2008-08-25

333 オリンピック終わって山河有り・・・か? 26-08-2008(火)

 終わってみればスペインはメダル18個。予想外の健闘と言ってもいい。男子バスケットチ-ムがアメリカと決勝で接戦を演じたのが最終日程だったと言うのも、その何日か前のマドリ-ドの飛行機事故のこともあり、尚更ハッピ-エンドの感をより一層強くしている。
 さて、何か大きな社会的イベントが終わった時、筆者はやはりその後の山河を思わずにはいられない。感動した高校野球が、そして、熱狂したオリンピックが終わってふと我に返るその時のことである。確かに過去も現在も今しがた終わったばかりの感動劇場も大事だが、今後のことの方が遥かに人生の本質だからである(コルムナ13&14)。
 だとすれば日本人は、スペイン人は一体どこの現実の山河にふと我に返るのだろう?
 日本人なら学校職場・・・。そして、高校3年生の球児達は進学先・・・。その大半が野球を続ける訳ではないとすれば、皆新たな自らの山河を見出さなければならない。
 スペイン人は・・・。もう今週末にはサッカ-リ-グ開幕なのだ!? なるほど、自らの山河を顧みる余裕を与えないほど他人主体の夢で追い討ちを掛けている。本来は自分主体の夢のことを自らの山河と言うのだが・・・。
 中国人は・・・金か? いや、それは多くの日本人もスペイン人も同じことだったりすれば、実は在って無き山河だったりして!?

 あなた方は自分が何を求めているか分かっていないのです。-----或る昔の偉い人

 杜甫の原文は『国破れて山河有り』ですが、今良く読んでみれば前半は極めて悲観的で後半はどっしりとした自然の不動性と再出発への息吹が感じられて対照的です。しかし、それもこれも帰るべき自らの山河があればの話です。
 以前25歳の男性旅行者で帰国後どうしたらいいんでしょうか~とか相談を受けたことがありましたが、その歳まで自らの人生の方向性が定まっていないことの方が筆者にとっては驚きです。勤めが嫌になって辞めて、なけなしの金を手に短期の海外旅行など誰でも出来るじゃあ~りませんか?
 これはほんの一例ですが、自らの山河の無い足元のふらついた人ほど受ける大学によって学部が違ったり、転々と職を変えたり、留学とは名ばかりの現実逃避に逃げる傾向にはないでしょうか? そして、ふと我に返れば自らの居るべき山河無し・・・。確かにこれは悲劇です。
 確かに他人から見せてもらう感動劇場も結構ですが、それでは主役はあくまで他人です。我々一般庶民も自らが主役の小さな感動劇場を演じるべく自らの居るべき山河を謙虚に見極めれば、謙虚な感動を少しは人様に与えることが出来るかも知れません。 

0 件のコメント: