先週偶然街でやつれた顔の知り合いのスペイン人男性とバッタリ。いきなり『昨日親父が朝倒れた思うたら、そのまま逝てもうてな。今日は今から葬式や・・・』。
数日後またも遭遇すると、今度は『ある友達からうちの親父の悔やみを言われた思うたら、今度はそいつの親父が次の日急に死によってな。人生とは一体何やねん・・・』。
スペイン人から『人生とは・・・』と言われるのも珍しいかと、不謹慎にも場違いな感動をした筆者であった。
それなら・・・。人生とは気が付けば既に消えた朝露の如し(筆者)。
死に至るまで忠実であれ。-----或る昔の偉い人
それでも朝露には朝露の意地があるとすれば、それは一体何でしょうかね?
人の心に残す余韻かも知れません。余韻なら死後も響きます。
それなら単に『あの人はしっかり稼いだ』『あの娘は美人だった』『やっと死んだか、せいせいした』余韻より『優しい人だった』『無言の教えを受けた』余韻の方が感動の余韻ですよね。
薄っぺらい感動が多過ぎる21世紀の真っ只中にあって、決して余韻の絶えない不朽の名作を書くことは容易ではないでしょうが、自らの欲以外に忠実であれば、それは無意識の内に意外な名作となって人の心に響き続けるものなのかも知れません(コルムナ60)。
2011-09-05
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