2010-04-26

418 有楽町で会いましょう 27-04-2010(火)

 先週の火山灰で時間的には前後しますが、今週はもう一つだけ日本滞在中の話に戻ります(コルムナ415416)。
 古くからの読者は覚えがあるかも知れませんが、筆者は今回帰国中、コルムナ3に登場してもらったとんでもおばさんに会って来ました。
 9年ぶりの再会。筆者はまず手紙を出しておばさんの携帯番号を聞いてから帰国しました。連絡を付けて会ったのが東京の有楽町。子供の頃良く聞いたフランク永井の有楽町で会いましょうのあの有楽町かとお上りさん気分でしたが、これぞ正に文字通り有楽町で会いましょう。ただし、相手は70過ぎのおばさんどころかおば~さんなので色気はゼロどころか氷点下。 
 それにしても東京はさすがに巨大ビルと人が多い。これで直下型大地震を食らったら一溜まりもないだろうなとか、スペイン人なら腰を抜かすだろうなとか、一人で勝手に捻くれた心配をしながら、おばはんを待ちながらその辺を散歩してみました。一番印象に残ったのはレ-ル下辺りにあった数件の居酒屋。故意に拘っているのでしょうが、昭和40年代そのままの汚~いたたずまいを意地になって残しているのが何とも言えない味を出していますね。
 極め付けはその辺に貼ってあった水原弘のア-ス蚊取り線香(殺虫剤だったかも)の看板!? まさかこんな所でこんなものを見るとは!? 

 誰でも自分の利益を求めないで、他人の利益を心掛けなさい。-----或る昔の偉い人

 筆者は文字通りこのおばはんの命の恩人なのですが(同303)、それを知ってか知らずか、有楽町のど真ん中のいいレストランで昼食を奢ってくれました。生活保護を受けている身で、しかも、100歳前のお母さんと同居ですから、金銭的にはキツイはずですが、筆者は有難くご馳走になりました。
 確かに世間一般から見れば飲み屋で大きく咲かせた仇花が見事に散って実が残らなかった人生かも知れませんが、最後は何とか首の皮一枚繋がる手助けになれた筆者もそれなりの満足感を感じます。
 これでいいのだ。バカボンのパパもそう言うはずです。

392 メ-カ-の名前で困惑ギタ-かな:②影武者ギタ-の場合(10) 27-04-2010(火)

 さて、コルムナ381から影武者ギタ-の場合をコルムナしています。影武者ギタ-の何がどうだとコルムナしているのかと言えば、有名スペインギタ-メ-カ-の高級手工ギタ-をそのラベルの名前の製作家ではなく、全く別人の雇われ覆面製作家が100%製作し、サインだけラベルの製作家だと言う、全く消費者を舐め切った贋作ギタ-のことです。
 このマリオ・フェルナンデス(コルムナ388390)も日本でも有名なこのスペインギタ-工房の就職面接の最終段階でこの理不尽な契約書を突き付けられ、迷い無く悪魔に魂を売ることを断ったそうです。
 以上は総てマリオ・フェルナンデス本人の了解を得て書いています。
 もっとも、マリオ・フェルナンデスはかなり出来ます。その点、彼を理不尽な契約で雇おうとしたマドリ-ドの○○・ラミレ○工房は見る目があったことだけは褒めていいでしょう。
 

2010-04-19

417 魂の叫びか火山灰 20-04-2010(火)

 ご存知の様に、先週14日水曜日アイスランドで噴火した火山灰の影響で北ヨ-ロッパ全域の航空便がほぼマヒ状態。と言うことはこの辺りに飛んで来る旅客機もそうだと言うことですから、火山灰の飛んで来ない日本やスペインでも欠航便が出ています。当事国だけの問題だけでは済みません。凄い損害でしょう。
 何せロンドンで足止めを食っているスペイン人旅行者にスペイン政府が海路フェリ-を送り、筆者の地元南スペイン・グラナダからバルセロ-ナ経由でドイツに飛ぶ予定のドイツ人団体が陸路観光バスで帰国!? 旅行代理店も添乗員さんも堪ったものじゃないでしょう。
 火山灰がエンジントラブルを引き起こすなど筆者は知りませんでしたが、アイスランドの火山灰でヨ-ロッパ全体が影響を受けていると聞いて、筆者は一瞬アイスランド経済破綻のニュ-スの比喩か思ったのは2008年の金融危機の印象が強かったからですが、こんなんでユ-ロに入って大丈夫かと思わざるを得ません。
 実際今回のギリシャの後始末に自らも相当苦しいはずのスペイン政府までもが国庫からギリシャ政府を援助しなければならないのがEU義兄弟(偽兄弟!?)の辛いところ。36億7500万ユ-ロ(約5000億円)ほどにはなるらしい。結局スペイン国民の税金じゃないのか火山灰!?

