左手でC7を押さえて、小指だけ動かしてSi♭~Solのスラ-(もしくはハンマリング)を繰り返してみましょう。一見簡単ですが、小指だけ動かして後は総て休んでいるとなると結構難しいものです。
復習になりますが、“左右両手各指の独立性”とは、最後は歌心に帰着する訳ですが、それは“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること”です(コルムナ247)。
あの頃のコルムナ(同245~250)ではCを押さえて中指だけのハンマリングを例に取りましたが、今週似た様なC7の小指を例に出すのは、この両手各指の独立性をコルムナしながら、最近筆者自身このC7における小指が軽くなった、独立性が養われた、残り3本の指は弦を押さえたまま休んでくれて小指だけ最小限の力で動いてくれている、と言う実感があるからです(同250&251)。
出来てから気付くことは、何も独立性と言われたから独立性を目指して各指を鍛錬するのではなく、意図的に力を抜こうとするのでもなく、ある時ふと我に帰ると、小指だけ何気なくスラ-(ハンマリング)していた、力は全く入っていないけど大きな音が出ていた・・・。これが理想じゃないかと言うことです。するのではなく、やってしまっていたこと。すると言う私が主語の現在から未来への意志ではなく、『ありゃ、いつの間にか出来てしまっていた』ことです。
ある意味無責任ですが、この意識無意識が意外と鍵だと今回自ら学びました。指は意識すればするほど独立性を失い、歌心に集中すれば無意識の内に指のことは忘れて勝手に独立性してくれます。
責任感の強い人ほど真面目で、私が私の指を何とかしようと思い込んで、遂に指の独立性とは無縁のギタ-人生を送ってしまう・・・。意外やこんな人が多いとすれば、日本人の生真面目さはむしろ自ら進んで自らを束縛するサイドブレ-キです。
何年か前に書いたと思いますが、アクセルを踏み込んでも車が動かない時、それはエンジンや運転技術が悪いのではなく、サイドブレ-キが掛かっていることに気付かず無理にアクセルをふかせるからオ-バ-ヒ-トします。同様に指が指が~と考え過ぎることが精神的束縛となり、指には却ってサイドブレ-キが掛かり、その上生真面目に無理矢理アクセルを踏み込めばギタ-人生も燃え尽き症候群です。
歌心に乗って指を忘れれば、ある日急に『え、たったこれだけのことだったのか』とサイドブレ-キの束縛から解放された独立性に気付く・・・。意外とこんなものかも知れません。
中々指が言うことを聞いてくれない読者の皆さん。指自体ではなく束縛のサイドブレ-キこそ問題じゃありませんか。そんなもの歌心で無意識に外せば指は解放されて独立性を得ます。
2008-10-13
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