2008-12-22

350 クリスマスのしるしは七面鳥の代わりにチキン!? 23-12-2008(火)

 筆者はクリスマスが嫌いである。キリスト様の誕生を祝うどころか、キリスト様を出汁にいかに飲んで騒いで消費欲を満たすか。これがスペインを初め欧米の欲望クリスマスの本質であり、他は何もない。
その昔筆者は大学卒業後スペイン行きの資金稼ぎに5ヶ月程あるサ-ビス業で働いたことがある。良く朝礼で『サ-ビス精神のない人にサ-ビス業は向かない』と言われたのを思い出す。サ-ビス業務自体を事務処理的に完璧にこなす能力はあっても、肝心のサ-ビス精神に欠けるならどこか冷たく、次から利用したくなくなる気持ちは拭えない。同様にスポ-ツマンシップなきスポ-ツ、酢加減の滅茶苦茶な華僑の握る寿司(ヨ-ロッパには多い)、そして、日本人に一番分かり易く言えば、義理で贈ったり貰ったりする中元歳暮!? 『余計な出費させやがって・・・』『またお返しか・・・』 なるほど、美辞麗句はコマ-シャルだけで、肝心の真心が感じられなければ喜ぶのは商店と宅配業者だけ。結局贈る側と貰う側の金のかかる社会的伝統的偽善儀式に過ぎない。
 クリスマスも肝心のキリスト様の誕生にかこつけて自らの欲望の剣を振り回している人が圧倒的大多数だろう。日本に居ればまだそれほど感じないかも知れないが、スペインを初めヨ-ロッパではクリスマスプレゼントを贈らなければならないと言う社会的強迫観念さえ感じられるほどクリスマスはプレゼントの時期なのである。ツナミ(日本語とは知らない様だが、スペインマスコミは今日このことばを良く使う)の如き社会的消費熱だと言っても良い。もっとも、年に何度か連休やお祭りを適当にばら撒いてツナミを起こさないと経済が回って行かない面も大いにある。それには宗教的祭りを利用するのが一番手っ取り早く、その意味では世界のどこの国も多かれ少なかれ政教一致社会なのかも知れない。
 もちろん、キリスト様の誕生を祝っている人はほぼ皆無。何故ほぼ皆無と言い切れるのか? 義務感だけの中元歳暮を義務感からだと決め付けるのに理屈は要らない。真心より義務感の香りがする、ただそれだけのことだ。同様に欧米のクリスマスは肝心のキリスト教的真心の香りがしない、ただそれだけのことだ。

 あなたがたは布にくるまって飼葉桶に寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。-----或る昔の偉い人

 昨日スペインでは朝から各局クリスマスドリームジャンボ宝くじ抽選会実況生中継。全国が固唾を呑んで見守った(コルムナ338)。一体どこがキリスト様の誕生日なのじゃ!? しかも年明けにはクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ第二弾!?
 清く貧しく美しく・・・。こんなことばは美辞麗句過ぎて却って敬遠される21世紀の今日でしょう。しかし、クリスマスの原点は飼い葉桶です。ケ-キやプレゼントでもなく、車やハンドバックでもなく飼い葉桶です。
 それでも、さすがに世界的大不況で今年は七面鳥の代わりにチキンの明日のクリスマスイブの夕食のスペイン人家庭も多いとか。日本でも突然解雇に内定取り消し・・・。しかし、大雑把な言い方ですが、人は飼い葉桶まで落ちれば後は何でも我慢出来るのではないでしょうか?
 ある意味逆転の発想で飼い葉桶を自らのしるしと受け取れば、後に何も残らない社会的伝統的偽善儀式や金銭物欲至上主義の人生から脱却を図れるのかも知れません。確かに一般論からすれば人生下を見ても飼い葉桶を見ても進歩はありませんが、真に上を見上げるために真に下を見ることに意義を見出すこともあるなら、それは真のクリスマスの意味に一歩踏み込んだことになるのかも知れません。
 

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