 富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによってこれをやめよ。-----或る昔の偉い人

 晴天の霹靂曇る火山灰(筆者)。
 筆者は近い将来青天の霹靂で何かどデカイことが起こりそうな気がします。世界レベルでの話です。
 世界的な株の大暴落か、国際テロか、地域限定核戦争か・・・。
 何かその予兆の様な今回のアイスランドの火山灰と欧州航路の大混乱と結び付けるところがスペイン週間コルムナなのです。
 ロ-ン返済に追われる親の苦労など知らず、ただ無心に遊んでいるだけの幼児の様に、ある意味金と富の価値観から解放されれば楽になれるんじゃないでしょうかね?

391 追悼ト-レスのひ孫フランシスコ 20-04-2010(火)

 筆者と親交のあった近代ギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レスのひ孫フアン・フランシスコ・サルバド-ル:Juan Francisco Salvador氏、通称フランシスコの逝去について先々週のコルムナでお知らせしました。彼のギタ-を愛器として弾く吉川二郎氏の機関紙が昨日送られて来ました。今週はそこに吉川氏が寄せた追悼文をそのまま掲載します。

 本当に突然なのだが、私が愛用しているギタ-の製作家、ホアン・フランシスコ・サルバド-ル・ヒメネスことビスニエト・デ・ト-レス(ト-レスのひ孫)が亡くなった。
 年末に病気であることを知らされ、1月にスペインに行った時には私の到着の日に治療のためにドイツに旅立っていた。ドイツでも治療の方法がなくスペインに帰っているとのことだったが、4月3日午前10時10分(日本時間午後5時10分)グラナダ在住のマヌエル・カ-ノ門下、大道正樹君(筆者のこと)からフランシスコが亡くなったとの連絡が入った。
 病状の報告から判断して調べたところ悪性胸膜中皮腫だったようだ。年末の電話での病状はpleura(胸膜)と言っていたので、肋膜炎かと思っていたのだが、グラナダに行って医師でもあるホセ・マヌエル・カーノ(故マヌエル・カーノ先生の息子:フラメンコギタリスト)と話すと、胸膜の癌を意味すると知らされた。
 私が持つ第1号の楽器Soñada(夢のような:1982年作)から25年かかって約30本製作。これまでは研究改良を加えながら少しずつ製作を続けていたが、数年前には一生分のギター製作の材料を買い、これから本格的に製作に乗り出すと意気込んでいたところだった。
 享年64歳。マヌエル・カ-ノ先生と同じ年での没となった。自分が既に60近くになっているが、5歳年上と考えてもまだまだ若いと思わざるを得ない。
 私のことを日本の兄弟として慕ってくれたフランシスコ。夢半ばにして逝ってしまった。2004年、2006年の2回来日。各地で親しく迎えて下さった方々にご報告申し上げる。

 花冷えに兄と慕いし人の亡く、亡き後も温き音色の花の散る

2010-04-12

416 日本のシャッタ-街にも五分の魂 13-04-2010(火)

 今回用事で甲子園以外にも何箇所か日本各地を訪れました(先週のコルムナ)。どこへ行っても商店街が寂れ(錆びれ!?)ているのが何とも言えないものの哀れを醸し出していましたね。
 筆者の地元でも、かつて一番の商店街のものの見事に半分のシャッタ-が閉まっていました。選抜甲子園大会前、市役所を訪れた監督と主将に市長さんから『市民の皆さんに元気を与えて下さい』と激励のことばがあったのですが、まさかこの商店街のことじゃないのかと思うほどの衰退振りです。一回戦逆転サヨナラ負けならなお更だったりして!?
 一方市民は車で駐車場完備の郊外の中国製だらけの量販店でお買物。結局は中国人の思う壺!? しかも、最後は中国の軍備増強費に変わるのですから、日本人もアッポ-です。矢がないので、敵に矢を射させ、その拾い集めた敵の矢で逆襲して勝った何とかと言う軍師が三国志にいましたが、これを21世紀にやっているとすれば中国恐るべしかも知れません。
 しかし、さすが日本と思わずにいられなかったのは新幹線に乗った時でした。何とほぼ3分間隔で対抗列車とすれ違う速度はお互い時速200Km以上。スペイン国鉄ご自慢のフランス製高速鉄道AVE(TGV)は確かに速いが、 上下毎時1本ずつ。日本人から見れば漫才の様な希薄な運行ダイヤですが、これなら事故っても列車1本で済みます。しかし、日本の新幹線は3分毎にすれ違う!? この過密ダイヤで創業以来事故を起こさず運行して来た新幹線に日本の凄い技術力を再認識しました。

 私達は真理に逆らっては何も出来ず、真理のためなら何でも出来るのです。-----或る昔の偉い人

 民主主義の歴史が35年のスペインでは権利ばかり主張するのが民主主義と思っている連中が多いのですが、権利は義務を果たして初めて享受するものと言う模範的な答えはともかく、真理に逆らっては何も出来ず、真理のためなら何でも出来るとは総ての国、総ての時代を超越する真理です。
 やるべきことはやった、義務は果たした、と思っても何も出来ていない・・・。おそらく、私達の圧倒的大多数はこんな人生でしょう。それは真理に逆らったから!?
 真理に逆らうとはひっくり返って全力で足をバタつかせるが、全く進まないゴキブリみたいなものかも知れません。なるほど、これなら真理どころかアッポ-です。
 自己中か隣人愛か。ひっくり返ったゴキブリか真理かの人生の境界線はやはりここにあると筆者は直感します。  

