみましょう。
 まずはいつもコルムナに引用する様に歌心がぶれないことですが、歌心がぶれないとは別の角度から言えば歌心だけに専念して余計なことを考えないと言うことでもあります。余計なことを考えればそこに歌心のエア-ポケットが空き、歌心がぶれ指もぶれ独立性を失うからです。それではこの場合この歌心モ-ドを妨げる余計なこととは何でしょうか?
 今度はimではなくmaだからどうしよう、もうすぐiaの箇所が来る・・・と身構えることです。この様に歌心ではなく指を意識するから歌心がぶれ指もぶれて独立性を失います。こうなると指ではなく意識をどこに置くかの問題です。
 ここはスケ-ルだからアポヤンド、次はアルペジオだからアルアイレ・・・。この様に頭の中で一々区分けを作るから歌心もその都度途切れます。どんなテクニックの時でもその都度意識のモ-ド変換をしないで一つの歌心モ-ドを保ってみましょう。
 ia&maのスケ-ルも同じこと。imと同じ感触で色気のある実曲のスケ-ルを歌心をぶらさずに弾いてみましょう。それでもia&maの方がうまく行かないのは当たり前ですが、歌心故にimのスケ-ルがぶれなければ、同様の歌心モ-ドで弾く限りia&maのスケールもまた連れられてぶれず、健全な歌心故に健全な独立性が養われて来ます。
 来年もまた宜しくお付き合い下さい。

2007-12-18

297 遂に御用 18-12-2007(火)

 やはりと言うか何と言うか、こんな予感は大いにしてはいたが、まさか3年もの時間がかかるとは思わなかった。
 昔からの読者は記憶にあるかも知れないが、コルムナ139&140&148でご紹介した生ハム詐欺高飛び男が先週水曜日遂に御用となった。トンズラ先のドミニカ共和国の滞在先のホテルから昼飯を食べ様と出たところを職務質問され不法滞在で捕まったとのことだが、実際はスペイン警察から情報提供された地元警察が動いたとのこと。スペイン警察も確かに末端はどう仕様もないが(同284)、今回の事件に限らず、この手の社会的に大きな関心を集める事件の報道番組など見ればスペイン警察のエリ-トはFBI顔負けの捜査であることが分かる。
 しかし、地元紙の報道によれば懲役何年ぶち込まれ様が肝心の金が返って来る見込みはないので被害者達は一応に諦めム-ドらしい。本人は既に地元グラナダ市郊外の刑務所に入っている。

 我が子よ。蜜を食べよ。それは美味しい。知恵もあなたの魂にとってはそうだと知れ。それを見つけると良い終わりがあり、あなたの望みは絶たれることはない。-----或る昔の偉い人

 蜜を食べたはずが苦よもぎの如く魂に苦く、望みは絶たれ悪い終わりに至ったとすれば、それは綺麗な花を見て虫食い植物に喜んで飛び込む虫の様なもの。この場合確かに加害者も被害者も哀れには違いありませんが、金銭物品に価値観を置く以上とても知恵ある行動とは言えません。
 それにしても生ハムファンドに不動産ファンド(先週のコルムナ)。そう言えば切手ファンドに真珠ファンドなんちゅうのもありました(同214)。理屈はみな同じ。餅は餅屋。靴は靴屋(スペイン語の同様の言い回し)。ファンドが付くとろくなことがないのは万国共通。とても知恵の同義語とは思えません。

272 歌心がときめけばスケ-ルもときめく右手各指の独立性 18-12-2007(火)

 右手各指の独立性をまずはimのスケ-ルからコルムナして来ました(コルムナ266~270)。総括です。
アルアイレよりアポヤンド(同267)。そして、スタッカ-ト気味のアポヤンドほど効果的です(同268~270)。いずれも力ではなくスタッカ-ト(アクセント)の勢いでビシッと決めます。こう言うタッチの時こそ軸もまたぶれないものです。逆に、力に頼った演奏ほど右手も左手も軸がぶれて来ます。余計な力が入った時点でこのところのテ-マである各指の独立性もその力みに比例して失われて行くと言えます。
 そして、更に力を使わないために4回に1回しか弾かないこと(先々週のコルムナ)!? この時は便宜上ハ長調の音階を使いましたが、人生色気があればあるほど心もときめくものでしょう? 歌心がときめかなければ指もときめきません。色気のない音階よりも色気のある実際の曲のスケ-ルを抜き出してやってみましょう。これだけでも随分ときめきが違います。とにかく歌心度外視で指だけの肉体反復練習と言うのは小説家がアイデア度外視でペンを持って習字の練習をする様なもの。色気もときめきもなければ演奏の軸も指もぶれて来る方がむしろ当たり前です。
 ときめくのが恥ずかしい!? 日本人はそんな国民性かも知れませが、そんなに恥ずかしければ4回に1回だけ強弱弱弱とときめいてみましょう。あと3回のアポヤンドはときめいた一拍目の勢いで勝手に付いて来させりゃいいんです。ワルツなら強弱弱と同じことです。
 歌心がときめけばときめくほどにスケ-ルもときめき、imもその独立性を増して来ます。
 来週はia&maの場合もみてみましょう。

2007-12-10

296 手際の良さは店閉い 11-12-2007(火)

 やはりと言うか何と言うか、こんな予感は大いにしてはいたが、まさかこんなに早くとは思わなかった。先々週フラメンコの送りに行ったら、不動産ファンドの手先になったはずの元ガイドの知り合いが元の鞘に納まってまたガイドになってやって来た(コルムナ289)。その時は時間もなく『また、ゆっくり聞かせてくれや』とか言って別れたが、一昨日日曜日には不動産屋自体が店閉い引越しの真っ最中。夜フラメンコの送りの後夕食から帰ってみるとガラス越しの店内には既に何もなく、看板も取り外された後だった。
 今年の下半期は不動産が頭打ちで店閉いが相次ぎ、不動産価格も徐々に下がって来るだろうとのニュ-スや新聞記事が目を引く。そうなると当然消費者も待つので、ますます市場はダブつく悪循環。後はお決まりの電車道で下り坂を加速度的に一直線。業界や政府がどんなブレ-キを掛けるか見物だが、高嶺に登り詰めた加速度はそう簡単には手に負えないはずだ。

 富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによってこれを止めよ。-----或る昔の偉い人

 苦労せず富を得ようとした奴らばかりなのでこれはちょっと語弊がありますが、金が価値観の人間ほどハイリスクハイリタ-ンに魅せられて首を突っ込んで首が回らなくなるのでしょう。筆者も学生時代嫌と言うほどパチンコをやったので気持ちは分かります。スペインに来たから止められた様なもので、来ていなかったらどうなっていたかと思えばゾッとします。
 大体死んだら一銭も持って行けないことを知らない連中が世の中多過ぎます。多くの人がこれに気付けば世の中から多くの悪事もまた消え失せるでしょう・・・が、気付きたくもないので今後もますます多くの悪事が加速度的に世の中を席巻して行くことでしょう。悟りによって止めればいいのですが・・・。
 今週はスペインギタ-週間コルムナ271もご覧下さい。

271 歌心なき中国製スペインギタ- 11-12-2007(火)

