筆者と親交のあった近代ギタ-の開祖アントニオ・デ・ト-レスのひ孫フアン・フランシスコ・サルバド-ル:Juan Francisco Salvador氏、通称フランシスコの逝去について先々週のコルムナでお知らせしました。彼のギタ-を愛器として弾く吉川二郎氏の機関紙が昨日送られて来ました。今週はそこに吉川氏が寄せた追悼文をそのまま掲載します。
本当に突然なのだが、私が愛用しているギタ-の製作家、ホアン・フランシスコ・サルバド-ル・ヒメネスことビスニエト・デ・ト-レス(ト-レスのひ孫)が亡くなった。
年末に病気であることを知らされ、1月にスペインに行った時には私の到着の日に治療のためにドイツに旅立っていた。ドイツでも治療の方法がなくスペインに帰っているとのことだったが、4月3日午前10時10分(日本時間午後5時10分)グラナダ在住のマヌエル・カ-ノ門下、大道正樹君(筆者のこと)からフランシスコが亡くなったとの連絡が入った。
病状の報告から判断して調べたところ悪性胸膜中皮腫だったようだ。年末の電話での病状はpleura(胸膜)と言っていたので、肋膜炎かと思っていたのだが、グラナダに行って医師でもあるホセ・マヌエル・カーノ(故マヌエル・カーノ先生の息子:フラメンコギタリスト)と話すと、胸膜の癌を意味すると知らされた。
私が持つ第1号の楽器Soñada(夢のような:1982年作)から25年かかって約30本製作。これまでは研究改良を加えながら少しずつ製作を続けていたが、数年前には一生分のギター製作の材料を買い、これから本格的に製作に乗り出すと意気込んでいたところだった。
享年64歳。マヌエル・カ-ノ先生と同じ年での没となった。自分が既に60近くになっているが、5歳年上と考えてもまだまだ若いと思わざるを得ない。
私のことを日本の兄弟として慕ってくれたフランシスコ。夢半ばにして逝ってしまった。2004年、2006年の2回来日。各地で親しく迎えて下さった方々にご報告申し上げる。
花冷えに兄と慕いし人の亡く、亡き後も温き音色の花の散る
2010-04-19
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