2008-01-28

303 とんでもないおばさんからのお便り 29-01-2008(火)

 先週日本からの手紙を受け取った。筆者が久し振りに年賀状を書いたからだが、まだその住所に居るかどうかも分からない極めて不安定な生活を送っている人だったので、正直返事が来たこと自体驚いた。コルムナ3で登場してもらった元青山のバ-のママさんのおばさんである。今読み返してみると余り詳しくも書いていないので、今週は少しその人生を追記してみよう。
 逃亡先が何故スペイン・グラナダ市だったかは未だに謎だが、安アパ-トや住み込みの家政婦で年寄りの世話をしながら食い繋ぎ、それでも金がなければ日本の年老いた母親の年金から送金してもらうその日暮らし。筆者は散々日本に帰れと勧めたが、余り乗り気ではなかったらしく、向こうの兄弟達と食い潰した遺産相続の件で極めて折り合いが悪いこともあり、何よりそんな金もなかった。その内に仕事もなくなり、滞在ビザなど頭からなく、徐々に換金率も悪くなって来たので、遂に筆者も見かねて飛行機代と当面の小遣い程度の円を用意してあげてちょうど6年前の今頃東京に送り返したと言う次第。
 元々は遺産相続の際兄弟達がそれぞれ弁護士を連れて来たと言うほど資産家の銭ゲバ一家だったらしいが、このおばさんだけが抜け駆けして母親をたぶらかし、勝手に実家を売り払い水商売を開業して放蕩三昧やらかしたらしい。時はバブル最盛期。また、お母さんも大昔文部省指定の小学校の国語の教科書にも教材として載ったほどの何とかの(もう覚えてない!?)お師匠さんだったとのこと。おばさんに拠ればしつけも厳しかったらしい。筆者の見るところ、こんな滅茶苦茶な人生を送りながらもこのおばさんが何とか命拾いしたのはこの幼少期のしつけが根底にあったからだと思われる。普通濡れ手に泡の水商売にどっぷり漬かった阿婆擦れ女なら一日千円の切り詰めた生活や老人の下の世話など思い付きもしないだろう。当時のおばさんの話ではバブルでぶっ潰れた知り合いの多くの水商売のママさん達の思い付くことと言ったら売春しかなかったそうである。そして、帰国してからも食堂の給仕や掃除のおばさんなど何でもやり、やっとのことで江戸川区の生活保護にありつき、守銭奴の兄弟達に養護施設にぶち込まれていたお母さんを引き取って、今は二人住まいで何とかなっているとのこと。これがめでたしめでたしと言えるかどうかは知らないが・・・。

 遠い国からの良い消息は疲れた人への冷たい水の様だ。-----或る昔の偉い人 

 もちろん、筆者にも帰国後一年ほどして貸した金は返してくれました。骨の髄までチャランポランな水商売の女ならこうは行かなかったでしょう。
 確かに売春よりは地球の裏側まで逃げる方がまだマシかも知れませんが、低次元な比較です。間一髪滑り込みセ-フで面白いのは野球だけで、人生も老後もそうはありたくないものです。
 我々も久方振りの消息を誰かに聞いてもらう時、一体どんな印象を与えることでしょう。それは意外と幼少期のしつけが決め手だったりするのかも知れません。

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