 筆者は大体毎日お昼が自炊で夜が外食。毎回脂っこいスペイン料理では寿命を縮めるだけだからです。そして、週3日は中華料理屋で夕食です。
 たまにスペイン料理に飽きた日本人旅行者を回していることもあり、ここの中国人の奥さんがいつもス-プや餃子を無料でサ-ビスしてくれます。そこでたまには何か日本の物をお返しにと思い立ち、先日ちょうど日本の実家から小包みを送ってもらう予定があったので、ついでに日本のザ-サイを買ってもらい一緒に送ってもらうことにしました。
 先日やっと着いたと思ったら、四川ザ-サイと日本語の表記ですが原産国中国!? これじゃあ日本の味のお返しにはなりません。ガックシ・・・。さすがは世界の安売り工場中国。一本取られましたが、そう言えばもう20年位前グラナダ市内の知り合いが友人に何かプレゼントを買ったらMade in Japanだったことがあり、皆で笑ったことを思い出します。
 そして、今週はこのザ-サイで思い出した笑いながらも顔が引き攣る現在進行形のスペイン中国友好漫才。何と現在多くのスペインギタ-メ-カ-が中国から丸ごと中国製ギタ-を仕入れて自社製として販売しているのです。本物はラベルだけ!? 日本で有名なスペインのギタ-メ-カ-(複数)もそうです。バカ負けです。今のところ安いシリ-ズだけなのでしょうが、利潤追求第一主義に毒されている以上今後何を中国に委託製作しても不思議ではありません。スペインでは原産国表示もへったくれもありませんし、もちろんスペインギタ-として販売されます。これらがどの程度日本に入って来ているのかは知りませんが・・・。
 ザ-サイなら元々中国のものですが、中国製スペインギタ-とは世も末です。まるでハンドバックや衣類のブランド会社が第三世界で安く作らせてバカ高く売るのと同じではありませんか。
 こうなるとギタ-以前の人間としての問題です。歌心のあるギタ-メ-カ-ならこんなことはしないはずです。悪魔に魂を売ったんじゃないのか!?
 先週の続きはまた来週。 

2007-12-03

295 祝合併新会社誕生 04-12-2007(火)

 筆者はたまに旅行者の依頼で列車やバスの切符を買いに行く。そこで、先日グラナダ市郊外のバスタ-ミナルへ行っていつものバス会社の窓口で切符を買ったはいいが、別会社のロゴが入っていたので驚いた。いや、全く別会社の全く違う切符に元会社の名前が小さく印刷されていたと言った方が当たっている。聞けばごく最近合併したとのこと。この会社名の印字の大きさからすれば、どう見ても対等合併ではない。観光ガイド時代から、いや、1979年最初にスペインに来た時から見慣れた切符がある日突然なくなると言うのも寂しいものだ。何より時代の流れを感じる。
 今日良くも悪くも合併吸収は日本やスペインだけでなく世界の流れ。良く言えば合併に拠る合理化で見た目のサ-ビスは向上するだろうが、悪く言えばますます個人商店は立ち行かなくなる。そうなれば街からは個性が消え、全国どこに行っても同じ様な商店街になる。これがいいか悪いかはともかく、根が一匹狼の筆者としては面白くない。例えば、たまに日本に帰って、どこに行ってもつくづくコンビニの多さに閉口する。特に田舎では街の景観さえ損なっている。皆が大挙して同じことをやるなら自分は意地でも個性を前面に押し出そうと思う人間はいないのだろうか? そう思わないこと自体筆者には不思議で仕方がない。大体夜は寝るためのものだろう。その点スペインの地方都市ではまだこのコンビニ現象が見られないのはある種の救いかも知れない。

 あなたの宝のあるところにあなたの心もあるからです。-----或る昔の偉い人

 しかし、この合併吸収傾向は今後世界中で加速度的に進み、世の中ますますありとあらゆる商品に溢れる反面、企業体系的にはますます簡略化されて行くでしょう。それは例えば街の銀行の数は昔と変わらないが銀行名は減った今日の金融業界を見れば分かります。そして、最後はこのピラミッドの頂点を鶏の首の如くクッと握った奴が世界を支配する・・・。ごく限られた小数の頭のいい連中がそんな世界戦略を実行していて、もしかするとピラミッドの最下層である我々消費者は既にマリオネットの如く踊らされているのかも知れません。例えば、今年下半期の世界的な原油と生活必需品の高騰もそんな臭いがします。
 合理化自体は大いに結構ですが、首をクッと絞められては堪りません。金や物が宝であることを辞めれば首も心も簡単に開放されるのではありませんか?  

270 右手各指の独立性は歌心のスタッカ-ト 04-12-2007(火)

 スタッカ-ト気味に一音弾いたら十分休んで筋肉や筋の緊張がなくなってから次を弾くことも心がけましょう(コルムナ267)。最小限の力で最大の音を出すためにはとにかく最小限の力で弾くことです。
 それでは今週はもっと最小限の力でスケ-ルを弾いて右手各指の独立性に磨きをかけてみましょう。分かり易くするためにハ長調の音階の往復『ドレミファソラシドドシラソファミレド』を用います。これをスタッカ-ト気味に弾くと『ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ド』ですね。指の力ではなくスタッカ-トの勢いで弾くこと、そして、各音を弾いた後十分休むことを心がけて下さい。音楽なら魂は大いに入れた方がいいですが、力は抜くに越したことはないからです(同10)。
 そして、今週はもっと休みます。4音毎にアクセントを付けて『ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ド』。太字の4音だけ意識して、その惰性で残り3音は休みながら弾きます。意識の中で弾くのは太字だけですが、残り3音もスタッカ-トします。強弱弱弱ですが、強は強なりに、弱は弱なりにスタッカートします。強のスタッカ-トの勢いで弱にもスタッカ-トしてもらうと言う訳です。
 コツは“私が弾く”ではなく“指に~してもらう”、つまり、ギタ-演奏はこと指に関して言えばどこまで行っても“私が弾く”ではなく“いかに指を騙して指に弾いてもらうか”です。騙し方と独立性のコツはこの場合アクセントとスタッカ-トだと言うことですね。
 マヌエル・カ-ノ先生は良くスケ-ルにはアクセントを付けろと教えていました。こう言うことだと私は解釈しています。 

2007-11-26

294 祝民法改正 27 -11-2007(火)

 一昨日日曜日正午グラナダ市で家庭内暴力反対のデモがあった。それだけスペインでは一大社会問題になるほど流行っていると言う訳だが、何せ総てのデモ隊は日本語情報センタ-の真下を通ってすぐ横の市役所前広場で気勢を上げて解散するのだから否が応でも目と耳に入って来る。   
 この国では国民性を反映して自らの義務は問わず権利だけ主張する傾向のデモが大半だが、今回の主役は旦那に暴力を振るわれる主婦達なのだから、その点だけに限れば誰がどう見ても理に適った主張であることには違いない。ただし、肉体的に男性に引けを取るから家庭内暴力の犠牲になるだけで、実際は気が強く、後に引くことを知らない闘牛の牛みたいな強気一辺倒のスペイン女性も多く、その上すぐに口答えするので、旦那も殴りたくなって当たり前と言う場合も多いと思われる。最後は腕っ節に物を言わせることを除けば、一概に旦那の方が一方的に悪いとは言えない。
 時間は前後するが、その前日のニュースに拠れば、例えば夫婦が離婚して、片方が第三者と再婚しても、この人の退職後の年金は喧嘩別れした元配偶者に支給されていたのが、新しい現配偶者に支給される様来年には民法が改正されるそうである。何のことはない。離婚大国スペイン故に現行の民法では時代錯誤の矛盾が生じ(コルムナ288)、離婚率7割弱を誇る現場に似合った改正が急を要する・・・と言えばいかにも何でも国民のためと能書きを垂れがちな現社会党政権らしいが、結局離婚激増と言う国民の人としての基本的モラル破壊の後始末を来年3月の総選挙を見据えてやっているだけの話。なるほど相当数の有権者が離婚しているのだから、それに応じて尻尾を振ってご機嫌を取った方が投票してもらえるのも道理か。

