弾いた感じと聴いた感じを一人で利く耳を持つ(先週のコルムナ)。確かにこれは難しいことです。いくら文章でどうこう言ったところで、いつか自分で体験としてその域に達しない限り理解出来るものではありませんが、今週も何とかコルムナしてみましょう。
まず、弾いた第一声のいい感じは、通常弾き手のいい感じであるが、それがそのまま聴き手のいい感じには繋がるとは限らないので、弾き手だけの自己満足に陥らない心掛けが大切だと言うことです。正に先週の筆者は心ならずもこの間違いを犯し、正反対の結論を勝手に出してしまっていました。
とは言え、もう一人の自分がギタ-の正面に居る訳でもなし、一体どうすれば聴き手の立場に立てるのでしょう、本人はギタ-を弾きながら!?
先生の言うことから判断すれば、音の大きさではなく、音の分離です。懸案の無名製作家のギタ-の低音弦3弦の音はお互い今一分離しておらず、弾いていてやはり今一の印象を受けたそうです。それに引き換え、筆者が今一と思っていた4年前の売れ残りの方が遥かに分離して弾いていて気分も乗るそうです。もちろん、先生には早速こちらを送っておきました。
とは言え、筆者も音の分離については少々の耳は持っていたつもりでしたが、知らず知らずの内に、大盛だから良いギタ-(1~3)に陥っていたことは否めません。
音量より音質とは今まで良くコルムナして来た表現ですが、音の分離なくして音質もなく、音質なくして真にいい感じもまたないとすれば、この音の分離を利かなければギタ-の選択を誤ることになります。
引き続き音の分離についてコルムナして行きましょう。
2009-05-18
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