2007-11-07

291 インタ-ネットなし、メ-ルなし 06-11-2007(火)

 実は筆者は9月上旬に日本製パソコンが壊れ、こちらでWindows Vistaを買ったはいいがモデムを50日も待たされ、スペイン国内向けなのでメ-ルの日本語設定などに手間取り、先週やっと再開に漕ぎ着けた。その間知り合いのパソコンでメールを見てもらい、それを一々Faxで転送してもらう煩雑さ。まさか、今になってこんなにFaxの紙を使うとは思わなかった。
 それにしても、スペイン国営電話公社に頼んだのにこの遅さ。筆者もこの国に四半世紀住んで経験上その国民的仕事の遅さと民族的段取りの悪さはある程度覚悟していたが、久々にやられたと言う感じである。それもこちらから二回クレ-ムの電話を入れたから50日で着いたのである。しかも、二回目のオペレ-タ-がパソコンで見ると既に配達済みになっていたとのこと!? 当然既にそれ用の料金が適応されている!? これが筆者がたまに使う“バカ負け”の意味であり、スペイン週間コルムナで取り上げる事件やニュ-スは決して誇張でも何でもないことを読者の皆さんにも今回の実例を通じてご理解いただきたい。
 ただ、久々にインタ-ネットなし、メ-ルなしの生活もいいもんだなと思ったのも正直な感想である。何か今まで無駄使いしていた時間を却って持て余す様な感触さえ覚えたのは錯覚ではないはず。所詮パソコンも検索も携帯もメールもより良い生活の手段ではあっても、決して目的自体ではないと言うことである。手段で遊び呆けて目的を見失っては目的も手段も元も子もなくなる。今日世界中どこでもインタ-ネットやメ-ル利用者の実態はそんなところではないだろうか、と言うことを筆者自身身をもって体験した50日間であったかも知れない。
 とは言え、やはり見慣れた新聞サイトを見れないのは何か物足りなさを感じるものだ。先週やっと久々に見れたと思ったら目を引く記事が二つ。まず、母校の野球部が甲子園後の国体で優勝。しかし、これも時差ボケで余り感動がない。二つ目は今なお続くビルマの騒動。日本人記者が撃たれて死んだのはこちらの国際ニュ-スにも出たので知ってはいたが、まさか高校時代の同級生とは思わなかった。当時一学年450人で10クラス。一度も同じクラスになった覚えはないので今回初めて長井健司君の名前を知った次第なのだが・・・。

 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランの様に花を咲かせる。-----或る昔の偉い人

 ネット上で経歴を見れば、こんな仕事をしていればいつかどこかで不意に・・・と本人も心の片隅であらぬ覚悟をしていても不思議はないほどカメラマンとして結構危ない橋を渡って来ていた様です。享年50歳(筆者はまだ49歳)。
 人の死の知らせを聞く度に筆者はやはり『人生は太く短くもいいが深く』あるべきことを思い起こします(コルムナ171)。人生の本質は深さと言っていいかも知れません。深ささえあれば10歳でも100歳でも砂漠の様な現代社会に、荒地の様な人々の心に小さなサフランの花を咲かせられるはずです。そして、深さの伴わない人生こそバカ負けの素かも知れないとすれば、残った我々はこの深さを追及すべく、ましてやインタ-ネットや携帯にうつつを抜かして人生を浪費している場合ではないはずです。
 長井健司君がどんな人生を送ったかは知りません。ただ、人生深ければ短くてもいいとは言え親より先に逝きたくはないなと思ったのもまた正直なところです。

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