 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人

 皆事後処理に過ぎません。離婚多発により年金受給者を変えるより、離婚のない社会を目指す方が根本治療です。膿を出さずに民法改正印の包帯を巻くより、隣人を尊重する人作りの方が東洋医学的です(先週のコルムナ)。そうすればまさか国民が大挙して離婚はしないでしょうし、旦那も奥さんを殴る蹴る、メッタ刺しにして灯油をかけて火を点ける様なこともしないでしょうし、奥さんも報復に子供を抱きこんで元旦那から養育費や財産を毟り取って新しい愛人を囲う様な悪知恵も浮かばなくなるでしょう。
 人の悪に厚化粧する民法や、街のど真ん中で“家庭内暴力反対!!”と憂さ晴らしのデモで叫んでも社会は変わりません。人がその性根から真の隣人愛で変わらなければ社会が変わる訳がないのです。
 “真の隣人愛”。絵に描いた餅かも知れませんが、世の中の総ての人の性根が真の隣人愛に変われば、離婚や家庭内暴力どころか、連日新聞ニュ-スを賑わせているあれやこれやの事件など一つも起こりゃしません。それどころか民法も刑法も警察も軍隊も要らず、家の鍵さえかけなくてもよくなりますが・・・。 人間様の現実は全く逆です。残念ながらこんなこと言えば言うほどユ-トピア漫才で、笑われるだけかも知れませんが、デモ隊を組んで声を張り上げなくても、まずは真の隣人愛の小さな一石を家庭学校職場近所で謙虚に投じれば、小さな何かが真に変わって来るはずです。やはりミクロなくしてマクロなしなのです。

269 右手各指の独立性は歌心のスタッカ-ト 27 -11-2007(火)

 結局スケ-ルをアポヤンドでスタッカ-ト気味に弾く目的はスタッカ-ト気味に弾いて肉体的な右手各指の独立性を養うことではなく、そのスケ-ルの箇所を歌わせて音楽として表現するための手段です(先週のコルムナ)。この基本を忘れると本末転倒でコケます。手段を目的と取り違えると目的がない訳ですから結局どこの目的地にも行けません。スタッカ-ト自体ではなく、あくまで歌心です。
 以前も書いたと思いますが、高校野球の時期にあるピッチャ-が監督さんから『フォ-ムが良くなったからいい球が行くんじゃなくて、いい球が行く時にはフォ-ムも良くなっている』と言われ、最初は余り意味が分からなかったが段々分かって来た、と言った意味の記事がありました。確かにスポ-ツや楽器ではフォ-ムや姿勢が悪いと上達しないと言うことはあるでしょう。しかし、誰が見てもセゴビアとイエペスの右手のフォ-ムは明らかに違います。最後は各自に一番合ったフォームでいいはずです。先生も生徒を型にハメない様に、生徒も総てを鵜呑みにしない心がけが大切です。
 そして、必ずしも肉体的にスタッカ-ト気味に弾けば右手各指の独立性が養われるのではなく、歌心で弾けば結果として無意識の内にスタッカ-ト気味のタッチになっている。従って、そう言う歌心優先の奏者は無意識の内にスケ-ルに限らず右手各指の独立性が養われている。この監督さんの言った如く、これが正しい順序です。
 ですから、肉体的にimを意識してスタッカ-トではなく、歌わせるために心の中でスタッカ-トしてみましょう。imのタッチもその通りになってきます。人の肉体はその心の赴くままに行動するとすれば、この方が理に適っています。
 歌心度外視で長短24の音階をスタッカ-トするより、実曲の中からスケ-ルを抜き出して、或いは、機械的ではなく歌心を要求される様な音階練習曲を選んで歌わせてみましょう。いつの間にかimはスタッカ-ト気味のタッチになり、独立性も養われているはずでず。

2007-11-19

293 大卒も“屋根なし” 20 -11-2007(火)

 一昨日日曜日、今現在スペインでの“屋根なし”人口の13%は大卒で、何らかの学位を持っているとの新聞記事があった。“屋根なし”とはスペイン語で “sin techo”、日英同盟訳では“without 屋根”、日本語直訳では“屋根なし”となり、要するにホ-ムレスを意味する俗語である。
 筆者が日本にいた頃は高度成長期とも重なり、街角で物乞いする人などごく幼少期に一人しか見た記憶がない。今ではバブル崩壊後の尾を引く影響でテント暮らしの人々もいるそうだが、その後の筆者自身はずっとスペインに居ることもあり、実際この目で見たことはない。
 ここスペインはと言うと、筆者が最初にやって来た1979年以来、決して豊かな国ではない割には街中を歩く分には余り目立たない。もっとも、今でも筆者の行動範囲はごく街中で、ましてや県庁所在地。行くとこに行けばあるのだろう。
 ただ、日本はどうか知らないが、スペインの“屋根なし”事情はアル中薬中で人生やる気のない、ある意味自業自得の若者が多いそうである。今回薬中で家庭も仕事も総てを失い、長年の“屋根なし”生活を経て間一髪救済施設に拾ってもらった30過ぎの若者の半生が紹介されていた。薬の中毒症状から癒されて社会復帰したいそうである。
 そうなれば美談だが、中高生から怒涛の如くコカインにヘロインを何とかしない限り(コルムナ286)、安っぽい美談で終わってしまう可能性無限大である。人助けも社会復帰も毒抜きも西洋医学的対症療法ではなく、東洋医学的原因療法で対峙しなければ雑草を根こそぎにせず、目に見える地面の上の草だけ刈っている様なもの。根本治療にはなっていない。

 不正を行う者はますます不正を行い、正しい者はいよいよ正しいことを行いなさい。-----或る昔の偉い人

 それでは東洋の日本はどうなのでしょう? 西洋のスペインの様に怒涛の如くではないにせよ、根底から蝕む様に若年層にじわじわ、しかし、確実に浸透して来ているのではありませんか?
 先日の新聞の国際欄に拠れば、イタリアでは日常生活必需品を買ってさえマフィアに金が流れる仕組みになっているそうです。麻薬ならなおさらそうでしょう。
 その原因療法は? 難しい命題ですが、末期ガンになりたくなければ、まず君子発ガン物質に近寄らず。ロック、ラップ、テクノ、へビ-メタル、総ての種類の占い、オカルト映画の類などときっぱりと縁を切ることです。そうすればまさか麻薬に手を出すこともないでしょう。唐突ですが、今はこの理由は分からなくとも、今日世の中は日増しに悪くなり、同時にこれらの類が特に子供や若者の間で市民権さえ得てしまったご時勢であることくらい誰でも分かります。そんなの偶然じゃないかと言う読者もいるでしょう。しかし、発ガン物質をがぶ飲みすれば末期ガンに至るのは必然です。偶然だと気にもかけず、実は必然だったと気付いた時には手遅れだったと言うことが人生にはあるのではないでしょうか?
 この記事の若者の様に末期ガンになってから必死に社会に生還するのも美談かも知れませんが、末期ガンになる前の杖の方が遥かに賢明で美談です。
 それにしても、スペインではこうした音楽とは名ばかりの猛毒が大手を振って何と神聖なはずの賛美歌にさえ取り入れられています。末期ガン賛美歌でしょうか?

