先週元アメリカ副大統領でノ-ベル平和賞のアルゴル氏がスペインにやって来た。実際はスペイン政府が大枚を叩いて招聘したそうだが、その辺の政治的意図はともかく、相手が大物だけにスペインの国王や王子まで出て来て、全国主要都市で地球温暖化対策のカンファレンスが催された。
アメリカ嫌いの国民性と来年3月14日の総選挙を見据えてのことかは知らないが、野党党首が『アメリカは京都議定書(何年か前に京都で世界各国が二酸化炭素排出量抑制などを取り決めた国際協定)にサインしなかったくせに、そんなこと言う権利があるのか・・・』ともっともらしい横槍を入れる一幕もあったが、どうやら無事日程を終えた様である。
筆者も一々新聞記事の総てに目を通した訳ではないが、地球温暖化に拠る環境破壊は我々の想像以上に進んでいること、そして、アルゴル氏の『これは政治的問題ではなく、地球の住人一人一人のモラルの問題である』との一言が一番印象に残る。
なるほど、これは世の中総ての物事は最後は人に帰着すると言う“スペイン週間コルムナ”の精神にも通じる。それなら、スペインと日本の環境破壊はそれぞれ7割と3割3分3厘の離婚夫婦のせいだと決め付けても良いかどうかはともかく(コルムナ288)、仮に世界中の総ての大物政治家から村々の村長さんに至るまでアルゴル氏に心から同調し、それに基く環境最優先政治を行ったとしても、国民にその気がなければ総ては笛吹けど踊らず馬耳東風。良かれと思って作られた風紀部の規則を頭から守る気のないワルな学生とスケ-ルは違うが、理屈は同じである。
そして、残念ながら現実は全く逆方向に向かうだろう。自らの手で自らの夫婦と周囲の人間関係を破壊して湯水の如く離婚する身勝手な人間様が環境を顧みるはずがない。これが小さな親切大きなお世話なら、塵も積もって山となるべく、小さな身勝手大きな環境破壊もまた、風が吹けば桶屋が儲かる以上の確率で起こり得る。因みに、どこからこんな数字を弾き出すのかは知らないが、現在スペイン人は許容量の3倍消費し、3倍汚染しているそうだが・・・。
いや、これは100%現実に起こっていることなのだから、もはや将来を占う確率でも学説でもない。アルゴル氏の『既にダメ-ジは与えられている』と、今回ある学者の言った『仮に今すぐ人類が地球上から消えたとしても、もはや地球が元に戻ることはない』と言う文句が地球の病状を良く物語っている。つまり、地球の健康はあたかも湯水の如く酒タバコ暴飲暴食バクチ不純異性交遊に身を委ねて気が付けば末期ガンの人の如く、末期ガン故に今すぐ急に悔い改めて総ての悪い癖を止めて最先端の治療や投薬を受けても癒されることはなく、後は放っておいても病状は悪化の一途を辿って死ぬだけ・・・、とズバリ言うとカンファレンスの意味がなくなるのでそうは言わなかったが、これが我々の住居である地球の現状であることを訴えるために氏が今一歩のところでアメリカ大統領になれなかったとすれば、それはそれで結果的に良かったのかも知れない。
ある人は悪を行わなければ義人だと思っているが、義人とは積極的に義を行う人のことである。-----或る昔の偉い人
このままだと近い将来、今でも夏場十分暑い南スペインの主要都市はますます温暖化が進み、連日40℃を越す様になるそうです。そうなればますますク-ラ-の消費が進む悪循環。それでも人々は冷房の使用を止めず、メ-カ-も大特需でほくそ笑み、結局は自らの経済政策に合わないとの理由で京都議定書にサインしなかった現金で身勝手なアメリカの如く、消費経済と金を何より最優先に、環境破壊などテメ-の知ったことかと隣人と地球を更に足蹴にして自己中の王道を突き進むことでしょう。
結局何のことはない、人類の人間性喪失度に比例して環境も破壊されているだけの話です。これではアルゴル氏の提唱する末期がん患者の延命策どころか、寄って集って末期がん患者の生き血を吸って自己中の猛毒でトドメを刺している様なもの。人の心は元来性悪説だとすれば、氏の懸命の努力も空しく、残念ながら環境破壊は今後もその加速度的を増すだけでしょう。
しかし、今後環境は喪失される一方だとしても、せめて人間性の喪失に歯止めをかけるべく立ち上がる少数の心ある人々が起こされないでしょうか? 日本人社会では良く『人様から後ろ指刺される様なことはするな』とか言われますが、これでは悪いことをしないに留まる消極的な半熟の義です。とは言え、何もアルゴル氏の様に地球規模的な大義名分を振りかざすことはありませんし、そんな大それたことは我々平民には無理です。しかし、人の心が少しでも浄化されれば環境も少しは浄化されることが風が吹けば桶屋が儲かる以上に確かなことだとすれば(同288)、まずは身近な誰も褒めてくれない小さな義でいいではありませんか。ただし、行う小さな義でなければ義人ではありません。
今の時代は人の悪が怒涛の様に押し寄せ、義人が少な過ぎるので世の中は悪くなり、環境は破壊される一方なのです。その真の抑止力は核兵器でも環境対策でもなく義人だとすれば、それはもちろん、人を裁く義人ではなく、隣人愛を基調とする義なる人であることは言うまでもありません(同257&272)。