一昨日は歴史的選挙結果。果たして日本はどう変わるのか? もちろん、投票した有権者は日本が良く変わると思って投票した訳だが・・・。
昔あるお婆さんに聞いた話では、戦時下の小学生の頃、食事の度に〝この食事がいただけるのも兵隊さんのおかげです〟と言っていたそうだ。今我々がその場にタイムマシンで行けばギョッとすることだろう。
そして今年は戦後64年。幼稚園児から銀バエの如く髪を染める非国民ファッション。ミニスカ-トの制服のおかげで後を絶たないスケベ教師に変態巡査。金満社会とゆとり教育ここに極めり(窮めり!?)かも知れない。これに大半の日本人がギョッとしないのだから筆者はギョッとする。おまけに麻薬汚染は何もゲ-ノ-界に限ったことじゃない。
人生とはある意味ハンドルやブレ-キの遊びと同じ。一切遊びがなく戒律的でも、遊びがあり過ぎて自由を自我の垂れ流しと取り違えても、両者共制御不能で交通事故(コルムナ383)。
この戦中戦後のお話は一見右翼と共産党ほど両極端に見えなくもないが、実は両極端に見える遊びの一切ないハンドルやブレ-キと遊びのあり過ぎるハンドルやブレ-キが同じく制御不能で、同じく交通事故を起こすことにも酷似している。
確かに国のハンドルとブレ-キ捌きが政治家の仕事とも言えなくはないが・・・。
知恵の正しいことは、その行いが証明する。-----或る昔の偉い人
ハンドルとブレ-キの遊びが適度であるかどうかはその運転が証明する、と言い換えることも出来ます。国や政治や政治家の他人事ではなく、我々国民一人一人のハンドルとブレ-キの遊びのことです。
サウナ状態の夏の車内に幼児を放ったらかしてパチンコに腑抜ける腑抜けママも、嫁いびりのおしんの佐賀の姑も共に自己中心で他人を激しく傷付けて、それに全く無頓着なことに変わりはありません。そして、硬派と軟派の両極の様で両者共に知恵がないこともまた共通です。
政治家ではなく、国民一人一人が知恵を欠けば、どんなに政治や政党が変わろうが、日本は日本国民の知恵のレベルほどに変わって行く、ただそれだけのことです。
ミクロなくしてマクロなし。マクロの質はそれを構成するミクロの質以外の何物でもありません。当たり前田のクラッカ-(←分からない読者はお父さんに訊いてね)!? 遅かれ早かれその行いが証明することとなるでしょう。
2009-08-31
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