268 右手各指の独立性はアポヤンドでスタッカ-トで歌心 20-11-2007(火)

 そう言われてみれば(先週のコルムナ)、スケ-ルをスタッカ-ト気味に弾けば、当たり前のことですが、そう弾かないよりはimが際立って来ます。つまり、imの独立性が際立ち、演奏全体も締まった感じがします。また、いつもスタッカ-ト気味に弾いて、いざ普通に弾けと言われれば弾けるでしょうが、逆なら難しいのではないでしょうか? いつも“気を付け~!!”状態で、たまに“休め”と言われて休むより、いつもだらだら“休め”ばかりで、急に思い出した様に“気を付け~!!”と言われても、中々気合が入らないのと似た様なものかも知れません。
 この時腕や手の軸がぶれては何にもならないと先週書きましたが、更に詳しく言えば、それは腕や手の軸がぶれず、それと同時にimのアポヤンドならimだけ動いていればいいと言うことでもあります。“imだけ”とはimの独立性、そして、“imだけ動いていればいい”とは、同時に腕や手の軸がぶれてグラついていれば出来ない芸当でもあります。
 ただ、アルアイレの方が弾き易いと言う読者もいるかも知れません。アポヤンドの場合、どうしても指先が弦に当たった時の衝撃がアルアイレより大きく、手や腕が動揺し易いからです。これは誰でもそうでしょう。そして、一度この様にアポヤンドの衝撃で腕や手の軸がぶれれば、それ以降のimは更に不安定になり、独立性どころではなくなります。足腰がグラついているバッタ-がいくらバットの真っ芯でボ-ルを捕らえても、せいぜい球足の鈍いシングルヒットにしかならないのと同じです。こうなるとバットの真っ芯と言う弦を爪弾く理想的な指先の位置や角度や当て方と言う目先や指先の問題ではなく、足腰のグラつきが諸悪の根源と言えます。
 そして、スケ-ルやアポヤンドに限らず、この足腰のグラつき、腕や手の軸のぶれと言う諸悪の根源に起因する連鎖反応の悪循環を断ち切れば得られるのが各指の独立性でもあります。その方法の一つがスタッカ-ト気味アポヤンドだと言っても宜しいでしょう。ただし、単なる音階ではなく、実曲の中からスケ-ルを抜き出してスタッカ-ト気味アポヤンドで弾く方が遥かに独立性が養えます。ハ長調やイ短調の音階を繰り返したところでそこに歌心など存在しないからです。 

2007-11-12

292 悪い奴らも40年 13-11-2007(火)

 先月末スペイン最高裁判所で2004年3月11日首都マドリ-で起こった列車テロの判決があった。犯人のイスラム過激派の連中は懲役何千年!? ただ、実際のスペインの刑法では禁固刑は最高でも40年とのこと。しかも今回実刑が下されたのは実行犯だけで、総てを画作して自らは手を下さなかったとされる肝心の黒幕と見なされていたアルカエダの主犯格は証拠不十分でお咎めなしとなった。
 また、被害者にはスペイン政府から合計何十億円にも及ぶ高額な慰謝料が支給されることも発表された。いつになるかは知らないが・・・。
 普通一つの事件は判決が出て刑が確定すればそれで社会的にはケリがついてお終いである。ましてや今回は世界中に衝撃を与えた大事件故に3年半に及ぶ徹底調査の末の、ましてや最高裁の判決ならまず間違いないと思って良いだろう。とは言え、これで被害者や遺族の心の傷にケリがつく訳はないが、それでも今週はこの慰謝料についてコルムナしてみたい。
 そもそも慰謝料や賠償金は加害者かせいぜい加害者の加入する保険会社が被害者に払うもの。今回スペイン政府は犯人達の支払い能力のなさと国内国際的世論に配慮してこう言う英断を下したとは思うが、そして、困っている人を助けるのであるから国民の圧倒的大多数も筆者もそのこと自体にはむしろ100%大賛成ではあるが、結局はテロリストの悪行の始末を当のテロリストではなく国民の税金で払う図式には100%納得が行かない。今現在バブル崩壊前の景気のいいスペイン政府にすれば何のことはない金額かも知れないが、何事もやった本人が賠償すべきを賠償すべきであり金額の問題ではない。全く関係ない第三者がそれを支払うことは例え100円でも不条理である。
 何のことはない。バブッてこけそうになった大企業に公的資金を注入した日本政府と一緒で、結局は国民の税金なのであり不条理である。
 もちろん、第三者から困っている人への心からの献金募金なら大いに結構であり人道的で人間むしろそうあるべきだが・・・。
 憎しみは争いを引き起こし、愛は総ての背きの罪を覆う。-----或る昔の偉い人 
 例えば誰かと午後6時に待ち合わせして30分で切り上げすぐ横の7時閉店のス-パ-で買い物をして帰る予定が相手が10分遅れたためにお目当ての閉店前の値下げ商品を買えなかったとしましょう。おかげでその日の夕食は予算オ-バ-。翌日二度手間を承知でまたス-パ-に出向けばそのために仕事の段取りや他の予定もずれて来る・・・。誰でも似た様な経験はあるでしょう。これなど些細なことかも知れませんが、おかげで予算も後の予定もボタンの掛け違えの如く狂って来ますし、本人のみならず他の人とも調整も出て来ます。こうなると決して些細な10分どころか複数の人に迷惑をかけていると言えます。しかも10分遅れた本人は迷惑をかけたとさえ思っておらずどこ吹く風。
 テロリストはともかく、我々も些細なことで罪意識なく他人様に多大な迷惑の連鎖反応を強いているとすれば無知は罪悪としか言い様がありません、罪意識はなくてもです。
 結局自己中だから爆弾で列車をぶっ飛ばし、自己中故に10分遅れるのです。相手を思いやる心があれば10分遅れはしませんし、列車をぶっ飛ばすこともないでしょう。スケ-ルはイギリスとキリギリスですが、この両者は東と西の果ての如く何の関係もない様に見えて実はその根底に自己中と言う共通項があるのかも知れません。それならば・・・。
 どんな小さな自己中も小さな背きの罪であり小さなテロだと言えます。十把一絡げの隣人愛印の寄付金や助成金ではなく真の隣人愛だけがその特効薬となり得ます。

267 右手各指の独立性はアポヤンドで歌心 13-11-2007(火)

 右手各指の独立性とは(左手も)各指間の相関関係を最小限に抑えることとも言えます。言い換えれば“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”ですが、それは最後は歌心に帰着することは結論として、実際にやってみましょう。
 まず音階から。スケ-ルなら何でもいいですからアポヤンドによるimで弾いてみましょう。一音、例えばiで弾いたなら、その弾いたが故の手腕肩肘の筋肉や筋の緊張がなくなるまで待ちます。休みましょう。そして十分休んで筋肉や筋の緊張がなくなったら次に同様にmを弾き、更に続けてこの十分休む繰り返しで最後まで弾きます。
 ただし、ここで腕や手の軸がぶれては何にもなりません。軸がぶれては強打にならないのは右手も左手も同じこと(同100&101&252)、スケールもアポヤンドもアルアイレもアルペジオもトレモロもラスゲアードも皆同じことです。また、軸がぶれるから指もぶれコントロールがつかず当りが浅く音が小さくなります。足腰がグラついているバッタ-と思えば分かりますね。そして、音が小さいから先生にもっと音を大きく弾きなさいと言われ、より力を込めて各指の独立性を失い、最後は我慢比べ大会みたいになってしまいます。
 スケ-ルの場合軸をぶらさないためには一音一音をスタッカ-ト的に弾くことです、力を抜いて。こうすると一音一音が締まります。そして締まった音になっている時は軸もぶれずフォームも良くなっているものです。

2007-11-07

291 インタ-ネットなし、メ-ルなし 06-11-2007(火)

 実は筆者は9月上旬に日本製パソコンが壊れ、こちらでWindows Vistaを買ったはいいがモデムを50日も待たされ、スペイン国内向けなのでメ-ルの日本語設定などに手間取り、先週やっと再開に漕ぎ着けた。その間知り合いのパソコンでメールを見てもらい、それを一々Faxで転送してもらう煩雑さ。まさか、今になってこんなにFaxの紙を使うとは思わなかった。
 それにしても、スペイン国営電話公社に頼んだのにこの遅さ。筆者もこの国に四半世紀住んで経験上その国民的仕事の遅さと民族的段取りの悪さはある程度覚悟していたが、久々にやられたと言う感じである。それもこちらから二回クレ-ムの電話を入れたから50日で着いたのである。しかも、二回目のオペレ-タ-がパソコンで見ると既に配達済みになっていたとのこと!? 当然既にそれ用の料金が適応されている!? これが筆者がたまに使う“バカ負け”の意味であり、スペイン週間コルムナで取り上げる事件やニュ-スは決して誇張でも何でもないことを読者の皆さんにも今回の実例を通じてご理解いただきたい。
 ただ、久々にインタ-ネットなし、メ-ルなしの生活もいいもんだなと思ったのも正直な感想である。何か今まで無駄使いしていた時間を却って持て余す様な感触さえ覚えたのは錯覚ではないはず。所詮パソコンも検索も携帯もメールもより良い生活の手段ではあっても、決して目的自体ではないと言うことである。手段で遊び呆けて目的を見失っては目的も手段も元も子もなくなる。今日世界中どこでもインタ-ネットやメ-ル利用者の実態はそんなところではないだろうか、と言うことを筆者自身身をもって体験した50日間であったかも知れない。
 とは言え、やはり見慣れた新聞サイトを見れないのは何か物足りなさを感じるものだ。先週やっと久々に見れたと思ったら目を引く記事が二つ。まず、母校の野球部が甲子園後の国体で優勝。しかし、これも時差ボケで余り感動がない。二つ目は今なお続くビルマの騒動。日本人記者が撃たれて死んだのはこちらの国際ニュ-スにも出たので知ってはいたが、まさか高校時代の同級生とは思わなかった。当時一学年450人で10クラス。一度も同じクラスになった覚えはないので今回初めて長井健司君の名前を知った次第なのだが・・・。

 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランの様に花を咲かせる。-----或る昔の偉い人

 ネット上で経歴を見れば、こんな仕事をしていればいつかどこかで不意に・・・と本人も心の片隅であらぬ覚悟をしていても不思議はないほどカメラマンとして結構危ない橋を渡って来ていた様です。享年50歳(筆者はまだ49歳)。
 人の死の知らせを聞く度に筆者はやはり『人生は太く短くもいいが深く』あるべきことを思い起こします(コルムナ171)。人生の本質は深さと言っていいかも知れません。深ささえあれば10歳でも100歳でも砂漠の様な現代社会に、荒地の様な人々の心に小さなサフランの花を咲かせられるはずです。そして、深さの伴わない人生こそバカ負けの素かも知れないとすれば、残った我々はこの深さを追及すべく、ましてやインタ-ネットや携帯にうつつを抜かして人生を浪費している場合ではないはずです。
 長井健司君がどんな人生を送ったかは知りません。ただ、人生深ければ短くてもいいとは言え親より先に逝きたくはないなと思ったのもまた正直なところです。

266 右手各指の独立性も歌心 06-11-2007(火)

 今週からは右手各指の独立性に入ります。右手各指の独立性とは先週までの左手の場合同様“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”です、歌心で!?
 さて、1~12フレット~ハイポジションに至るまで動き回る左手に比べて右手は動くのは普通指だけですからその点楽だとも言えます。実際上手い人は右手より左手の方が難しいと言う人が多い様です。ただし、猛スピードのアルペジオ、トレモロ、スケ-ル、フラメンコギタ-のラスゲア-ドなどが極めて難しいことに変わりはありません。
 誰でもゆっくり弾けば出来ますが、同じフレ-ズでも速く弾くほど難しくなり音も小さくなります。当然のことですが、これは音を大きく速く弾く筋力がないからではなく、音を大きく速く弾こうと力を込めるが故に指だけではなく手も腕も肩も力み、力みの連鎖反応で右手各指の独立性が独立性を失うからです。これを頭から勘違いして右手各指の筋トレモ-ドに入るとギタ-人生はスタ-トから全く逆方向にロ-ギアで全力疾走オ-バ-ヒ-トで焦げ付くのも時間の問題です(コルムナ8&123&124)。十分注意して下さい。
 逆です。右手各指の力を徹底的に抜いて下さい。力を抜かずにどうして使っている指以外は徹底的に休んでいることが出来るでしょうか? 速ければ速い箇所ほど、複雑なアルペジオや速いスケ-ルほど徹底的に力を抜いて下さい、軸をぶらさずに。軸がぶれては強打にならないのは右手も左手も同じことです(同100&101&252)。
 歌心と言う絶対的な軸さえぶれなければアルペジオもトレモロもスケ-ルも強打になって来ますよ、力を抜いて!?

2007-11-04

265 左手各指の独立性の結びも歌心 30-10-2007(火)

  思う様に左手の指が届かない、押さえ切れない、開かないなど、ギタ-奏者なら誰でも抱える悩みです。それは一言で言えばこのところ懸案の“左手各指の独立性”がないからだと言えます。

 昔からの読者はご存知でしょうが、“スペインギタ-週間コルムナ”では便宜上基礎を“情緒的基礎”と“肉体的基礎”に分けて考えています。情緒的基礎は究極のところ歌心であり、肉体的基礎の行き着く所は右手左手共に結局各指の独立性だと言えます。

 筆者ももう26年前に『ホセ・ルイス・ゴンザレス・ギタ-・テクニック・ノ-ト』を通じてこの各指の独立性と言う言葉に出会っていますので(コルムナ246&247)、いつかはギタ-コルムナで扱いたいと温存して来た大切なテ-マでもあった訳です。

 ただ、この教則本に書いてある単調な指の鍛錬を毎日根気良く繰り返せば各指の独立性が得られるとは思わないことです。教則本だけ見るとどうしてもそう言う錯覚に陥りがちです。ホセ・ルイス・ゴンザレス先生は実際に自分で実行したことを書いて後世に残したのでしょう。他の大ギタリスト達も我々ならすぐに嫌気が差す様な基礎練習の数々をこなして上達したからそれを自らの教則本に書いている訳でしょう。確かに才能豊かな人なら単調な基礎練習の繰り返しでも上手くなるのでしょう、彼ら自身が意識さえしていないその歌心故に。しかし、我々一般庶民はそうは行きません。

 真似すべきは練習メニュ-や爪の形ではなく歌心。歌えない? そりゃあ、有名ギタリストみたいにゃ歌えません。しかし、歌ったほどに、歌心ほどに左手各指は独立性を増して来ます。もちろん、優先順位は『情緒的基礎 > 肉体的基礎 』なのです。これを真に尊重すれば“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること(同247)”が出来て来るはずです、歌心なりに。

 来週からは右手各指の独立性です。 

290 いよ~、元副大統領!? 30-10-2007(火)

先週元アメリカ副大統領でノ-ベル平和賞のアルゴル氏がスペインにやって来た。実際はスペイン政府が大枚を叩いて招聘したそうだが、その辺の政治的意図はともかく、相手が大物だけにスペインの国王や王子まで出て来て、全国主要都市で地球温暖化対策のカンファレンスが催された。

 アメリカ嫌いの国民性と来年3月14日の総選挙を見据えてのことかは知らないが、野党党首が『アメリカは京都議定書(何年か前に京都で世界各国が二酸化炭素排出量抑制などを取り決めた国際協定)にサインしなかったくせに、そんなこと言う権利があるのか・・・』ともっともらしい横槍を入れる一幕もあったが、どうやら無事日程を終えた様である。

 筆者も一々新聞記事の総てに目を通した訳ではないが、地球温暖化に拠る環境破壊は我々の想像以上に進んでいること、そして、アルゴル氏の『これは政治的問題ではなく、地球の住人一人一人のモラルの問題である』との一言が一番印象に残る。