390 メ-カ-の名前で困惑ギタ-かな:②影武者ギタ-の場合(9) 13-04-2010(火)

 しかも、これらを一々書き記した契約書にサインしなければ就職出来ない(先々週のコルムナ)!? もちろん、契約を破ればペナルティがあります。幸いにも本人は断ったそうですが、要するに○○・ラミレ○工房に就職するからにはマリオ・フェルナンデス君の作ったギタ-には総て○○・ラミレ○のラベルを貼ってもらいますと言うことなのです。量産工場に就職して流れ作業的に安いギタ-を作るのではなく、○○・ラミレ○の作品として売る高級手工ギタ-を製作すると言う意味なのです。
 マリオ・フェルナンデスが腕のいい職人で、良いギタ-を作るのなら別にいいじゃないですかと気にしない読者もどうかしています。購入者は○○・ラミレ○のラベルとサインを見て○○・ラミレ○作の高級手工ギタ-と思い込んで大枚叩くのではありませんか?
 少なくとも○○・ラミレ○のラベルにマリオ・フェルナンデスのサインなら話はまだ頷けますが、徹底した商業主義にそんな常識は思い浮かびもしません。 
 影武者は主君のために影武者ギタ-を作っていればいい。ただそれだけの契約なのです。

2010-04-06

415 急に座り込むなっちゅうの!? 06-04-2010(火)

 先週金曜日2日、正味12日の滞在を終えて日本から戻って来ました。2回ばかり回顧録でコルムナしてみましょう。
 実は母校の応援で選抜甲子園大会に行って来ましたが、一回戦敗退。延長10回裏逆転サヨナラ負けは精神的にも応えますね。
 それでも筆者はブラスバンドのすぐ後ろの席に陣取り、自ら甲子園でラッパを吹いていた37年前を思い出していました。今回ある意味試合自体よりこちらの方が感慨深いものがありました。少年老い易く、学成り難し。良く言ったものですね。
 甲子園もチケット窓口、グッズ売場など全くリニュ-アルされた反面、その分時の流れも感じました。
 それに負けず劣らず今回思い出に残るのは、確か首都圏のどこかで電車に乗った時、初老のおばさんが乗って来たと思ったとたん入口横で急にしゃがみ込んだ!? 誰かがすぐに『大丈夫ですか』と問えば、おばさんは『大丈夫、慣れてますから』と答えた後、何故か声を掛けなかった筆者に向って『歳を取ると骨にカルシウムがなくてね。あなたも今の内にカルシウムを取ってね』!?

 自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、虚しいものを追い求める者は貧しさに飽きる。-----或る昔の偉い人

 中年更に老い易く、カルシウム欠如・・・か!? 人事じゃないな、これは。37年どころか、後何年で自らも初老じゃ!?
 あれは夢だったのか、それとも、筆者はずっとスペインで夢を見ているのか・・・。
 どこに居ようが何年経とうが、虚しいものを追い求めるのではなく、自分の畑を耕す者こそ食料に飽き足りるとすれば、それは決して無益な自己満足に終わる夢ではないと確信します。

389 早過ぎるぞ、フランシスコ!! 06-04-2010(火)

 今月2日未明日本から戻りました。そして、翌3日10:50電話が鳴りました。
 それは近代ギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レス:Antonio de Torresのひ孫、筆者の大の友人でもあった南スペイン、アルメリア市郊外在住のフアン・フランシスコ・サルバド-ル:Juan Francisco Salvador氏の姪の夫から10:10氏の逝去を知らせるものでした。帰国前日の3月18日に病室に居る氏と電話で話したのが最後になりました。
 暮れも押し迫った昨年末に横隔膜に癌が発見された時に既にかなり進行していた様で、それから約100日の闘病生活でした。
 多忙で生産台数が極めて少ないフランシスコ(通称)のギタ-を筆者は遂に所有することはありませんでしたが、フランシスコとはギタ-を超えて人生を語り合った仲でした。現代ギタ-製作界では珍しく金に対する潔癖さに誠実な人柄。いい奴ほど60過ぎで若死にするのは正に人生の皮肉かも知れません。
 日本にはそれほど入って来ませんでしたが、筆者の先輩の吉川二郎氏が愛器としてコンサ-トに録音にと使っています。
 曾祖父のトレ-スの最も鳴るギタ-は当時の愛好家達の間でLeona:レオ-ナと呼ばれ、当方のスペインギタ-振興会レオ-ナもひ孫のフランシスコと知り合ったからこその命名でした。
 実は最近当方のギタ-も充実して来ましたので、フランシスコに名前だけの名誉顧問になってもらい、その推薦文を日本語訳と共に当サイトに掲載をお願いする矢先の出来事でした。こう言うのを正に矢先と言うのでしょうか。
 今後とも故人ならこうしたのではないか、こう言うだろうとあれこれ想像しながらスペインギタ-振興会レオ-ナは活動して行きたいと願っています。