先週チラっと見たある月刊誌に考えさせられる記事があったのでコルムナしてみたい。
近代歴史で綺麗好きな代表的人物はヒトラ-で、汚いものを許さない、従って、(汚いと思っていた)ユダヤ人をガス室に送り込んだ。これは独裁者に見受けられる傾向でもある。綺麗好きは怖い。程々じゃないといけない。
なるほど、部屋の中が嫌と言うほど散らばっていて何とも感じない人間も確かに考え物だが、そうでない他者を不潔視する程の潔癖症が人をガス室に送るに至るとすれば、実はこちらの方がより深刻なのかも知れない。
これを読みながら、筆者は10年ほど前来館者からもらった“遠山金四郎”と言うタイトルの小説の中で、ご存知遠山の金さんの仕えた徳川の将軍様が余りに質素倹約政策なので、金四郎が思わず〝上様はお江戸にぺんぺん草を生えさせなさるおつもりか〟と呟いた場面が思い出された。〝金四郎は華やかなお江戸が好きであった・・・〟と続いていたと思う。
だからと言って、華やかにあれも欲しいこれも欲しいと節操のない物欲ではスペイン人の様にロ-ン倒れだし(最近多い:日本人もか!?)、質素倹約の人の方がロ-ンは真面目に払うだろうが、生活に今一華がないのもまた確かなのかも知れないし・・・。
誰に対しても何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。-----或る昔の偉い人
だからと言って一般庶民にはロ-ンを組まないで住宅を購入することは無理です、或いは、人間たまには息抜きも必要でしょう、と言った上辺の問題でもなければ、だったら適当に散らかすことにし様と言う自由と放縦の取り違え的な浅はかな問題でもありません。
ただ、総ての基調に隣人愛があれば、少々の潔癖症もだらしなささえも融通が利きます。
融通とは何でしょう? 上の程々とも言い換えれそうですが、それは程々のハンドルやブレ-キの遊びとも言えます。遊びがあり過ぎても操作不能で事故、遊びが全くなくてもギスギスして操縦不可能で事故。前者は週休2日にしときゃいいと言う極めて安易な発想の日本のゆとり教育、後者は極度の潔癖症でガス室送りかも知れません。
技術やシステムとしての遊びや融通ではなく、総ての基調に節度ある隣人愛の融通があれば、まさか隣人をガス室に送ることはないでしょう。
2010-01-25
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