 なるほど、これは世の中総ての物事は最後は人に帰着すると言う“スペイン週間コルムナ”の精神にも通じる。それなら、スペインと日本の環境破壊はそれぞれ7割と3割3分3厘の離婚夫婦のせいだと決め付けても良いかどうかはともかく(コルムナ288)、仮に世界中の総ての大物政治家から村々の村長さんに至るまでアルゴル氏に心から同調し、それに基く環境最優先政治を行ったとしても、国民にその気がなければ総ては笛吹けど踊らず馬耳東風。良かれと思って作られた風紀部の規則を頭から守る気のないワルな学生とスケ-ルは違うが、理屈は同じである。

 そして、残念ながら現実は全く逆方向に向かうだろう。自らの手で自らの夫婦と周囲の人間関係を破壊して湯水の如く離婚する身勝手な人間様が環境を顧みるはずがない。これが小さな親切大きなお世話なら、塵も積もって山となるべく、小さな身勝手大きな環境破壊もまた、風が吹けば桶屋が儲かる以上の確率で起こり得る。因みに、どこからこんな数字を弾き出すのかは知らないが、現在スペイン人は許容量の3倍消費し、3倍汚染しているそうだが・・・。

 いや、これは100%現実に起こっていることなのだから、もはや将来を占う確率でも学説でもない。アルゴル氏の『既にダメ-ジは与えられている』と、今回ある学者の言った『仮に今すぐ人類が地球上から消えたとしても、もはや地球が元に戻ることはない』と言う文句が地球の病状を良く物語っている。つまり、地球の健康はあたかも湯水の如く酒タバコ暴飲暴食バクチ不純異性交遊に身を委ねて気が付けば末期ガンの人の如く、末期ガン故に今すぐ急に悔い改めて総ての悪い癖を止めて最先端の治療や投薬を受けても癒されることはなく、後は放っておいても病状は悪化の一途を辿って死ぬだけ・・・、とズバリ言うとカンファレンスの意味がなくなるのでそうは言わなかったが、これが我々の住居である地球の現状であることを訴えるために氏が今一歩のところでアメリカ大統領になれなかったとすれば、それはそれで結果的に良かったのかも知れない。 

 ある人は悪を行わなければ義人だと思っているが、義人とは積極的に義を行う人のことである。-----或る昔の偉い人

 このままだと近い将来、今でも夏場十分暑い南スペインの主要都市はますます温暖化が進み、連日40℃を越す様になるそうです。そうなればますますク-ラ-の消費が進む悪循環。それでも人々は冷房の使用を止めず、メ-カ-も大特需でほくそ笑み、結局は自らの経済政策に合わないとの理由で京都議定書にサインしなかった現金で身勝手なアメリカの如く、消費経済と金を何より最優先に、環境破壊などテメ-の知ったことかと隣人と地球を更に足蹴にして自己中の王道を突き進むことでしょう。

 結局何のことはない、人類の人間性喪失度に比例して環境も破壊されているだけの話です。これではアルゴル氏の提唱する末期がん患者の延命策どころか、寄って集って末期がん患者の生き血を吸って自己中の猛毒でトドメを刺している様なもの。人の心は元来性悪説だとすれば、氏の懸命の努力も空しく、残念ながら環境破壊は今後もその加速度的を増すだけでしょう。

 しかし、今後環境は喪失される一方だとしても、せめて人間性の喪失に歯止めをかけるべく立ち上がる少数の心ある人々が起こされないでしょうか? 日本人社会では良く『人様から後ろ指刺される様なことはするな』とか言われますが、これでは悪いことをしないに留まる消極的な半熟の義です。とは言え、何もアルゴル氏の様に地球規模的な大義名分を振りかざすことはありませんし、そんな大それたことは我々平民には無理です。しかし、人の心が少しでも浄化されれば環境も少しは浄化されることが風が吹けば桶屋が儲かる以上に確かなことだとすれば(同288)、まずは身近な誰も褒めてくれない小さな義でいいではありませんか。ただし、行う小さな義でなければ義人ではありません。

 今の時代は人の悪が怒涛の様に押し寄せ、義人が少な過ぎるので世の中は悪くなり、環境は破壊される一方なのです。その真の抑止力は核兵器でも環境対策でもなく義人だとすれば、それはもちろん、人を裁く義人ではなく、隣人愛を基調とする義なる人であることは言うまでもありません(同257&272)。

2007-10-23

264 健全な歌心から始まる左手各指の独立性 23-10-2007(火)

どうして同じ一人の弾き手が得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれず安定し、指も力まず独立性があり、逆に、不得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれ、指だけの力で指板にしがみ付き、更に力む悪循環に陥り、独立性どころか力みまくって最後はギブアップなのでしょう(先週のコルムナ)? ついでに先々週までの小指の話に戻るとすれば、得意な曲ほど小指は跳ねず、不得意な曲ほど小指も跳ねているはずですが、どうでしょうか?
このところのテ-マは“左手&左腕の軸のぶれ ⇒ 指もぶれる ⇒ 指の独立性の喪失”だとすれば、これは一見“左手&左腕の軸のぶれを無くする ⇒ 指もぶれなくなる ⇒ 指の独立性も回復される”だけの肉体的な作業の様に見えます。確かに結果的に肉体的にそうなってはいますが、人間誰しも精神の健康を伴わずして真の肉体的健康もまたあり得ません。健脚の人も悩み事があれば足取りは重いと同じことです。では指が重い人は!?
逆に、少々風邪気味でもいいことがあれば足取りも軽くなります。正に病は気から。同様に指の健康も歌心から。
歌心ほどに左手&左腕の軸は安定し、各指は力まず独立性があり、歌心の欠如ほどに左手&左腕の軸はぶれ、指もぶれて力んで独立性を失う。それだけのことです。得意な曲ほど歌心があり、苦手な曲ほど歌心に欠けるとすれば、左手&左腕の軸の安定も左手各指の独立性もまた無意識の内に歌心に正比例することに何の疑いもありません。“左手&左腕の軸のぶれを無くする ⇒ 指もぶれなくなる ⇒ 指の独立性も回復される”ためにはその曲をもっと歌心を持って歌ってみましょう。左腕も左手も指自体もそんなに気にすることはありません。

289 バブって弾けりゃ摩天楼 23-10-2007(火)

 日本語情報センタ-のすぐ横に二年位前から不動産屋がある。何故か以前フラメンコ会場のガイドをしていた知り合いが半年位前から勤めている。空前の不動産ブ-ムに踊らされて、ガイドの日銭よりハイリスクハイリタ-ン人生を選んだらしい。
 何せ徒歩5秒なのだから、近くの共通のBar(バル:立ち飲み喫茶みたいなもの)も含めて朝夕顔を合わせることも多く、いつも色々な話を聞かされる。例えば、100㎡あるかないかのその不動産屋の家賃が7000ユ-ロ(約115万円)。正確な広さは分からないが、その正面の高くて誰も借り手の付かない貸店舗の家賃が倍の14000ユ-ロ(約230万円)。これに従業員の給料や保険など合わせれば一体一月どれだけの売上の商売なら成り立つのか、しかし、売手市場の不動産ブ-ムだから家主も強気だよな~、などなど。
 その建築ラッシュもそろそろ頭打ちで不動産ブ-ムにも陰りが・・・、と言う新聞の社説が今年は結構頻繁で、スペインのマスコミでも禁断の不動産バブルなることばが使われ始めている。首相や大蔵大臣が世論をなだめるための“心配ない”発言をたまに行うと言うことはもうきな臭い証拠ではないだろうか。ただ、バブルが弾けて人々が金を使わない不況になった日本とは違い、元々宵越しの金はもたねえタイプのスペイン人は金がない不況となり、もし弾ければこちらの方が深刻だろう。しかし、もう一つの違いは日本は日本だけのバブル崩壊だったが、スペインはいざと言う時はEUが何かしてくれるかも知れないと言う甘い後ろ盾がない訳ではない・・・かも知れない。もっとも、EUは所詮大同団結呉越同舟会だとすれば、大した援助はしてくれないだろう、と言う社説も今のところない。
 ところで、この知り合いの話で一番面白いと思ったのは、圧倒的大多数の客は自らが住むために物件を購入するのではなく、投資のためだと言うのである。『それじゃあ、お前んとこは不動産屋か投資ファンドか訳が分からんな』と言うと、あっさり『投資ファンドだろう』と割り切ったお返事。だったら、真珠でも金の延べ板でも何でもいい。しかし、強欲な人間ほど動く額がデカいハイリスクハイリタ-ンの不動産投資に傾くことに国境はないらしい、銀行から借りた金で!? 銀行も担保を十分取らずに!? どっかで聞いた話か!?

 金持ちにになりたがる人は誘惑と罠と、また、人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とに陥る。-----或る昔の偉い人

 一昨日の新聞に拠れば国民一人の借金(国の負債額ではなく金融機関からの借入金)が6年前8300ユ-ロ(約135万円)だったのに対し、現在は20500ユ-ロ(約340万円)。これは幼児から老人を含む国民総人口の平均額ですから、現労働人口の返済しなければならない実質負債額はもっと多いことになります。これは、不動産ならまだしも、今日国民は何でもロ-ンで買う傾向にあるが故だそうです。もっとも、これは他のヨ-ロッパ諸国でも同じ傾向だから心配するほどのことではない、とは書いていませんでしたが、これでバブルが弾けでもすれば更にヤバイことは明白です。
 幸か不幸かスペイン人はバブル崩壊と言われても何のことかピンと来ない様です。人間自らの身をもって体験しない内は何事も他人事なのでしょうが、ここにバブル崩壊を目撃した一人のスペイン人がいます。1929年の大恐慌の真っ只中ニュ-ヨ-クにいた、後にスペイン市民戦争でフランコ側に銃殺されるグラナダ市郊外出身の大詩人ガルシア・ロルカは、一晩で全財産を失ったアメリカ人投資家達が何人も摩天楼から投身自殺するのを自らの目で目撃したそうです。もう78年も前のことですが、金に絶対的価値観を置く人間の考えることは常に財テクであり錬金術であり、その習性も崩壊に至る電車道もまた時代を問わず同じである・・・と筆者は感じます。
 金以外のことに価値観を持った方が人生豊かになれます。ただそれだけのことです。確かに金は生活上必要不可欠なものですが、金は豊かな人生と言う目的を達成するための手段であって、それ自体決して目的にはなり得ないものなのです。手段を目的と取り違えると実は目的がないのですから、結局どこの目的地に行き着けないのも摂理です。
 それでもコカインやヘロインよりゃまだましか(コルムナ286)!?

288 追い上げる日本、突き放すスペイン 16-10-2007(火)

 先週のコルムナを書きながら、日本も離婚率がスペイン並みになって来た(3割3分3厘 VS 5割)、日本も人のことは言えないなと正直思ったものだが、故意か偶然かその直後、昨年2006年度のスペインにおける婚姻届207244、離婚届141317なる統計が先週発表された。何と離婚率7割弱(68.1%)はヨ-ロッパ一。日本の追い上げも確かに凄いが、僅か3年で18%アップで一人勝ちのスペインにはバカ負けである。この調子では幸か不幸かサッカ-でも離婚率でも永久にスペインには勝てそうもない。しかし、考えてみれば日本の人口はスペインの約3倍だから、離婚率ではスペインの圧勝でも、実数勝負では日本の勝ちか!? 
 いや、いずれにせよ、どちらの舟が先に滝壺に落ちるか比較計算している様なもので、残念ながら両者共加速度的にバカ負け社会になりつつあることに何ら違いはない。
 誰がバカ負けするのだろう? どちらかに付かなければならない子供、どこに孫の顔を見に行っていいか分からない双方の祖父母、離婚調停の手間隙費用・・・など、離婚して“あ~、せいせいした”はずの当事者同士のその場だけの晴れ晴れした気分とは裏腹に、終わったはずの問題は実は周囲を巻き込む、最後はバカ負けと相場は決まっている新たなる神経衰弱長期戦の始まりに過ぎないのかも知れない。大体決裂に終わって解決する問題などあるはずがないと思った方が良い。それはただ単に新たなる火種を抱え込んだに過ぎないとすれば、日本とスペインにおけるこの急激な離婚率の上昇も確かに頷ける話だが、それにしてもバカ負けもここまで極めれば凄惨この上ない数字とも言える。
 そして、最後は国家までもバカ負けに至る。家庭が崩壊して立ち行く社会もまたないからである。従って、“美しい日本”が早くも立ち消えとなったのも離婚した3組に一組の夫婦のせいだとも言える(先週のコルムナ)。強引なこじ付けかも知れないが、人生一事が万事だとすれば、風が吹けば桶屋以上の明快さでそう言ってもいい。現実には風が吹けば桶屋が儲かるとは限らないが、家庭が崩壊すれば社会や国もまた立ち行かないことは歴然とした現実だからである。
 いずれにせよ、スロ-ガンが余りにも“美しい日本”だった分だけ、その看板倒れの速さに拍子抜けとバカ負けの感は否めない。スペインも看板が“情熱のスペイン”だった分だけ・・・、どうなのだろう? 離婚の一番の原因はスペイン人らしく不倫なのだが・・・。既に来年の四年に一度の総選挙に向けての前哨戦は始まっているが、与党も野党も票集めの取って付けた様な助成金やけなし合いばかりで、国家崩壊に繋がる離婚増加や家庭崩壊に言及する政治家は一人もいない。

 あなた方は誰に対しても借りがあってはいけません。しかし、互いに愛し合うことについては別です。----- 或る昔の偉い人

 将来マイホ-ム購入となれば話は別かも知れませんが、筆者は借金やロ-ンで買い物は一切しないことにしています。例え小額でも無利子でも借りる者は貸す者の奴隷となるからです。現金が手元になければ、それはどんなに欲しくても縁がなかったと思えば済むことです。とは言え、金さえあればあのギタ-もこのギタ-もと言うことは何度となくありましたが!?
 しかし、“しかし”とは単に反対意見を述べる自己主張の接続語である以上に、時として人生を左右する黄金律への序曲にもなり得ます。この場合がそうです。借金がいくらあるとか、毎月返済額がいくらだから生活が苦しいとか、そんな自ら我が身に喜んで招いた様な低次元な話ではなく、筆者はこれ以上に崇高な“借り”の定義を他に見出すことは出来ません。
 夫婦とは全く別人格の二人が喜びも悲しみも共有し合う相互負債書に互いの愛を持って署名捺印するが如し。ちょっと堅苦しいかも知れませんが、このお互いがお互いの負債を喜んで負う精神がなければ、例え離婚に至らないまでも夫婦間に隙間風が吹いたり、仲が悪くなったり、金の切れ目が縁の切れ目になったりするのはむしろ当然ではないでしょうか。
 人生重荷となる借りもあれば、喜んで負う愛の負債もあると言うことでしょうか。もちろん、これは夫婦間だけではなく、あらゆる人間関係について言えることです。そして、これこそ社会国家を救う原動力に他なりません。ミクロなくしてマクロなしだとすれば、なお更そう言っても宜しいでしょう。

2007-10-16

263 歌心で左手各指の独立性の実験 16-10-2007(火)

 先週まで左手小指についてコルムナして来ました。ただし、このところのコルムナのメインテ-マはあくまで左手各指の独立性であり、そのためには左手各指自体ではなく、その土台である左手&左腕の軸がぶれないこと。この軸がぶれれば左手各指もアップアップ状態となり、その兆候は特に小指がピ-ンと伸びることに見受けられ、こうなると各指とも力む一方で、懸案の独立性とは全く逆の演奏になってしまうことを述べた訳です。
と言うことは、動くのは指だけで、左手&左腕はどっしり構えてぶれないことです。論より証拠。やってみましょう。プロのビデオやDVD、或いは大して上手くもない(!?)ギタ-仲間の、まず左手の4本の指だけを見てみましょう。余程初級の練習曲でもない限り各指共結構なスピ-ドで動いているはずです。
次に、もう一度同じ箇所を繰り返して見てみましょう。ただし、今度はポジション移動やセ-ハやスラ-やハンマリングしながら激しく動いている4本の指には一切目もくれず、指の土台である指の付け根から下、つまり、左手自体だけに克目して再度見て下さい。上手い人の左手はどっしり構え、下手な人ほど指に釣られて左手も動いているはずです。
他の人の演奏を見る機会のない人は自分で弾いて、自分の左手を観察してみましょう。見え難ければ鏡に左手だけでも映して見て下さい。出来れば比較的得意な曲と不得意な曲の2曲を弾いてみましょう。得意な曲を弾く時の左手は安定しており、指自体にも力みは感じられませんが、不得意な曲では左手自体が目に見えて動かないまでも微動し、指にも力が入っているはずですが、どうですか? つまり、得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれず安定し、指も力まず独立性があり、逆に、不得意な曲ほど左手&左腕の軸がぶれ、指だけの力で指板にしがみ付き、更に力む悪循環に陥り、独立性どころか力みの植民地状態になって最後はギブアップ。
ここで、それじゃあ左手&左腕の軸をぶれさせず、力を抜いて弾いてと言うだけなら簡単ですが、秘訣はこの得意不得意な曲の選択にあります。

2007-10-03

ギタ-261 歌心で左手各指の独立性は小指から(6) 02-10-2007(火)

例えばCのコ-ドを押さえてみましょう。出来れば小鳥を握り殺さないほどの力で押さえてみましょう(コルムナ252)。これだけなら小指は跳ねませんが、ギタ-を弾く以上左手のポジションは絶えず移動しています。ポジション移動でCから他のフレットに移る時はもちろん、同じ1~3フレット内での指の移動でも、いわゆる軸がぶれて左手が力めば、その兆候として小指が跳ねます。逆に、指や手の移動の際左手が力むから軸がぶれるとも言えるでしょう。そして、この様に一箇所が力めば他の指や左手全体、更に左腕自体さえ力むに至ります。これは筆者自身の経験でもあります。こうなると力みの連動とも言え、更に懸案の左手各指の独立性など茫然自失。アップアップ状態となり、左手は小鳥を握り殺すほどの力でネックにしがみ付き、哀れ小指は逆エビ固めの如く反り返ってギブアップ!?
 壁にぶち当たっている多くのギタ-奏者の左手はおよそこんなものではないでしょうか? しかも、それでいて『私は左手の力がない。すぐに疲れてしまう。ギタ-には向いてないのかな・・・』などとしょぼくれているとしたらとんだお門違いです。こう言う読者は一度女性ギタリリストと腕相撲してみましょう。間違いなく読者が勝ちますよ。と言うことはギタ-は腕力じゃないと言うことなのです。
 昔からの読者はご存知かと思いますが、“スペインギタ-週間コルムナ”の基本メッセ-ジは『ギタ-上達はいかに指を鍛えるかではなく、いかに指から力を抜くか』です。ギタ-は指の肉体的鍛錬だと思い込んでいる人はギタ-人生の第一歩から人の道を踏み外しているのです。全うなギタ-人生を歩めない訳なのです。力で弦を押さえて、力で弦を弾いている内は指の独立性など不可能です。
 そんなに鍛えたければ指ではなく歌心を鍛えれば指は力まず勝手に動く様になりますよ、と言うのもまた“スペインギタ-週間コルムナ”の基本メッセ-ジです。何故なら歌心こそぶれてはいけないギタ-の軸であり、これさえぶれなければ後は何とかなります。もちろん、両手各指の独立性もです。

2007-10-02

286 お先真っ黒スペインの学生白書 02-10-2007(火)

 アナウンサ-は『久し振りに明るい話題です』とは言わなかったが、明らかに悪い知らせではなく、良い兆しとして紹介された先週のスペインのニュ-スに拠れば、ここ13年間で初めて学生達の酒&麻薬の消費量が減少したそうである。もっと詳しく言えば、麻薬とはハシシュ(モロッコ産)、コカイン、ヘロイン、合成麻薬で、アルコ-ルも含めて、これら総てにおいて減少傾向に転じたのは政府の絶え間ないキャンペ-ンの効果だそうである。
 ま、確かにそう言う当局の努力もあったのだろうが、ところで、スペイン語で学生はestudianteと言い、ご覧の様に英語と良く似ている。今回ニュ-スの対象となったのはこれらスペインの学生なのだが、実はスペイン語で大学生はuniversitarioと言い、つまり、スペイン語でestudianteとは大学生未満の学生を指すことばなのである。そこで今回のニュ-スを日本人読者に分かり易く解説すれば、スペインでは相当数の14~18歳の中高生が堂々と酒を飲み、ハシシュ、コカイン、ヘロイン、合成麻薬を吸っていることになる。これが減少傾向に転じたのは政府が校門やディスコでの薬の売人の取締りや未成年者への酒の販売禁止を強化したためだそうである。
 大学生以上の20代、30代の若者ならまだ話は分かるが、今回のニュ-スでははっきりと14~18歳の学生と言及されている。もちろん男女の区別はない。もちろん、こんなガキどもがそんな金を持っているはずもないが、アル中に薬中ともなれば当然パパやママからもらったお小遣いでは足らなくなる。と言ってこの世界にズボっとハマってしまえば急に止める訳にもいかない。あとはもう自らも薬の売人になるか、売春しかないと相場は決まっている。二十歳で廃人がうじゃうじゃいても不思議はない社会的下地は既にガチガチに塗り固められている。
 日本人から見れば末期ガン漫才かも知れないが、これがスペインの現実なのである。

 人が若い時にくびきを負うのは良い。-----或る昔の偉い人

 これはいわゆる日本語の諺で言う“若い時の苦労は買ってでもしろ”と言う意味のくびきのことでしょう。ま、極めて残念ながら、今の日本の若い親達もそうでしょうが、スペインでも可愛いうちの息子にくびきなんかとんでもないと言う、結局我が子を激しく害するに終わる、何でも買い与えて叱ることを知らない様な甘いしつけの馬鹿な親が多過ぎます。例えば、読者もスペインを旅行すれば一目瞭然なのですが、この国ではレストランや食堂で相当数の両親が可愛いはずの自らの乳飲み子や幼児の傍らでモクモクと、さも美味しそうに煙草を臆面もなくプア~っとふかしまくっているのはもはやこの国の年中風物詩です。なるほど、毒を毒と思わず、むしろこんな美味いものが息子の害になる訳がないとさえ思っていれば当然の習性かも知れませんが、やはり害毒を害毒とも思っていないのなら、大きくなった可愛い14~18歳の我が子をくびきで繋がず、無防備にも夜の悪徳歓楽街に野放しにしても何の罪悪感もないのでしょう。
 しかし、毒は毒。毒を飲んで、しかも、好んでがぶ飲みして健康でいられる人はいません。死に至るくびきを自ら好んで自らの首にがっちりハメるだけです。首が回らない借金地獄の方がまだコカインやヘロインよりましです。
 それにしても中高生からコカインにヘロイン・・・。正に気違い予備軍です。それが証拠に先週地元グラナダ市で初めて市主催で女性同士の結婚式があたかも自由平等博愛の代名詞の如く行われました!? この点日本はまだましでしょうが、一つ気がかりなのは“美しい日本”が早くも頓挫してしまったことです。短い命でした。学生が、そして、若者が正しいくびきを負うことを学ばずして“美しい日本”もまた真にあり得ないのかも知れません。